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喋るドラム

※この文章は2013年に書いたものです。


日本屈指のドラマーであった
青山 純さんが亡くなられた。

青純さんに初めてお会いしたのは
2002年、私が二十歳の時だった。

当時私が作詞兼マネージャーをしていた歌い手さんのバックミュージシャンは青純さんをはじめ、
種子田健さん、佐々木久美さんなど
山下達郎さん、MISIAさんのツアーでも演奏するような、そうそうたるメンバーで構成されていた。

作詞兼マネージャーをする事になったとは言え、つい先日まで池袋の焼き鳥屋でアルバイトをしていたズブの音楽素人の私にも皆さん優しく接して下さった。

何度か現場でお会いしてはいたけれど、雲の上の人過ぎて私から何か話しかけたりする事はあまりなかった。
そんなある日、歌い手さんが不在の日に新曲のオケ撮りが行われた。
楽器はそれぞれの個室に入るものの、同時演奏での録音。
かっこいいのよ、これが。
しかもこの日は私が作詞をした曲を二曲録る予定だったので本当にワクワクとしながらコントロールルームからそれぞれのブースに入って行くミュージシャンの方々を見守っていたら、オルガン奏者の久美さんが個室の中からマイクを通して衝撃の一言を仰った。

「ねぇ、誰か歌ってよ。歌がないと雰囲気掴みづらい」

メロディを覚えているのも、書きたての歌詞を知っているのも、譜割が分かるのも歌詞を書いた本人である私しかおらず、「無理です!無理です!」と言う私の声も虚しくあれよあれよと言う間にメインブースの中心にマイクが立てられ、私はマイクの前に立たされていた。

足は震えるし。
きっとこの方々のうん十年の演奏人生史上1番下手くそな歌である事は間違いない。
半泣きだった私に真後ろの個室に入っていた青純さんがマイクを通して
「大丈夫、欲しいのは音程じゃなくて雰囲気だから。気楽にね」
声をかけて下さった。

で、歌った。
それまでカラオケでしか歌なんて歌った事ない私からすると、本当に、申し訳ないほどに気持ちよかった。
全然違うの。
私の人生で初めて「音楽」に触れた瞬間だった。

中でも、震える声で歌いながら私が最も衝撃を受けたのが、青純さんのドラム。

歌ってると、ドラムが喋る。
「はい、ここで息吸って」
「はいっ、徐々に声大きく!」
「はいっ、ここは静寂!」
すべてドラムの音が教えてくれた。
本当に驚いた。

何とか撮り終わって、真っ先に青純さんの所に行き、興奮したまま恐れ多くも素直に青純さんに伝えた。
「生意気を言いますが、初めてドラムの凄さがわかりました!ドラムって凄く喋るんですね!ドラムが全部教えてくれて、仕切ってるんですね!」
と。
なんだこの若造は。とか
そんだけ聞こえてた割には下手くそだったな。とか
何を言われてもいいやと思ってた。
それくらい感動した事を伝えたかったから。

でも私の話を聞いて青純さんは子供みたいに目をキラキラさせて
「そうか!そうだったか?!
そうか、そうなんだよ!ドラムってそういう事なんだよ!ありがとう!」
と言った。

それからしばらくして、夜になるとちょこちょこ青純さんから電話がくるようになった。

「あこ!今福岡でライブの打ち上げしてるよ!今日のライブでも、俺喋るドラム叩けたかな?!」

青純さんは一流過ぎて、褒められ飢餓だった。
私はその度に何度も何度も
あの日のレコーディングでいかに感動したかを伝えて
それを聞いて青純さんは満足そうに数分で電話を切った。


そんな交流もいつしか途絶えて
近年はお会いする機会もなくなった。

風の噂で、あまり体調が良くないような事を聞いた時にお電話したのが最後だっただろうか。
でも息子が産まれる前だったから、最後に声を聞いてからもう2.3年は経ってる。

いろいろとあっても、
なにがあっても、
青純さんは私にとって、
たくさんの人にとって、
日本一のドラマーだった。

私は忘れません。
たった一度きりだけど、
青純さんのドラムの声を聞けたこと。
おばあちゃんになってもし青純さんの顔を忘れても
あの音は、絶対に忘れません。

安らかにお休みください。
大好きでした。
ありがとうございました。


       2013/12/4             渡邊亜希子

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