暮らしの始まり サンチアゴ

メキシコの去ってからなんだかんだと4ヶ月もかかってしまった旅を終えて、ようやく次はチリのサンチアゴで暮らしはじめます。(ちょっとの間ですが)

家族経営のこじんまりしたホステルにベッドを借りて、12年前にお世話になった語学学校に再入学の手続きに行ってきた。初めてここに来た時は全く話せなかったけれど「上級クラスでいいよ」と言われて、ちょっとほっとした。

私のスペイン語は、当時一緒に暮らしていたスペイン語の先生と仲良くなったスラムの男の子、ふたりからの贈り物だから、実用性とサバイバル力はある。日常生活には支障をきたさないし、通訳仕事も切り抜けてきた。

今回はいままで後回しにしていた文法を綺麗にして、この言葉で書かれた詩や文学に近づくのが目標。

元々この言語に惹かれたのは、ラテンアメリカ圏からの友人たちが教えてくれた歌の響きが、当時は意味も分からなかったのに音としてあまりにも美しかったからだった。その原点に戻ろうと思った。

旅や取材に振りきれそうになっていた私を、結構な僻地にあるチリのノーベル賞作家、ガブリエラ・ミストラルの博物館まで引っ張っていってくれた夫にはすごく感謝している。彼女が書き残した言葉たちを読みながら、その心を知りたいと思った。

その夫とはボリビアで別れた。彼はこれからペルーへと北上する。私はサンチアゴで一人暮らし。驚かれるけれど、私はこの夫婦の形が好きだ。

語学学校では早速ペルー人のショートストーリーを読んだ。
作家の名前は Fernando Iwasaki 日本とイタリアとエクアドルの混血のペルー人。
遠くにくると日本という概念が、国境よりもずっと広くて、外の世界と混ざりあっていることを思い出す。
彼の作品は短く淡々とした文章の中にざらっとした気持ち悪さを込めたホラー小説だった。

私は怪談系は映画も小説もこども向けの絵本ですらダメなので、「お願いだから違うのを読もうよ…」とお願いしたら、明日は歌詞を読むという。

明日のクラスを担当する先生のお気に入りの作詞家さんは、私がスペイン語を分かるようになりたいと思ったきっかけの歌を書いた人だった。

えーっ!!とふたりで盛り上がりながら、いい時間になりそうだなと思った。

文房具屋さんにノートを買いにいく途中で、あの頃たくさんの時間を過ごした広場を通った。

芝生の上で寝転ぶ学校帰りの高校生、遊具で遊ぶ子どもたち、ベンチで語り合う大学生たち、ストリートパフォーマー、清掃のお母さんたち、キスするカップル...。

あったかい太陽を背中に感じながら、21歳のときの私たちを想った。

スラムに暮らしていたチリ人の彼は、妻と息子と海辺の町に移り住んだらしい。
富豪の息子だったアメリカ人の彼は、山並みの美しい町で消防士になったみたいだ(FBによると)

私ひとりがこの町に戻ってきた。

3人の頃を思い出すのは、かさぶたを引っ掻くように痛くてくすぐったい。

語られた言葉、語られなかった言葉、すれ違った沢山の解釈、それでも心が通じていると思えた時間。

ちぐはぐで、うやむやで、あやうくて、尊かった。

なんども、なんども、あの頃のことを物語にしようとした。
書き進めて、行き詰まって、遠くを見た。

ふたりがぐんぐん前に進んでいく傍らで、私は記憶の破片やら描写の細部やらをひとつひとつ拾い集めて綴じるために、かれこれ2ヶ月半程もこの国を縦断している。

なんてゆっくり不器用にしか進めないんだと思うけれど、書くっていうのは結局ゆっくりで不器用なことなんだ。

たぶんこれから毎日ここに通うんだろうな。


ぐんぐん進んだらいいよ。思い出は私が拾い集めて、守るから。

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