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【小説】ママとガール[4]「麻袋のリメイクバッグ」

4「麻袋のリメイクバッグ」
 
 春を迎え、きら子は二年生になった。進級前に担任の教師から連絡があり「学校に来ていない人間を進級させる訳にはいかない」と言われた。だが、「じゃあいいです」と答えると「相談の末、来年は学校へ来てもらうという事で進級させる」という話になった。落第をさせて、いつまでも学校にいられても困るからだろう。きら子はそう思ったが、何も言わずにそれを受け入れた。

 きら子は相変わらず近所をぶらぶらし、時には自転車で遠出をし、家事をして過ごす日々を送っていた。夢子はもう『子どもサポート相談室』に行けという事はなくなっていた。

 暇な時間を持て余し、きら子は毎日、夢子のクローゼットを漁ってはいろんな服を着てみた。だが、夢子の服はきら子が着るには大人過ぎるもの、サイズが合わないものが多かった。もっといろんな服が着たい。そう思い始めた頃に、きら子は駅前の広場でフリーマーケットが開催されているのを知った。

 区民センターの前の小さい広場で開催されていたフリーマーケットでは、安い服は一着百円で売っており、きら子の月三千円の小遣いでも、何着もの服が買えた。きら子は安い服を買い漁り、それを夢子の服と組み合わせていろいろなコーディネイトを試した。古着のコーディネイト法を教えるファッション誌を書店で立ち読みするようにもなった。

 服の事を知るにつれ、壊れたアクセサリーを直せるという事をきら子は知った。近所の時計と貴金属の修理店に持っていくとあっという間に父から貰ったネックレスは直った。いつか、十八歳になった時に。そう思いながら、きら子はベルベッドの箱にネックレスを大切にしまった。

 そして、週末は、毎週何処かしらでやっているフリーマーケットに行くようになった。代々木公園、明治公園、砧公園、新宿中央公園などの公園から、ビルの屋上や運動競技場で行われているものもあり、きら子はそのほとんどを自転車で巡った。そうしている内に、買ったはいいが着ない服が増えてきた。クローゼットは夢子ときら子二人の衣服で既に溢れ返っている。そこで、きら子は自分もフリーマーケットに出店してみる事にした。
 
 チラシに記されていた番号に電話し、出店スペースを予約した。未成年では出店許可が貰えないので、夢子を付き添いにして、きら子は会場に入った。場所は、都内で一番歴史があり出店数が多い明治公園にした。リュックサック、キャリーバッグ、更に大きな紙袋を三つ持ち、きら子は千駄ヶ谷の駅に降り立った。

 時刻は朝八時半。明治公園にはすでに沢山の人が集まっていた。

 入り口にある出店手続きをする為のブースで夢子が会員登録をする。出展許可証を貰って会場に入り、店のスペースを探した。フリーマーケット自体のスタートは九時だが、既に会場のほとんどが埋まっていた。

「本当にたくさん人がいるのね。私、フリーマーケットって初めて来たわ」

 夢子は周囲を見回し、早くもはしゃいでいた。

 会場の入口は駅を背にして右手にあった。入口に近い方が客数を見込めるが、そのあたりは既に埋まっている。入口から近い順にスペースは埋まっていくようだった。結局、きら子は会場の奥から三列目の一角に出店場所を決めた。

 荷物を降ろし、レジャーシートを取り出す。ビニールテープであらかじめ区切られている一角にシートを敷き詰め、風で飛ばないようにシートの四隅をガムテープで留めた。

 靴や小物をシートの前方にまとめて並べた。山のように積み上げた服をトップス、ボトムなど種類別に分けてどんどん畳んでいく。一押しの商品は、畳まずに広げて前方に置く。季節は春。天気は快晴で、気温は五月並みに上昇すると言われていた。忙しく立ち働くきら子の後ろで、夢子は日差しを手で遮りながらお茶を飲んでいた。

「ねぇ、これっていくら?」

 きら子は服を畳んでいた手を止め、顔を上げた。初めてのお客だ。年齢は十代後半だろうか。刺繍入りのチュニックにデニムを着て、レザーのサンダルを履いている。きら子は立ち上がり、客の持っていた夢子が若い頃に着ていたという派手な幾何学模様のワンピースを指さした。

「千円だけど、お姉さんなら似合いそうだし八百円でいいですよ。あ、この帽子とかもどうですか? それと合わせても可愛いし、さらっとした素材だからこれからの季節にぴったりですよ」
「へぇ、これも可愛いね」

 なかなか反応がいい。きら子は手近にあったデニムも持って見せた。

「あと、デニム。今穿いている濃い目の色もいいけど、薄い色のやつも夏だし欲しくありません? これ、すごいラインが綺麗でお薦めですよ。まとめて買ってくれたら安くします」

 客が、目を輝かせて聞いてきた。

「いくら?」
「本当は帽子は千二百円で、デニムは八百円で売るつもりだったけど、三つ買ってくれるなら全部で二千円で」

 瞬間、客がこう答えた。

「本当? じゃあ買う!」

 紙袋を取り出し、服を詰めた。「ついでにこのピアスもあげる」とプラスチックで出来た星の形をしたピアスも付けた。「嬉しいな、また来るね」と客が笑って言った。きら子も彼女に笑顔を返した。

「すごいじゃない、きらちゃん。あっという間に三着」

 後ろにいた夢子が言った。

「うん。初めてのお客さん。うまくいったー、嬉しい!」

 きら子は、手を叩きながら答えた。

 それから、客はどんどんやってきた。きら子の店には人が鈴なりになり、何度服を畳み直しても追いつかない程だった。同じ服を同時に掴んで取り合うようになっている客もいたし、既に誰かが試し履きしている靴の片方を奪って自分も履く客までいた。服も、バッグも、靴も、アクセサリー類も、飛ぶように売れた。

 何かを買おうとしている客にはすかさず客が好きそうな他のものも薦めた。まとめて買ってくれたら値引きをし、三点以上買い上げてくれた客には何か小さなものをサービスで付けた。立ち働いている内に汗ばみ、きら子は何度も顔を拭った。そんな事をしていたら、あっという間に品物が減った。そして、午後になるとほとんどの品物がなくなっていた。

「すごいわね、帰りは紙袋一つで済むんじゃない」

 夢子が、店の状態を見てそう呟いた。きら子は今日の売り上げの計算をした。総額五万円を越えていた。きら子は、顔をあげて夢子に言った。

「いや、私、今日いろいろ新しいもの買う。次に出すもの仕入れてみる」

 夢子が目を丸くして言った。

「仕入れるってまたお店出すの?」

 きら子は夢子のその言葉に即答した。

「出す。だって、五万円も売れたんだよ。さっき売れたブーツなんか他の会場で五百円で買ったのに五千円で売れた。仕入れ値をひいても三万円は儲かってる。すごい面白いよ。また来てくれるって言ってたお客さんもいるし。またやりたい」

 日差しの暖かさがビニールシートを敷いたコンクリートから伝わってくる。あちこちから呼び込みの声が聞こえる。屋台から流れてくるたこ焼きやベビーカステラや焼きそばの匂い。所狭しと並んでいる古着や古道具のカラフルな色。

 きら子は、その全てが好きだと思った。何かを心底好きだと思う事など初めてのような気がした。

「ちょっと店番してて。トイレに行くついでにざっと周りのお店見てくるから」

 夢子にそう言い残して、きら子は走り出した。

 それからきら子は、毎週土曜日と祝日にはあちこちで行われるフリーマーケットで仕入れをし、日曜日は明治公園で自分の店を出店するようになった。同時にきら子は図書館に通い、洋裁やファッションの本を読むようになった。気に入っているもののサイズが合わなくて着られない服を、何とか自分の手で再生させたかった。家には、夢子が昔使っていた古いミシンがあった。きら子は、見よう見真似で服のリメイクを始めた。

 ぼろぼろだったデニムを切り開いて縫い直し、スカートにした。着物を裁ってすとんとしたラインのワンピースにした。かごに布やリボンやビーズをあしらい、取っ手部分にもリボンを編みこんでかごバッグにした。大き過ぎるニットの横端を切り落とし、そこに布をついでみた。Tシャツの脇と袖ぐりを縫い、フリンジやラインストーンをつけた。大きなニットの下にレースを縫いつけワンピースにした。股上が深過ぎるデニムのウエスト部分を切り、腰で履くタイプのスカートに変えた。ジャケットやコートのボタンを付け替えたり、別布でポケットをつけた。

 ある日、自転車できら子が西荻窪のアンティークショップまで出かけた日の事だった。きら子はフリーマーケットへの出店と古着のリメイクを始めてから、平日は古着屋やアンティークショップを巡り、品揃えやオリジナル商品の内容をチェックしていた。通りを歩いていると、道の脇にあるコーヒーショップの前に「ご自由にお持ちください」と書いてある木箱があった。住宅街には、よく見ると古いものの処分に困った誰かがこういう風に古着や古い雑貨などを置いているスペースがある。何か、いいものがあるかもしれない。そう思って、きら子は箱の中を覗いた。

 箱の中にはコーヒー豆が入っていた麻袋があった。それぞれの産地やメーカー名などがきら子の知らない国の言葉でカラフルに描かれていた。産地によりデザインが違い、素材は多少がさがさいうものの丈夫だった。これは使える。ぴんときたきら子はその袋を夢中で漁った。汚れているものや、破れているもの以外を自転車のかごに入れられるだけ詰め込んだ。

 家に帰り、麻袋を眺め、きら子はどの生地をどのように使うかを考え始めた。素材ががさついているので服として使うのは無理だ。だが、バッグだったら丈夫でいいだろう。トート、ショルダー、リュックサック。これだけあれば何でも作れる筈だ。きら子は家にあった洋裁の本とビーズやワッペンやストーンなどの素材を引っ張りだし、ひたすらにデザインを考えた。気が付けば夜で、いつの間にか夢子が帰宅していた。

「きらちゃん、何やってるの? それ、何?」

 ドアの隙間から、夢子は訝しげにそう聞いた。

「今日、西荻窪で見つけたの! 麻のコーヒー袋。これ、バッグにしてフリーマーケットで売ろうと思って。きっと可愛いよ」

 きら子の言葉に、夢子は首を傾げた。きら子は、夢子の様子を窺った。
「そんな事をしていないで学校に行って」などと言われたら、何もやる気が起きなくなりそうだ。

「そう、頑張って。売れるといいね」

 夢子は、首を横に傾げながらもそう言った。

 それから、次のフリーマーケットまで、きら子は睡眠時間を削って商品を増やした。産地やメーカー名が外国語で入っている麻袋は、上手い具合に切り落として使うとなかなかいい雰囲気になった。まず、最初はそのまま簡単に縫ってトートバッグにした。けれど、それだけでは寂しいと思い、チェックの布で内張りをしたり、持ち手を細い革の紐を編みこんだものにしたり、花や蝶などの刺繍を入れたり、昔のロックバンドのロゴのワッペンを縫い付けたりした。ショルダーバッグやリュックサックも作った。取っ手に着けて使う煙草入れや小物入れも作った。スタッズやフリンジ、ストーンなどもあしらい、一つとして同じものがないよう心がけた。そして、フリーマーケットの出店日がやってきた。

 フリーマーケット当日。いつもより早く来て、出店スペースの中でも目立つ時計塔の下を確保したきら子は、服とは別のスペースにバッグを綺麗に並べた。用意してきたホワイトボードに『全て手作りの一点もの。コーヒーの麻袋をリメイクしたバッグです』と書き、前に置いた。

 今日は動きやすさを重視して、古着の巻きスカートに肩紐をつけて自分でリメイクしたキャミソールにデニムを穿き、キッズサイズのパーカーを羽織った。きら子は釣銭の確認をし、一度店の前に回って商品の陳列をチェックした。あと二十分程で開場だ。そう思いながら、大きく伸びをした。

「このバッグいいね。自分で作ったの?」

 そう声をかけて来たのは、きら子の隣のブースで出店している男だった。肩まで届くドレッドヘアに薄いピンクの昔のロックバンドのTシャツ。緩めに穿いたデニムはきっとヴィンテージで、靴はこれまた昔のNIKEだ。この人も古着が好きなんだろう。そう思いながら、きら子は笑顔で答えた。

「はい。コーヒーの麻袋を元にいろいろ作ってみたんです」
「へぇ、いいな。すごい工夫してるね」

 男はきら子の店の前にしゃがみ込んだ。バッグのある一角でショルダーやトート、リュックサックをためすがめつ眺める。それから、男はショルダーバッグを持ち、きら子に言った。

「俺、これ買う。いくら?」
「あ、はい。千二百円です」
「えー!」

 高かっただろうか。きら子は男のその声を聞いて、一瞬怯んだ。フリーマーケットでは、千円以上するものは普通高いと感じるものだ。だが、このバッグは古着ではないし、全てきら子が手作りした一点ものだ。きら子は、男に恐る恐る聞いた。

「あの、高いですか?」
「違うよ! 逆だよ、逆。安過ぎるって!」

 男は前に身を乗り出しながらそう答えた。次々と他のバッグを手に取りながら一人でぶつぶつと呟きだす。

「これぐらい作り込んだデザインで、しかも新品なら四千円でも安いよ。でも、フリーマーケットは普通の買い物とは違うからな。場所柄を考えて三千五百円、うーん、でも値切られるのを考えて三千八百円かな。でも、そうなるとお金のない若い子が買えなくなるな。となると、三千円くらいにして値切って二千五百円かな。でも、それじゃ勿体ないよなぁ」

 きら子の月のお小遣いは三千円だ。そう考えると、四千円でも安いと言われるのは信じられなかった。

 それから、きら子は男のアドバイス通りに値段を二千五百円に上げた。バッグ以外も「これじゃあ安過ぎる」だとか「これはいいけど、もうちょっと裏の布地の始末をちゃんとしろ」など男は助言をくれた。出来る限りそのアドバイスに応えていると、あっという間に一般入場者が来る時間となった。お互い頑張ろう、と言い合ってきら子と男はそれぞれの出店ブースに立った。

 バッグは、飛ぶように売れた。一人がバッグを見ると通りがかった通行人もやってきた。服飾の専門学校に通っているという若い女の子達は狂喜乱舞して「これ可愛い」「すごい好み」「どうしよう、全部欲しい」と騒ぎ、三人でバッグを五個も買い上げた。

「今日はこれで他のもの買えなくなっちゃうけど後悔しないよ」

 女の子達はそう言って帰っていった。きら子はその言葉に「ありがとうございます」と深く頭を下げた。

 バッグを呼び水にして服もどんどんと売れた。いつものようにまとめ買いをしてくれた人に値引きをし、おまけをつけるやり方をしていると、隣のブースにいる男から「うまいなー、俺もセールストーク見習わなきゃな」と言われた。きら子は照れ笑いをして、男のブースで古着のチェックのシャツを購入した。

 そして、午後になったらバッグは完売していた。服も持ってきたほとんどが売れた。フリーマーケットでいいものが欲しいなら、勝負は午前中だ。午後になると客足も減り、途端に周囲は緩んだ空気になる。

 隣のブースの男がジュースを飲みながら、声をかけてきた。

「いやー、売ったね。すごいね」
「はい、アドバイスのおかげで売上も上がりました。本当にありがとうございました」
「敬語なんて使わなくていいよ。昼ご飯どうするの?」
「落ち着いたら屋台で何か買おうかな、と」
「じゃあ、俺が買ってくるから、ちょっとうちの店も見ててくれない? 何がいい?」
「じゃあ焼きそばとお茶を」
「了解」

 男はそう言って、屋台へと走り出した。

 それから、きら子と男は焼きそばを食べながら話をした。男は、下北沢で古着屋をやっていて、今日は店には出せない商品や着なくなった私物を売る為に出店したそうだ。手渡された名刺には、下北沢の店の住所、電話番号と地図、そして店長 林佳男と書いてあった。きら子が、林さん、と呼ぶと佳男でいいよ、と男は言った。じゃあ、佳男さん、というと、それも照れ臭いと言われ、「だったら佳男ちゃん」と言うと「じゃあそれで」と言った。木漏れ日がきらきら反射している名刺を見ながら、きら子は何だかこそばゆい気持ちになった。

 佳男は、現在二十四歳で、古着好きが高じて高校生の頃から古着屋でバイトをし、今に至ったそうだ。佳男は、きら子の事を最初、きら子ちゃんと呼んだが、いつの間にかきら子と呼び捨てになっていた。会ったばかりの人間に呼び捨てにされるなど初めての経験だった。けれど、きら子はそれが嫌ではなかった。不思議だった。きら子は、佳男と同じ世代の人間と話をした事がなかった。

「いつも出店してるの?」
「大体。ここでは月に一度くらい」
「他でも出してるんだ」
「土曜は仕入れで、日曜に出店する感じです」
「仕入れまでしてんの? すげぇな」

 きら子と佳男はずっとそんな風に話をしていた。佳男は自分の店の品物をきら子に見せ、「これはどういう風にしたらいいと思う?」と聞いてきた。きら子はその質問におずおずと、しかし、自分の思った事を正直に伝えた。これはサイズが大き過ぎる、ダメージがひどいからそのまま売るよりリメイク材料にした方がいい、これは可愛いのに奥で埋もれていて勿体ない。佳男はその答えにいちいち感心してくれた。

「じゃあ、明後日に店に来てよ! 三時くらいが一番落ち着いてるからその時間に」

 出店時間が終わり、荷物をまとめた佳男ときら子はそう話をまとめ、手を振りあって別れた。

 翌々日、きら子は下北沢の駅に降り立った。北口からずっと右に行き、駅から十分程歩いた場所に佳男の店はある筈だ。今日きら子は、刺繍が施された古着のショールに自分で肩紐を付けてワンピースにしたものに、フリーマーケットで買ったぺたんこのレザーサンダルを履き、パーカーを羽織っていた。春の風がサンダルを履いた爪先に直で感じられて、何故かどきどきした。この格好で大丈夫だろうか。きら子は、ショーウィンドウに映る自分の姿を何度も確かめた。その時、聞き覚えのある声がした。

「あれ?」

 顔を上げると、そこには佳男がいた。今日はグレーの霜降りのTシャツに深いグリーンのチェックのパンツを履いている。髪型はこの前と同じドレッドヘアだ。佳男はきら子を見て言った。

「おー、よく来たよく来た。今、コンビニに行ってたんだよ。何かきら子用に飲み物を買おうと思ってさ。すれ違わなくてよかった。ほら、うちの店こっちだから」

 そう言って佳男は歩き出した。きら子は、よく来た、という佳男の言葉を反芻しながら佳男の後についていった。

 佳男の店は、ごちゃごちゃした路地に立ち並ぶアパートの二階の一角にあった。「目立たない場所だから一見さんはあまり来ないけど、古着好きには結構有名なんだ」。佳男は自分の店の事をそう話した。

 廊下のように細長い店は右も左も服だらけだった。入ってすぐの左手に重そうな木で出来たカウンターがあり、レジがある。カウンターの上には、五十年代から六十年代のものとおぼしきカラフルな雑貨やフィギュアが置いてあった。その上にある棚には、多種多様な酒瓶とグラスが置いてあり、きら子がそれを見ていると佳男は「たまに店終わった後、友達とここで飲むんだよ」と言った。カウンターの前には切り株を模した椅子がいくつかあり、椅子の上にはTシャツやネルシャツをリメイクしたクッションが置いてあった。

 服は店内に所狭しとあった。右手の壁一面は棚になっていて、Tシャツ、シャツ、パンツなどが色別に畳まれて並んでいる。ドアの真向かいにある突き当たりのスペースはガラスの戸棚になっていて、財布やアクセサリーなどの小物類が並べられていた。そのガラス戸棚はドアでもあり、この裏が店の倉庫となっているそうだ。床には大きな段ボール箱がいくつも並んでいた。
 佳男はコンビニエンスストアのビニール袋から緑茶を取り出し、きら子に渡した。そして、サンドイッチの包装を破きながら言った。

「せっかく来てもらったのに段ボールだらけでごめんな。今日、海外の買い付け担当から荷物が届いたんだけど、梱包がとんでもなく適当でさ。もう何が何だかわかんねぇよ」

 佳男は、サンドイッチを二口で呑み込み、そう言った。きら子は床にある段ボールをしばし眺めた。蓋が開いたものは中身が乱雑にこぼれ出ていて、その服のどれもが皺くちゃだ。きら子は、思わずこう口に出していた。

「手伝います?」

 その言葉に、佳男が目を輝かせた。

「本当? いいの? 店に遊びに来たばっかりなのに?」
「はい。品物にも興味あるし」

 きら子は段ボールの前にしゃがみ込んだ。

 それから、二人はひたすらに段ボールを開け、品物を取り出した。段ボールにはTシャツもパンツもシャツもいっしょくたに詰め込まれていた。佳男が同封されていた封筒に入っていた仕入れ数が記された紙を見ながら首を捻っている。きら子は服をトップスとボトムに分け、それからシャツとTシャツなど種類別の分類を始めた。

「何だよ、これ。デザインはいいけどサイズが小さ過ぎるだろ。うちはメンズしか扱ってないのに」
「プリントは可愛いから生地だけ使ってリメイクしたらどうですか? 身幅は結構あるから袖を変えて裾に布を足したりとか」
「すげぇな、ちょっと見ただけでそんな案が浮かぶのかよ」

 佳男は、きら子の言葉に感嘆したように言った。きら子は、佳男の褒め言葉に面映ゆい気持ちになりながら作業を続けた。きら子が分類した服を、佳男は数えて伝票とつき合わせていく。段ボールはみるみる内に片付いていった。佳男がニットで出来た筒状のものを指でつまみ出して言った。

「このべろーんとしたやつ一体なんだよ? マフラーにしては短いし」
「ネックウォーマーじゃないですか?」
「お、なるほど」

 そんな会話が何度も続いた。ひたすら体を動かしている内に汗ばんできた。佳男が店のドアを開け放ち、風を入れた。すると、ドアの向こうで様子を窺っている男がいた。年の頃は十代後半から二十代。店に入ろうとしていたが、あまりに店内がどたばたとしていたので戸惑っていたようだ。きら子は、何も考えずにこう言っていた。

「いらっしゃいませ。ロスの買付担当からちょうど品物が届いたばかりですよ。よろしければ是非」
「あ、いらっしゃいませ」

 きら子の言葉で来客に気付いて佳男も言った。客はその言葉につられて店に入り、結果、今さっき段ボールから出して値札をつけたばかりの服を購入していった。佳男がレジを打っている間、きら子は佳男の横で服をショッピングバッグに詰めた。「ありがとうございました」と頭を下げ、客を見送る。きら子のその様子を、佳男は口をぽかんと空けて見詰めていた。

「きら子、お前すげぇな」
「そうですか? だって、佳男ちゃんが大変そうだから」
「すげぇ助かった。普通、そんな風にいきなり出来ないよ。お前、商売人だなぁ」
「それ、誉められてるかどうか微妙です」
「可愛くねぇー」

 佳男はそう言って、今度、また焼きそばおごるな、ときら子に笑いかけた。

 それから、きら子は佳男の店に閉店までいた。段ボールに詰まった服の整理が終わると、佳男は冬物と夏物の入れ替えが終わっていないと言い出した。きら子はそれも手伝い、ついでに裏の倉庫の整理もした。その間、きら子は洋服屋がどのように成り立っているのかを佳男に質問した。在庫を抱える事が一番辛い事、売り時の見極めや、発注や仕入れのシステムを教えてもらい、きら子は感心した。「すごいですね」ときら子が言うと、佳男は「でも、基本的にきら子がやってる事とほとんど同じだぜ。単にちゃんと店舗があるだけだよ」と答えた。きら子は、佳男にそう言われてまた照れ臭い気持ちになった。

 いつの間にか時刻は八時となっていた。佳男は店の看板を店内に取り込み、レジの金を数えた。きら子はその横で佳男の行動を眺めていた。すると、佳男がこう言った。

「遅くまで手伝ってくれてありがとうな。助かったよ。少ないけど、これバイト料として受け取ってよ」

 そう言うと、佳男から五千円札を渡された。きら子は驚いて佳男を見上げた。
 お金のためにした訳ではなかった。そして、きら子は今、このバイト料以上のものを佳男から受け取った気がした。ありがとう、助かったよ。その一言で十分な気がした。

「あの、お金とかいいです。私が勝手にした事だし」
「いや、そういう訳にはいかないよ」
「お気持ちは嬉しいんですけど、そうしたらまたここに来にくくなるし」
「じゃあ、何か好きな商品、あげるよ。何がいい?」

 佳男がそう食い下がってきたので、きら子は、あたりを見回した。先程、佳男が「これは売れないからセールに回す」と言っていたTシャツが目に付いた。メンズサイズだがリメイクすれば可愛く着こなせそうだ。きら子がTシャツを指さすと、「これでいいの?」と言いながらも佳男は丁寧に畳んで袋に入れてくれた。それから、佳男は大きく伸びをした。

「本当、ありがとうな。お礼に一杯奢るよ。酒、何が好き?」

 そう言って佳男はカウンター上の棚にある酒のボトルを取り出した。きら子は、その言葉に佳男の顔を見上げた。今まで正月のお屠蘇以外の酒を飲んだ事はないが、飲んでみたいような気がした。だが、未成年が飲酒をした場合、その酒を薦めた人間も罪に問われると聞く。きら子はこう答えた。

「えーと、あの、私、飲めないんです」
「あれ、酒嫌い?」

 佳男がきょとんとした顔で言った。きら子は意を決して答えた。

「未成年なので」

 佳男が驚いた顔で聞き返してきた。

「えーっ? いくつ? 十九歳くらい?」
「いえ、今年で十四歳」
「はぁ?」

 佳男が、そう言って口を空けた。やっぱり二十歳だとか嘘をつくべきだっただろうか。佳男の表情に、きら子は苦い気分で思った。今までも、きら子は自分の年齢の事で嫌な思いをしてきていた。フリーマーケットではお客は大抵、きら子の事を二十歳前後だと思い、その誤解を正すとあからさまに態度が変わった。中には「中学生がそんなに稼いでどうするの」と問われる事もあった。

 きら子は、恐る恐る佳男の反応を待った。佳男は、口を空けたまま言った。

「中学生って事?」
「はい」
「嘘だろ。専門とか行ってるのかと思ってた」
「いえ、中学すら行ってないです」
「なんで」
「行きたくなくて」

 そこでまた、会話が途切れた。きら子は、佳男から目をそらした。フリーマーケットで出会い会話を交わした事、今日、二人で在庫整理をした事。その時間が自分の年齢や中学生である事で全部変わってしまうのだろうか。
 佳男は顎に手をあて首を傾げながら、きら子の方を見ていた。きら子は佳男の視線を感じながら、カウンターの木目を指で触っていた。「ごめんなさい」と口に出してこのまま帰ってしまいたかった。

 佳男が、ようやく口を開いた。

「びっくりしたなぁ。全然見えねぇよ」

 きら子は、その言葉に小さく「よく言われます」と呟いた。目線は木のカウンターに落としたままだ。俯いた首が、強張って痛かった。そのままの体勢で佳男の言葉を待った。
 佳男が、続けた。

「まぁ、でも、フリーマーケットで店をやってる方が現実的にためになるかもな。売り上げもすごいしな」
 佳男はそう言い、「じゃあ、残念だけどジュースだな」とカウンターの下の冷蔵庫からコーラの缶を取り出し、きら子に手渡した。

 きら子は、冷えたコーラの缶を受取り、佳男の顔を見上げた。

 佳男は「中学生かぁ、俺なんてその頃、服になんて何も興味なかったな」などと言いながら自分の酒を作っていた。固まっているきら子に、佳男は怪訝そうな顔で聞いた。

「あ、コーラ嫌い?」

 きら子はその質問に首を横に振り、プルリングを開けた。泡が缶の口から零れ落ちる。きら子は慌てて缶に口をつけ、泡を啜った。

 もう一度、佳男を見上げた。佳男は「乾杯ぐらいしてから飲もうよ」と言いながらグラスを掲げている。きら子は、そのグラスに缶をぶつけた。

「乾杯」

 澄んだ音で、グラスが鳴った。人と乾杯なんて初めてした。きら子は冷えたコーラの缶を握り締めながら、そう考えていた。
 それから、きら子は佳男の店に入り浸るようになった。きら子は、店に訪れるといつも、検品の手伝いをしたり、棚の中を整理したりしていた。その度に、佳男はアルバイト料として金を渡そうとしたが、きら子は受け取らなかった。その代わりに傷や汚れがある服を何着か貰った。その服を使って、また新しい服を作り、フリーマーケットで売った。

 ある日、佳男が売上金の振込みのために銀行に出かけていた時の事だった。きら子は、店のカウンターで佳男から貰った服をリメイクしていた。かぎざぎがあったネルシャツにワッペンをつけて誤魔化し、カラフルな糸で刺繍を加えている時、かんかん、という金属音が聞こえた。きら子は、驚いて顔を上げた。

 カウンターの前にはジュースの缶を二つ持ったショートカットの女がいた。ピンク色のロックバンドのプリントTシャツを着ていた。佳男がきら子と初対面の時に着ていたTシャツだった。短く切ったデニムに足元はフリンジのついたサンダルを履いていた。そして、バッグはきら子が作ったコーヒーの麻袋で出来たショルダーバッグだった。きら子は思わず「そのバッグ」と声を上げた。

「そう、きら子ちゃんが作ったバッグだよ」

 女はジュースをカウンターに置き、笑顔で言った。

「なんで、私の名前知ってるんですか」
「佳男から聞いたの。このバッグ可愛いね。佳男から奪っちゃったよ。この店には置かないの? 私にも何か作ってよ」

 女は矢継ぎ早にそう続け、ジュースの缶をきら子に押しやった。きら子は水滴のついた缶を持ちながら唖然としていた。ぽかんとしているきら子に向かって女はこう言った。

「あ、私はちか。佳男の彼女だよ。よろしくー」

 そう言って、ちかはきら子の持つ缶に缶を合わせた。

 ちかはそれからきら子にぽんぽんと話しかけてきた。ちかは佳男の専門学校の後輩で、今はスタイリストのアシスタントをしていると言った。そうしている内に佳男が帰ってきて話に加わった。

 ちかが、バッグを示してこう言った。

「きら子ちゃんのバッグ、佳男から借りて仕事場に行ったら、周りに『それ何処の?』ってすごい聞かれたよー」

 佳男は、ちかに自慢げにこう答えた。

「そうなんだよ、こいついいよな」

 きら子は、その言葉に小さく俯いた。

 ちかのもの言いはきら子を全く子ども扱いしていなかった。去り際、ちかは、「今度、良かったらうちに遊びにおいでよ」と言ってくれた。きら子は、小さく「はい」と頷いた。こうして大人の女性と仲良くなるのも初めてだ。頬を熱くして、そう思った。


かつて学校に行けなかった中学生だった2022年のわたしのつぶやき

主人公きら子が学校以外の居場所を見つけ始めた回。
このあたりはマンガ『ご近所物語』を思い出しますね。

また、この回から出てくる佳男ちゃんは明確なモデルがいます。きら子と同じように中学生だったわたしに親切にしてくれた下北沢の古着屋のお兄さん。

以前行ったイベントと後日談として書いたnoteにもちらりと出てくる彼は、まさに東京カルチャーお兄さんで、お洋服や音楽や映画のことをわたしにたくさん教えてくれた方でした。

わたしが10代の頃って古着ブームだったんですよ。中学生の頃は70年代ヒッピー風のファッションが流行っていて、ちょうどわたしの母親世代が着ていたロングジレとかプラットフォームブーツがリバイバルしてた。
だから、砧公園など都市部ではない公園で行われたフリーマーケットで古着をいろいろ買い付けて、明治公園や代々木公園などの若い子がよく来るフリマで買い付け価格より高めに売る、ということをしてたら、一時期、月に20万円ぐらいの稼ぎになりました。今でいうせどりみたいなものかしら。

こうやって外に出ることで出会いってあるよね、と本当にしみじみ。古着屋のお兄さんにも、ファッション系専門学校のお姉さんにもすごくよくしてもらった。
今思うと、不登校の中学生を面倒だと思わずに付き合ってくれたお兄さん、お姉さんたちが本当にすごいなって思う。皆さんのおかげでわたしは「世界は広い」「未来はある」ということに気付けたと思います。

今、学校や家庭に居場所がないと思っている子がいたならば、画面の上では少なくともわたしの小説が居場所のひとつになってくれたならいいなとも思うわ。

全12回、引き続き更新していきます。

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私の作品紹介

作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。