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戦争の定義

2020年の春、ロックダウンが始まる前の演説で、フランスのマクロン大統領は「Nous sommes en guerre(戦時中なのです)」と言った。
新型コロナウイルスとの戦争だと。非常時だから、感染がこれ以上拡大しないように、ロックダウンという、人々の自由を大きく侵害する手段を取らざるを得ないと。

1日1時間、自宅から1kmの範囲まで。外出の際は、その理由を記した証明書を携帯する。街には警察官がいて、抜き打ちでその証明書をチェックされた。不携帯が見つかれば、日本円にして17000円程の罰金。1日1時間では、食料品等の買い物か、家の周囲を散歩して終わり。そもそも映画館も美術館もカフェも、日々の楽しみになるような場所は全て閉鎖されていた。
それでも、徐々に暖かくなる日差しを浴びて気分を変えようと、ベランダの小さなテーブルでコーヒーを飲んだり、本を読んだりした。これからどうなるのだろう、という不安が心に拡がっていたのを覚えている。

ウイルスについては、まだ分からないことが多かった。中国やイタリアで出た多数の被害、そして自国の医療現場の混乱が連日報道された。医療従事者が最前線で戦ってくれるおかげで、自分達はこうして生活していられるのだと、毎晩8時には1分間、医療従事者への感謝を表す拍手をしたりした。ベランダへ出ると、近所の老人ホームのおばあちゃん達もそれぞれのベランダで、手鍋など持って叩いているのが見えた。ホームへの訪問は禁止されていたので、8時の拍手は数少ない、人との繋がりを感じさせる場だっただろう。

それから2年が経とうとする今、私たちは未だに終わらない戦争の只中にいるようだ。ウイルスは変異し、初期と比べ脅威は小さくなったが、以前と同じ暮らしは戻らない。

2021年夏、ワクチンパスポートの適用範囲が大きく拡大されたのと同時に、政府とメディアは一丸となってワクチン接種を推奨し始めた。普段この国で声高に言われる"言論の自由"や"批判の精神"は、そこにはなかった。経験豊富な専門家ですら、ワクチンに疑義を呈すると無視されるか、"陰謀論者"と蔑まれた。

非接種者はロックダウン時と同様、様々な場所へのアクセスが基本的に禁止された。医療従事者など一定の職種を除き、接種は任意だ。義務化の法案も二度出たが、その度に国会で否決された。身体への医療行為の選択の自由は大切な権利で、人々の意に反してまで強制する正当性や科学的根拠を示せなかったからだ。結果、10%の非接種者が今も存在する。

この"自分の言うことを聞かない人達"が、マクロン大統領は憎くてたまらないらしい。彼は2022年の初め、こう言った。「Les non-vaccinés, j'ai très envie de les emmerder(ワクチン非接種者など糞食らえ)」。

今まで、政治家が国民を馬鹿にしていると感じたことは日本でも多々あったけれど、仮にも一国の最高権力者が自国民を相手に、あからさまな「憎しみ」を「下品な言葉で直接的に」表現するのを聞いたのは、これが初めてだった。Emmerderは、意味を知っていても、使ったことがない単語の一つだ。語学学校でも教わった覚えがない。Mは一つだったか二つだったか、と思わずスペルを確認するくらいの縁遠さだ。対してフランス語が母語の夫は絶句していた。やはりこの発言はフランス人にも衝撃なのだと思った。

「非接種者と一緒にクリスマスのテーブルを囲めますか」
「非接種者を集中治療室で治療しなければならないのか」

目を疑うようなタイトルがメディアに並んだ。ここまで人権を軽視して憚らないのかと驚いた。日々このようなバッシングを目にしていると、やはり精神的に無傷でいるのは難しい。そして、それを後押しするのが周囲の人達とのやり取り。この政府やメディアによる日常的な差別への、大多数の人の無関心を見るにつけ、疑問が湧いた。この差別は正しい、もしくは受容出来るという認識でないと、無関心でいられないはずだ。何せ毎日のように目にするのだから。差別されるのは(接種しないという)その人の選択の結果であって、受忍すべきという認識の上にしか、その反応は成り立たないだろう。

差別が正しいと思える、その根拠はどこにあるのだろう。一つ言えることは、はっきりとした認識の違いがあるということ。接種した人達は、パスをかざせば、今までとほぼ変わらない生活を送ることが出来る。職を失うこともないし、映画館や図書館にも入れる。外食も出来る。
だから、多分彼らにとっては、政府やメディアは今も"国民を守るもの"であり、"真実を伝えるもの"なのだ。ついでに言えば、非接種者はデマや陰謀論を信じた愚かな人達なのだろう。従ってパスは差別ではなく、公衆衛生上の必要な措置なのだ。例え感染を防がなくても。

認識が違えば、起きている出来事の捉え方も、真逆と言える程に違ってしまう。他国の様子を見れば、接種を重ね続ける国々でこそ、感染が拡大していることが分かる。感染対策を取りやめる国も幾つも出て来た。効果がないからだ。でもこれも、まだ多くの人には伝わっていないように見える。
自分や大事な人を守る為には、今までの認識ではいられない世界になってしまった。戦争の定義も変わったようだ。まさか自分が生きているうちに経験するとは思わなかったけれど。

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