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[ 連載企画 ] モヤモヤする女と、絶望する女

連載企画1つ目のエピソードは、この企画のヒントをくれたカオリさん。22歳で結婚。パートでケーキ店に勤めたことからお菓子作りに目覚め、2011年にカフェを開業。息子は成人し、今は夫と猫と暮らしている。好きなことをしようとすると、心の隅っこにモヤッとと生まれる罪悪感。この罪悪感は一体どこから生まれてくるのでしょうか…というお話です。

Episode1/ カオリさん(喫茶店オーナー)

気持ちのどっか隅っこでなんかいつも「ごめん」って思うんよね。この思いから解放されたい。

記事から抜粋

―カオリさんの「女性のモヤモヤを記事にしてほしい」というつぶやきから、この企画が始まりました。そう思ったきっかけは何だったんですか?

社会を変えよう!とか、そんなんじゃなくて、女性が遊んだり仕事をするときに、ごめんねって気持ちになってしまう、それはなんでかなって思っていたことかな。別にどうしてほしいわけでもないんだけどなんかいつもモヤっとするんよね。このモヤモヤの正体は何でしょう?みたいな、ね。

ー 例えばどんなモヤモヤが?

この間もね、息子が久しぶりに家に帰ってきて、その時、私が二日酔いだったんよ。そしたら息子が「最近、飲みが多くない?」って。その言葉にちょっと傷ついたんよ。なんか私がダメなことをしてるみたいな、ちょっと責められとるみたいな気持ちになったんよね。

ー 息子さんに咎められたような気持ちになった?

そうなんよね。よそのお母さんに比べたら多いんかもしれんけど、お父さんが二日酔いだったとしてもそういう風に言わんと思うんよ、どうだろうか。

それか、息子はただ私の体の心配してくれただけだったかもしれんし、単純に「この間も飲みだったじゃん」っていう普通の会話として言ったかもしれん。そうだったら、ただの気にしすぎ、という話よね(笑)。

でも例えば飲み会に行こうと思うと「家族になんて言おう?」とかね、つい考えてしまう。遊びじゃなくて仕事で遅くなるっていう時も、ちょっといけんことしたような気持ちになるんよ。それって私だけ?それとも普通のことなんかね?男の人もそう思うことはあるんだろうか。

ダンナは私が飲みに行っても何も言わんのよ。なのに、行こうとしたらなんかすごい後ろめたさがある。…こっちの問題なんよね、やっぱり。誰も何も言わんのに「こう言われるかも」とか「世間はそう思ってるはず」と感じるのは。気持ちのどっか隅っこでなんかいつも「ごめん」って思うんよね。この思いから解放されたい。

ー ダンナさんのせいでないとしたら、その「後ろめたさ」の原因は何なんだろう。

うーん、自分が生まれ育った家の環境?育てられ方のせいもあるかもね。うちの母親なんか、自分は父親に口ごたえしたことなんてなかったって言うし、私が遊びに出るっていうと、今でも「え、一人が行くん?」みたいなことを言う。

高校生ぐらいの時だったか、ご飯食べた後もね、片付けるのを手伝えって父親が私にうるさく言いよった。けど、弟には言わんかったもんね。私にだけ手伝えっていう。その時はそのことを疑問にも思わんかった。でも今思うとおかしいけどね、当時は何も思わんかったんよ。

― 女性に突きつけられる妻、母としての役割についてはどう思う?

うーん、子どもって母親に懐くし、子どもが熱を出したらそばにおってやりたいと思う。そこを無理にダンナに「やってよ!」とは思わんし、子どもにかかりきりだった時間もすごい宝物なんよ。

だけど、子育て中はどうしても仕事はバリバリできんし、家におって家事や子育てしても、それは稼ぎにはならんわけよね。「名もなき家事」とかっていい言葉で見つかったなと思ったけど、忙しくて大変なのに稼ぎには換算されないというか。

だからなんか「食べさせてもらっとる」「住まわせてもらっとる」って気持ちになってしまう。そういう気持ちになるのがおかしいと思ってしまうよね。

ー 子育てをほぼ終えた今、ダンナさんとの関係は?

結婚して25年経った時にね、もうバトンタッチしようってダンナに言ったんよ。「子供たちがいなくなったらもう何もせんけえ」って宣言しとったんじゃけど、宣言通りにね。
子どもがおらんかったら、自分たちが生活するための家事だけするんだったら、最初からそういうこともできて、「名もなき家事」に追われることもなかったかもしれんし、忙しさが違ったんかな。「私だけ」って思うこともなかったかもしれん。いや、子どもがいなかったらいなかったで、また別の不満が生まれたかもね(笑)。

ーお店をずっと続けてきて、女性であることで嫌な思いをしたりしたことはない?

それはないかなあ。子ども達はこのお店のことだったら応援してくれとるし。あ、でもそういえばあるお客さんが「旦那さんはおるか」って聞いたけ、おるって言ったら、「じゃあ店は趣味でやっとるんじゃね」って。そう言ってしまう気持ちも分からんでもないけど、なんでそう言うんかな、と思った。もし男の人が店をやってたら、「趣味ですね」とは言わんもんね。

この間、お客さんと仕事と子育ての話になって「子どもが卵で生まれたらいいのにね」って言ったんよね。そしたら育児も分担しやすいじゃん。「この卵、どっちが温める?」とか(笑)。

でも結局、私の話は何を変えたらいいとかじゃなくって、自分が変わればいいだけのことなのかも。だって、社会が「大丈夫よ、女の人も好きにしていいよ」って言ったとしても、こっちの意識が変わってないけ、いつまでも罪悪感があるままだし、もし私がすんごいおばあちゃんになったら、同じ目で「あの人、一人で家族をおいて遊びに行って」って自分もしたくせに思ってしまうかもしれん。

だから自分の意識が変わらんと、社会が変わるよりも先にそっちが変わらんと、拳を振り上げところで、女の人も「え?」って思うだろうね。

なんかよくわからん話になったね。こんなんでよかったんかな(笑)。


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