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生きてく強さ

 私の友人は小学4年生のころ、真面目な同級生から「あなたはもうちょっとちゃんと生きた方が良いと思うの」と言われた経験をもつ。数年後の中学1年生の給食時間に、友人はその面白話を自虐ネタとして班のメンバーに披露した。友人とその同級生を知る私は隣で爆笑していたが、そんな私を横目に友人は冷静に「笑ってるけどさ、あんたも隣にいて一緒に言われたけんね」と言った。びっくりした。全く覚えてなかった。 

 振り替えると小学4年生のころの私たちは、昼休みに家から持参したGLAYのベストアルバムをかけては「千ノナイフガ胸ヲサス!」と叫ぶような奴だった。バカや上にロックバンドにハマる非常にませた小学生に同級生も不安になったのかもしれない。
 
 それでも人は月日の流れとあらゆることを経験することで社会に適応すべく成長することができる。相変わらず風呂場でGLAYを熱唱することはあれど、社会にでてから丸10年、ノンストップで仕事を続けてこれた。就職浪人を経験し、周りよりも遅く社会人になった分、とにかく貪欲にがむしゃらに仕事をし、居場所を作ることに一生懸命だった。気づけばなんとなく世間でいう「ちゃんと生きる」ことができるようになった。 
 
 そんな中、30代半ばになると男女関係なく「将来的なことを考えて転職する」という声をよく耳にするようになった。フルタイムを辞めてパートになった人、結婚や出産を考えて今のうちに転職をしておきたい人、公務員を辞めて自分がやりたいことを目指す人・・・。決断できる子たちが格好よくて素直に羨ましいと思った。同時に自分は大丈夫なのかと不安になった。 
 将来的には結婚したいし、出産もしたい。でも婚活は苦手だし、仕事は忙しいし・・・。性格上、自分の悩みを人に打ち明けられない私は悩みを抱えたら書店に行き、目についたタイトルの本を購入する。このときばかりはマイケル・ジャクソン買い。そこでみつけた1冊。

売れる理由がよくわかる


「あやうく一生懸命生きるところだった」(著 ハ・ワン)


タイトルだけでなく、中身もしっかり良かった。会社を辞めた著者は頑張ることをやめて時々仕事をして過ごしている。そんな著者が紡ぐゆるいエッセイなのだが、今の自分にとてもしっくりきたし、力が入りすぎたからだをほぐすような言葉ばかりだった。本の言葉を借りると、たぶん私は「正体不明のレースで好成績をたたき出そうと必死に足を動かし、しゃかりきになっていた」ようだ。

誰が一番憧れられる伴侶をつかまえられるか。

誰が一番良い暮らしができるか。

誰が一番仕事で結果を残せるか

 スタートの合図も聞いていなければ、ゴールがどこにあるのかさえわからないのに、いつのまにか私の頭の中でだけ沢山のレースが始まっていた。元来同級生から不安がられるくらいふざけた奴なのに。

 思えば小学生時代に関わらず社会人になるまでずっとだらしがないふざけた人間だったのだ。「あの子にだけは試験前にノートをみせたくない」と言われるほどギリギリの出席を攻めた大学時代。あやうくセンター試験の願書を出し損ねた高校時代。周りから薦められ部長になると報告すると顧問から「本当に君が部長になるのか」と不安がられた中学時代。そんな奴が10年も真面目な自分をつくり、謎のレースを開催していたのだから、それはしんどくなるはずだ。

 真面目に生きすぎて、自分を見失いそうになっていた。本当の私は人と競争することが嫌いでやる気のない人間。周りと比較せずに自分のペースで少しずつ進もう。著者も言っている「自分だけのペースとコースを探すことの方がもっと大切だ」と。

 そう思ってこの数週間、欲望に忠実に過ごすと、メンタルは健康だったが、しっかり体重が増えていた。いい加減ほどほどを覚えなければ。



 
 


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