100捨ての向こう側に見えた、モノと心の整理法
「モノが捨てられないのは、執着心があるからか。」
2023年の締めくくりに初めて100捨てにチャレンジに参加して、大きな発見だ!と感動していたら、そもそも断捨離がこのように定義されているようだ。(すいません、言葉だけ知っていて思想を知らなかった!)
「断捨離」とは、やましたひでこさんが提唱した思想(著:新・片づけ術「断捨離」)で、単なる片付けとは異なるものとされている。
私自身、モノを捨てる作業(断捨離)に3ケ月ほど向き合うことで、いくつかの気づきがあったので纏めておこうと思う。
まず、モノを捨てながら、人間の執着心のすごさをヒシヒシと感じている。例えると、若い頃のあの感覚。もう好きでもないけど、何となく付き合ってるみたいな?(違うか)
「あの時の〇〇だから」「いつかまたXX」という心の声は、勿体ない精神だと思っていたが、何かを失うことを恐れてるのかもしれない。この気持ちに気づいたと同時に、こういった気持ちは歳を重ねるにつれて大きくなっている気がした。
歳を重ねるたびに増える、失うことへの恐れ
なぜモノを捨てられないのか?大きな理由を考えてみた。
1.過去の記憶や感情の結びつき
手に取っていざ捨てようとしたら、一気にこみ上げるものがある。
「あぁ、これはあの時の…」
たった今私が捨てようとしているコレは、たしかに私(と家族)の人生の一部であった。誕生日にもらった/あげたモノ・おねだりして買ってもらった/あげたモノ・旅行先で迎えたモノ、など。他人から見たらだたのモノだったとしても、私には特別な意味を持っている。
きっと、それらを手放すことは過去を捨てることに感じられ、失うことへの恐れが生まれるのだろう。
そういえば去年、23年ぶりに手放したモノを思い出した。
初めての彼氏にもらった誕生日プレゼント、今でも使えるおしゃれブランドの「マフラー」。捨てられず、アメリカ駐在にも持って行ったのだった(笑、どんだけ!)今思えば、あれも過去の記憶や感情がしっかりモノに宿っていたのだ。
2.まだ見えぬ不安感
「もう、他では見つからない "かもしれない"。」
今捨ててしまったら、もう二度と代わりが見つからないのでは?まだ見えぬ不安感を持っている自分にも気づいた。確かに全くの同一物は見つけられないかもしれないけれど、普遍的なものは色を変え形を変え、ずっと世の中に存在しているではないか。
歳をとるにつれて、「あの時のアレ」にこだわっている私がいた。
その反面、アレの出番はほぼ無いことが多い。大事にしまわれているだけで、暮らしの中でずっと忘れられている。今手放したら、新しい風を取り入れるチャンスにもなる!そう思ったら、少しのワクワクでお別れができた。
3.執着心と所有欲
数年前にちょっと背伸びして買ったモノたち。雑誌でみたアレや、友達が持ってたソレ、流行りのモノを持つことで、自己満足を得ていた。
20代後半から30代前半は、所有することで「仕事を頑張ったご褒美だ!」と自分の存在感を感じたものだ。
ちょっといいものを買ったから…という執着心は結構根深いもので、もう2年も着ていないのに、もう3年も持ち歩いてないカバンなのに、捨てられない…。なぜなのーーー!!と頭を抱えたときに、再度やましたひでこさんの言葉を思い出してみる。
凝り固まってしまった心を開放。
「うん、したい!」
身軽で快適な生活を手に入れる思想。
「うん、身軽で快適になりたい!」
やはり、今が手放す時だと思えた。
ただポイと捨てるのは、当時頑張った自分を否定するような気持になったので「寄付して循環させる」ことで報われた気持ちになった。
断捨離する前とした後の、違い
上記で述べた3つが、主に私が考えるモノを捨てられなかった理由である。(断捨離を始めた頃は、これらの理由に全く気付いていなかった。)
今回の100捨てチャレンジを通じて、自分自身と向き合いながらモノとの関係を見直す機会となった。今の私に必要なものと不要なものを見極める力が養われたという実感がある。
定期的に断捨離を行うことで、モノに対する執着心が減り、心のゆとりが増えるかもしれない。つまり断捨離は、モノを捨てるだけでなく、自分自身の心の整理もする絶好の機会なのだ。
今後もよりシンプルで豊かな暮らしを送るために、断捨離を続けていこうと思う。
モノに執着しているな…と感じたり、生活や思考に制約を感じているのであれば、ぜひ断捨離を試してみてくださいね!(ほんとにオススメ)
最後に、今回100捨てチャレンジの場を提供くださった友人に感謝の気持ちを込めて♡
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