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自分が死ぬ時、「よくやったな」と褒めたい。

いつもご愛読、有難うございます。

永遠のテーマ「人間はなぜ生まれるのか?」。別に深い意味はないように思う。哲学者なんかが色々言ってるが、誰もその理由は分からない。分かっていることは、「生まれたらいつか死ぬ」と言うことだけだ。

人生の永さも人それぞれ。みんな「死ぬのは嫌だな〜」と思っている。何故か?誰も何時死ぬか分からないから。そして自分が死ぬことよりも残された家族・友人・知人やらが自分の死を悲しむんだろうな〜?と勝手に思っていて、それが心配だからだ。

死んでしまえば自分はどうでもいい。痛みも苦痛も悲しいことも無いんだろう。死んでしばらく死後の世界を生きて(変な言い方だが)戻ってきた人間なんていないから、誰も分からない。

いつ死ぬか分からないから「一瞬一瞬を生きよう」「明日死ぬかのように生きよう」と言う。でも、あくせくしても慌ててもしようがない。自分にできることをゆっくりと楽しみながらやる。それしか無いと思う。

若くして死ぬ人、憎まれっ子ながら長生きする人。みんな生きている間は金持ちでもそうでなくても何とか頻繁に幸せを感じたいと思いながら生きている。幸せの感じ方も人それぞれだ。大金持ちが皆幸せか?成功者だけが死なないで済むのか?お金をたっぷり稼いでも結構。慎ましく自分の好きなことだけに没頭しても結構。

多くが必要な人、少しでもハッピーな人、健康でも不満な人、不自由でも充実している人。誰がどうやって出来るだけ「幸せを感じる時間を持つ」「安らかで平安な気持ちをどうやって得る」かは人それぞれだ。
置かれた状態、与えられた肉体的条件・精神的条件で「いかに心で笑いながら生きるか」を繰り返す。誰も損も得もしていない。

不公平に見えるのは精神のレベルが低い人間に対してだから、気に留めることもない。みんなと同等の暮らしがしたい。認められたい。それは誰かが誰かに対しても持つ怒りと嫉妬でしかない。それもあの世には持っていけない。なら、捨ててしまおう。

他人が死んだ後は自分のことで精一杯だ。それの繰り返しだ。せめて生きている間に心で笑えるようにしたいと思う。死んだ後に「いつも幸せを感じ笑って生きることが良いこと」かどうか、分からない。この世に生きている今だからそうすることの方が、自分的に気分が良いだけだ。だったらそうしよう。「朱に交われば赤くなれ」「長いものには巻かれろ」。

そして自分が死ぬ時に(死ぬ前でも後でもいい)「あ〜、お疲れさん。けっこうよくやったな。自分に乾杯だ〜」と思えばそれでいいんじゃないか。

自分の人生は自分のものだ。どんな人生であれ、最後には自分を褒めたいと思う。そして誰に対しても「よくやりましたね〜」と尊敬を込めて言いたい。なぜ生まれるのか分からないけど、みんな誰1人として無駄な人生を過ごした人なんかいないのだから。その人なりの人生を全うした。素敵だと思いたい。