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自分が面白いと感じたものは、普遍的に面白いのか?

企画の力を身に付けるための連続講座「言葉の企画2020」
今年7月、テレビ朝日のディレクター、芦田太郎さんをゲストに迎え行われた回の講義「テレビの企画」に参加し、その感想として書いたnoteです。

「テレビの企画」と聞いて、ザワザワしました。

テレビの世界は、自分にとっては昔も今も「憧れ」であると共に、何度も逃げたり戻ったりしていて、何か因縁を感じる存在なのです。

すみません、自分のことを書きます。

(2011年春〜)

大学卒業後、番組制作会社に就職し、某ゴールデンのレギュラー番組でAD(アシスタントディレクター)をしていました。全国各地の情報を扱う番組で、ほぼ隔週でリサーチ、地方ロケ、スタジオ収録、編集作業を繰り返す日々でした。

自分が面白いと感じたものは、普遍的に面白いのか?

今回の講義で、芦田さんが仰ったこの言葉。

番組のコンセプト自体が、まさにこの面白さを問うことでした。日本各地に散らばるニッチな話題・ソウルフード・県民性などを、面白おかしくタレントにプレゼンすることが、この番組のストロングポイント。

しかし当時は「なんでこんなネタ調べないといけないんだ…」と感じることも多かったです。エンタメど真ん中を憧れていた自分が、辺鄙なお店を取材している。面白さや、やる意義が理解できなかった。しかしそれでも番組は毎回高視聴率を取り、それが正しいとされた。

そんな生意気マインドをこじらせた自分は、典型的な「使えないAD」でした。ディレクターに何度も怒られる、ロケ中に居眠りする、タレントにお茶をこぼす、テロップの県名をミスったまま放送に乗せる、専門家にこちらの意図したコメントを喋ってもらおうとして怒らせるなど…枚挙に暇がありません。

結局、3年経ったところで「同じことばかりでつまらない」「これからはネットだ」と、カッコつけて辞めました。もうテレビ(特にAD)はしたくない、できないだろうと、思っていたかもしれません。

(2014年春〜)

その後、会社紹介や商品PRなど、主に企業案件の動画ディレクターになりました。テレビと距離を置き、Webや広告界隈の空気を感じながら仕事をしていましたが、やっぱりテレビへの未練はありました。アルバイトでADやエキストラとして、いろんな番組の現場に潜入しました。某国民的昼番組の最終回、某格付け番組の椅子運びなど…。収録スタジオの空気感を、傍観者的に味わえることが楽しかった。これはAD時代にはできない経験でした。

それに、動画ディレクターの仕事をやっていると、AD時代の経験が生かされていることに気付きました。台本の書き方、インタビューの聞き方、撮影の仕方、ロケ場所の見つけ方など…ほとんど見て勝手に学んだことでしたが、それが役に立っていました。

テレビを辞めた2014年当時、テレビ番組のコンテンツや制作現場は、まだWebやSNSとはあまり交わっていませんでした。しかしその距離は急速に縮まり、2016年頃には企業や自治体のWebCMが注目されるようになり、多くのYoutuberもブレイク。テレビへの露出が増え、そのノウハウや威力を求めるようになりました。

(2019年春〜)

2度目の転職をし、主にYoutubeやSNSを使ったPRや動画制作を手掛けていたところ、ある番組のWeb周りのコンテンツ制作に関わることになりました。

週1でテレビ局に通い、SNS向けの動画や記事を制作。その過程で番組本体の台本や編集素材などの資料も共有されていたので、どんな風にやっているのかチェックしていました。

それから半年ほどたったところで、Web施策との相乗効果を図る観点から、「生放送をやりませんか?」と、8月に予定している回の番組制作(しかも生放送)のお誘いを頂きました。ADを、テレビを諦めた自分にこんな形でチャンスが回ってきました。

しかし、そこからの半年間は想像以上にハードでした。

当初企画は「プロゲーマー」について特集することで進みました。Youtubeでゲーム実況動画が盛り上がっており、特に人気のプロチームやゲームタイトルをピックアップしようとしていました。まだテレビでは露出が少ないが、WebやSNSでの若者人気は圧倒的。これは自分たちの得意なジャンルだし、面白いから番組にすべきだと考えていました。

取材や出演者候補へのヒアリングも進み、具体的に番組の構成を詰めていく段階でした。しかし、その途中で番組プロデューサー判断で企画自体がボツになりました。

一番の要因は、ゴールデン帯の生放送という場所でやるには、ちょっとマニアックすぎた。コア視聴者である10代やその親御さんには、ハードルが高すぎるという判断が下されました。

自分が面白いと感じたものは、普遍的に面白いのか?

再びこの言葉を引用しますが、ここでテレビとWebの違いを思い知ることになりました。いくらYoutubeで、若者の間でバズっていても、テレビという舞台に載せるには、マニアックなままではいけない。普遍的なものとして伝わるように、見せ方や演出、出演者の選定が必要なのだが、この企画(ネタ)では、それができなかった。気づけなかった。

(2019年夏〜)

8月の放送日を秋に延ばし、結局番組側から提案いただいた別の企画を受け持つことになり、取材先である静岡や茨城の高校に何度も足を運んで取材、撮影をしました。

ところが、今回アサインした外部のディレクター2名が相次いで途中離脱。さらに取材・編集以外のさまざまな業務が後出しで発生し、社内リソースを使っても捌き切れないほどの仕事量となり、疲労やストレスはピークに達していました。

自分が面白いと感じたものは、普遍的に面白いのか?

取材した映像の編集や、生放送の台本作成では何度も番組プロデューサーにダメ出しをくらいました。おおむね、この言葉通りの指摘でした。自分で見ても、確かにどこかピンとこない。引っ掛かりがない。

しかし、本番ギリギリまで修正を重ねました。VTRの途中でクイズや資料映像を出したり、スタジオで実演を見せるなど、オーソドックスなテレビの演出を施すことで、見違えるように「伝わる内容」に変換されていきました。

迎えた本番の日、生放送は大きなトラブルもなく終了しました。しかし、最終的に会社を辞めました。

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テレビは最強のドリームエンタメで、お祭りだと思っています。関わってる人数も金額も違う。テレビだからこそ強行突破できることもある、人や企業も動かすこともできる。

しかし、自分の面白さやセンスだけでは通用しない、厳しい世界でもあると思います。実は昨年の生放送には、スタッフとして映画クリエイターやYoutuberとして活動しているメンバーも加わっていました。しかし、テレビの作法には、なかなか馴染めていませんでした。「普遍的な面白さ」への問いが、それを普段追っていない彼らには備わっていなかったのだろうと思います。

自分が面白いと感じたものは、普遍的に面白いのか?

もしかしたら、またテレビ番組を作るかもしれない。作りたくなるかもしれない。その時には、この言葉を大事にして、自分の経験をしっかり周りの人間にも分かち合って、なるべく楽しんでやれたらいいなと思います。



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