ジュリー・オリンジャー 『溺れる人魚たち』

★★★☆☆

 短篇小説を一冊読めば、その作家のことが大まかにわかる。

 無駄を省いた上でまとめあげる技術、物語を書くためのアイデアや舞台設定、文体、ヴォイス、モチーフ、テーマ……短篇小説を一冊書くには、そういった要素を作品ごとにまとめ上げなければならない。そうしてできあがった作品群を読むと、その作家の力量、方向性、世界観の概略をつかむことができる(もちろん、長篇小説を一冊読んでもその作家のことを理解できるのだけれど、わかり方が微妙に異なる)。

 その意味で、短篇小説というのは一人の作家の見本帳のような趣がある。一つひとつ異なる何本かの話を読むことで、共通したテーマやモチーフ、持ち札の幅が見てとれるからだ。それが処女作であれば、なおさらである。

 ジュリー・オリンジャーの『溺れる人魚たち』には九つの短篇が収録されている。それぞれ人称も視点も異なるが、総合的にみてオーソドックスな文体だ。ヘミングウェイやレイ・カーヴァーのように切り詰めてはいないし、トム・ジョーンズのような過剰さもない。的確な説明と描写、適度な比喩が物語の流れを阻害することなく紡がれている。情緒に流されたり、説明的になりすぎたりもしない。必要なものを必要な分だけ使って書かれている文章の心地よいバランスがある。

 それは各篇にふさわしい文体で書かれているからだろう。たとえば、『あなたに』は(おそらく)成長した私が、六年生の自分に向けて語りかける文体で書かれているが、この二人称が物語の性質にぴたりとはまっている。一人称でも三人称でもないことで、そこには過去の自分という測りがたい距離にいる相手に向けた複雑な感情——厳しさと優しさと悔悟の念とが入り混じっている——が醸し出されている。
 
 九つの作品に共通しているのは、思春期の少女だけが直面する感情の揺れだろう(中には思春期とは言えない年齢の主人公も出てくるが)。未だ安定しない精神が経験する痛みや傷がひりひりするような筆致で描かれている。
 幼少期や思春期では、人は小さな世界で生きることを余儀なくされる。大人の庇護の下で生きるとは、生きる世界を選べないことに他ならない。そして、成長過程における心は剥き出しの皮膚のように過敏だ。大人にとっては些細なことが少女の神経には障る。
 成長するにつれて、いつしか皮膚は分厚くなり、かつての繊細さを失ってしまう。しかし、ジュリー・オリンジャーはそのような瞬間を丁寧に洗い出し、鮮やかに描き出す。読み進めていると、思わず息が詰まりそうになるほどにありありと、不安定で未成熟な精神が味わう痛みを描く。

 具体的なことをいうと、ごく小さなエピソードの選び方が上手い。靴擦れがする、家の中が荒れている、普段と食べ物が違う、チケットが見つからない、そういった話の本筋とは関係ないシーンを挟むことで、思春期特有の据わりの悪い心情が作品内のトーンに加えられている。

 読後感のよいハッピーな作品ばかりではなく、かなりビターなものもあるが、どれも完成度の高い作品に仕上がっている。思春期を通過した人であれば、呼び起こされる感情の揺れや息苦しさがある。軋轢、劣等感、嫉妬、挫折、不和といった通過儀礼としてのネガティヴな要素を、真っ正面から見据えて描いているからこそ、読み手は物語の人物たちと同じ経験をする。

 優れた物語に沈み込んでいくとき、読者にはそういったことが起きる。

この記事が参加している募集

#推薦図書

42,616件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?