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自分という壁から、自分自身を解放せよ。

常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクション

18歳か、、
この言葉を言葉通りに受け取るとするならば、偏見など全て取っ払えているのかなと思う。コレクションすらしたくない。
全く違う人生を歩みたかったし、二度と経験したくないいし、見たくもないから。

18歳といえば、気学でいうと、九つの生き方を2周廻った時。

私自身は、悲しいこともあれども、嬉しいこともたくさんあった。
非常識の中、理不尽な中に生きて来た。
(その後19歳から27歳までの生き方は、自ら常識外れでね!)

そのため、当時の常識人が行う、非常識に対する嫌悪や、白い目対応も何度か受けている。笑

一方、生き方として、色々なこと教えてくれた人、伴走してくれた人のことは忘れられないし、更生の機会に出会えた恩がある。

その、非常識で理不尽な世界と、常識や正当な世界を経験した上で、改めて、「常識だから」ということについて考えてみた。

普通は、とか
仕事だからとか
プロなら
時間は限られているんだから
前はこうだったから
苦手だし

という壁の範囲はあまりに狭すぎる。

その壁を取って、言葉を広げてみたい。
あの人だったらどう考えるかとか、真逆の考えを出したりする。

「自分が正しい」とか、「なんで言ってる事がわからない?」と、自分の常識を譲れない気持ちになっている時は、1辺からの常識に囚われているから、自分の本心や、深い考えまで掘り下げて考えれていない。

通り一辺の常識じゃなくて、思いやりとか、愛情
道理、筋とか、人情、自然の摂理、宇宙の真理を探り、経験していくと、人間はよく考えるようになる。

「自分はこうだけど、あなたはどうかな?」と
相手が喜ぶこと、相手の価値を上げるにはどうしたら良いかを考える事ができて、やっていくうちに、物事は、相手が受け取ったものが全て、相手の中で完成する事がわかる。

常識というものに人生を預けると

自ら考えるという生き方をしなくなる。
考えることをやめてしまえば、硬く、古くなって老化していく。
他と同じでいれば安心し、かと思えば責任から逃れるために、相手の対応や状況に文句を言う。それは自分の人生を手放してるようなもの。

時間や、約束、言葉、お金の道理などは自然界に習って見るといい。

人間が作った常識で、1番やっかいなのは・・・

常識から外れた時に対応できないこと。

仕事しなかったら、やることがないとか
仕事を取ったら、遊び方がわからないとか
時間が急に空いた時の有意義な使い方
専門域ではない分野で創造性を必要とするとき
全く新たなことをやるとき
得意なことを褒められた時

多くの人は反応対応できないし、拒否しようとする。

宇宙自然界の道理や摂理をみれば
発想できるし、何より暦があり、太陽がある。


実際に、生き物や植物、山、海などに触れた時の自分自身を知ることで、心の形成もできる。キャンプや自然の近くにいれば、夕暮れの気温や空の色で、「そろそろご飯にしよう」と思うし、雰囲気がいい。
朝日が昇り、鳥の声が聞こえれば「朝だ」が気持ちよく体感できる。

常識に抑圧されて息苦しく生きるぐらいなら
感覚を磨いて、感じる世界を愉しんだらいい。

あ、この記事の最後に、もう一つ

常識外れなことをしたからと言って、相手に迷惑がかかるという考え方ではなくて、自分の生命を活かそうとすることと、周囲に生かされていることを忘れないで欲しい。そこは、それこそ世間体ではなく、自分の生命なので。

自分という壁から、自分自身を解放しよう。

久保有規依でした!


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