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ヒトの持つ可能性を信じる大いなる人間讃歌【教育は遺伝に勝てるか】安藤寿康

「親ガチャ」という言葉がある。
あなたはこの言葉が嫌いだろうか?

嫌いと答える方が、どちらかというと「正しい」かもしれない。
「親の心子知らず」という儒教的な観点からしても、「努力次第でどんな人間にもなれる」という教育学的な観点からしても、きっと親ガチャという言葉は正しくない。

しかし元はといえば、この言葉は「正しくない」と断ぜられるような人たちのものではなかったはずだ。
「親ガチャ」とは、毒親育ちの人間が自らを慰め、鼓舞するための言葉だった。それがいつの間にか市民権を得て、他責の言葉として用いられるようになっていた。

さらに言えば「毒親」という言葉だって、元々は児童虐待の文脈で使われていた言葉なので、誰もが安易に使うようになった近年の状況は少し違和感を覚えないこともない。
「毒親」という言葉を作ったスーザン・フォワードの『毒になる親』(原題『Toxic Parents, Overcoming Their Hurtful Legacy and Reclaiming Your Life』)が刊行されたのは1989年である。
児童虐待や子供の権利といった概念がそこまで一般的ではなかった当時、身体的虐待のみならず、心理的な虐待までフォーカスした上で、虐待を受けた当人のための道しるべを作ったという点で、この本は画期的であった。

その後、研究が進んでいく中で、次第に「家庭における生育環境は子供の成長に非常に重要であり、大人になった後も強い影響を受けている」という考え方は一般的になっていった。

しかし、自分で選ぶことのできない生まれ育った環境で将来が決まってしまうのならば、そんな絶望的なことはないではないか。
「親ガチャ」で将来が決まってしまうとしたら、ガチャに外れた時点でその人生は「詰み」なのか。

そんな疑問に対して、1つの解答をくれるのがこの本である。

著者の安藤寿康氏は、行動遺伝学を専門とする研究者だ。

この本では「いかなる能力もパーソナリティも行動も遺伝の影響を受けている」という行動遺伝学の原則を解説していく。

全てが遺伝といえば、それこそ「親ガチャ」ではないかと思うかもしれない。

しかし、実際はそうではないと安藤氏は説明する。
どの形質の発現にも、多くの遺伝子が関与しており、さらにその組み合わせはランダムであるため、子に遺伝する遺伝子の組み合わせには非常に大きなばらつきが存在するのである。また、個人の経験によっても遺伝子の影響の現れ方は異なってくる。

ヒトはどんなときでも、環境の言いなりに生きる存在ではなく、遺伝の影響を受けながら環境に対して能動的に自分自身をつくり上げている存在であることがわかります。

『教育は遺伝に勝てるか』P7 

遺伝子が人間にとって非常に大きな影響を持っているということは、きっと科学的に間違いないだろう。でも、それは自分がどのような人生を選びたいか、どういう風に在りたいかという点に対しては何も関係がないのだ。

この本は、結局教育は遺伝に勝てないという結論を導きながらも、その科学的事実を全くネガティブには感じさせない。
むしろ、自分の中から湧き出る力の源を肯定してくれるような心地よさがある。これでいいのだ、自分はこれでいいのだと。

動物の行動が、その姿かたちと同じように進化の過程でつくられたこと(つまり遺伝子によって作られたこと)を明らかにし、ノーベル生理学・医学賞を受賞した動物行動学者のコンラート・ローレンツは、行動が遺伝の影響を受けていることを知ることが、行動の理解を貧しいものにするわけではないことを、「虹の色が光のスペクトラムによることを科学的に知らされても、虹を美しいと感じる心に変わりはない」と言い表してくれています。何より遺伝子はあなたを操る外部からの侵入者なのではなく、あなたという存在をつくり上げているあなた自身のおおもとなのです。

『教育は遺伝に勝てるか』P70

自分を自分たらしめるもの、それが生まれた時から自分の中に存在しているということは、とても心強い事実ではないだろうか。

環境に恵まれなくとも負けずに戦っている時、才能の限界に絶望しつつも諦め切られない時、子どもと向き合い、親は何が与えられるのだろうと悩む時、きっと勇気づけられる1冊になるに違いない。

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