0520/わたしは の 隙間(女の子だったら緊張する、という話)

結婚だとか妊娠だとか、女性のライブイベントの一大事に「わたしは」スパイラルから上手いこと逃げ込んだような気がしてならない。

プロポーズされた日からシナリオの教室に行かなくなった。何者かになりたくて、何か書けるようになりたくて駆け込んでいたのに、書けなくて書けなくて書けなくて、ふっと逃げた。

自分のこと、ふと気がつくと、蔑ろにして「てきとう」に誤魔化そうとしている瞬間があると気がつく。

悪くない、どんどんと鈍くなっていくことは決して悪いことだけではない。にぶく、ゆるく、しあわせだけを感じるという手もある。たぶんそれもできなくはない。

夫からしてみたら
「悩みのなさそうな」わたし。

「これもまたよし」と自分を肯定することに、どうもなれている。よくも、わるくも。

でもふと、真剣に、ヒリヒリするほどいまの自分と向き合っている人の言葉に触れる時に

「ああ、わたしは」

と、ちりちりと心のどこかが鳴く。

………
お腹の子の性別はまだどちらかわからないけれど、(今週末うまくいけばわかる予定)なんとなく、女の子だったらちょっと緊張する。

もちろん男の子だってそうなんだけれど、
女の子だと、余計、緊張する。

なんでかな。
「お母さんみたいになりたくない」
って言われるのがこわいからかな。

わたしも思春期にそれを口走ったこともあった。でもいまはちょっとだけお母さんみたいになりたくもある。ちがう人間なのだから、ちがう部分もあってそれもよい。だからこそ尊敬できる。(と、わかるのは親元を離れてからで)


……
それにしたって自分のことどうでもよくなりそうなくらいお腹の中のぴこぴこしているものが愛おしい。すでに、びっくりするくらい、愛おしい。

でも自分のことにこだわらないと。

その微妙な狭間を、
まだぼんやりながめている。


トムヤムクンヌードルをすすりながら。

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