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偉そうに掲げた会社のビジョンに、自ら苦しむ男の話。

会社が創業してから10期目を迎えた。
10年という時間が流れるのは、実に早いものだ。

世間で言われているベンチャー企業の生存率を言うと、創業から5年後は15.0%、10年後は6.3%。20年後は0.3%となるらしい。
確かに、起業しても5年後になくなっている会社、よくあるかもです。

「起業ってどうなんですか?」と聞かれた時に、よく「作るのは本当に簡単」と答えている。
本当にそうだったからだ。しかし、継続していくのは大変

よく「経営」をいろんな事に例えて言うけれど、ガーデニングや農業に例えるのが、自分としてはしっくりいっている。
そう、手入れが大切だよな、経営って。
一生懸命手入れをしてても、天気に左右されたりもするし、思うように育てるのは大変。
すごく地道な仕事だなと思う。

だから本当の意味の経営者って、すごく地道な事が好きな人なのかな、とも思う。
自由気ままに生きたいなら、経営者じゃ無い方が良いと思えてくるのだ。
まぁ、いろんなやり方があるので、一概には言えないけれど。

とにかく、何やるにしてもそうだけど、長く続けていくという事はそれだけでも価値と言える。私の会社だって、10年も続いている事はちょっとは自慢してもいいかもしれない。

経営にはもう一つ、「地道に手入れをする」こと以外にとても大事なことがある。
それは「ビジョンを掲げる」という事だ。

ビジョンを掲げるというのは、世の中とどうやって関わっていくか?という大事なことである。
そして会社である以上は、このビジョンが大切だ。
社員も、顧客もこのビジョンが引力となって経営がなされていく。


ビジョン、ビジョンと言ってるが、よく言われる「目的」と「目標」に置き換えるとわかりやすいかもしれない。
ビジョンとは目的であり、身近な成果を上げていくための目標とは違う。
ではその「目的」とは何だ?ということになる。

自分として一番しっくりいってる考え方は、目的とは「幸せな状態」という捉え方だ
だから経営者は、どんな状態が幸せなの?と、会社としてイメージを捉えていなければならない。

意外と、会社でなく自分個人のことであっても、この幸せな状態のイメージを具体化できてない人もいるんじゃないのかな。
「あなたの幸せな状態を教えてください」と言う質問にスマートに答えられる人は、しっかりと目的を持った、ビジョンを掲げた人だと言えるのかもしれない。


さて、自分の経営するSUGOIの社会との関わり合い、会社としての幸せな状態=ビジョンは、「愛とアイデアの溢れる世の中を作る」である

このビジョンをしっかりと捕らえられたのは、お恥ずかしながら起業時ではなかった。
「愛とアイデアのある会社」とタグラインをつけたのが、なんと7期になってから。
そして、「愛とアイデアの溢れる世の中を作る」というビジョンを掲げたのが9期からになる。
自分の中では起業する前から当たり前のように思っていたことではあったが、言葉として会社のビジョンと合致させるのに、それほどの年月がかかったということだ。


そして10期目になり、経営者である私が今思うことは、「愛とアイデアの溢れる世の中を作る」というビジョンは、完全に実現はしないだろうという事だ。

え、なに言ってんの?と思うだろう。
自分からちゃぶ台をひっくり返すようなことを言ってる自覚はあるので、この真意については誤解を生まぬよう、経営者として責任を持って、ちゃんと説明しておきたい。


会社としての、目的やビジョンは揺るぎなく「愛とアイデアの溢れる世の中を作る」である。
このビジョンは、とても大切にしている。
そして、大切にしているがゆえに、実は私自身の中で悩みが深まっていたのだ。

経営というのは否応なく、心の中に二つの人格を持つことになる。
一つは個人としての人格であり、もう一つは経営者としての人格だ。
会社というのは個人よりもできることが大きいので、ビジョンというのも明確に設定しやすいし、意識の高い、正解じみたことを発信しがちだ。

だが個人としては、この感覚に常に違和感がある。
会社で掲げる「幸せな状態」というのが、「愛とアイデアのある世の中を作る」という「have done」を目的にしている一方で、実は個人としての幸せをよくよく考えてみると、会社のビジョンが実現しているゴールの状態よりも、むしろ「愛とアイデアのある世の中を作ろうと挑み続けている」状態、つまり「be doing」なのだから。

だから、いつもビジョンを語るたびに違和感を感じる。
社員の前で、私はこのビジョンをどんな気持ちで伝えていけば良いのか?
社員だけでは無い、顧客やSNS、このnoteの上でも、そうだ。
おそらく、私の身近なところで言えば、私は誰よりもこのビジョンを強く持っているのにも関わらず。


私の幸せな状態とは、ゴールを迎えるより、ゴールに向かって挑み続けることなのだ。
つまり、私が生きている間は、「愛とアイデアの溢れる世の中を作れた!」と満足することは絶対にない、ということになるのだ。

こんな個人の思いと、法人格としての思いとの間に、どうやって折り合いをつけようか。
色々と考えてみた末に、それは「体験価値の共有」という考え方で、少しは寄り添い合えるのではないか、という思いにようやく至っている。


「愛とアイデアの溢れる世の中」を作り切ることはないが、作ることに挑み続ける時間の体験価値を、私は私と関わる仲間たちと共有したい
これを今は本気で思っている。
この思いに集中することが、今やるべきことだと思っている。

会社の目的やビジョンと、経営者個人のそれとの間には、少しギャップがあっても良いのかもしれない……そう思った10期目のスタートだった。

だから、自分のように深く考えすぎるのかもしれないタイプの経営者の方々も、大きな目標を掲げすぎてるな、と悩まなくてもいいんだと思う。
ゴールをコミットしなくても、挑み続けると言うことを価値として見てくれる仲間は、きっといるはずだ。

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