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否応無しに出てしまう性質

子供の時の否応無しに出てしまう性質というのが、
その後の人生の基盤になると、この歳になって身に染みて思う。

私の子供時代を一言で総括するならば、それは「逆転ストーリー」の連続ということである。

エピソードとして真っ先に思い出すのが、毎年定例の「マラソン大会」である。

6年間を通して表彰されるほどの成績を残したのだが、
この話はいわゆる「スポーツが出来るでしょう」といった自慢話では決してない。

マラソンというのは、ペース配分などにしっかり配慮できる合理的な人が優位になるスポーツだが、私のスタイルというのは、そういう意味ではとても非合理なのだ。

幼い私の頭の中にあるのは、誰よりも早く駆け続ければ1等賞になれるという単純な考えのみ。

なのでスタートの合図と共に誰よりも勢いよく飛び出し、まるで短距離走かのように猛スピードでダッシュする。
歓声に沸くグランドを風を切りながら意気揚々と一周し、このままの調子で行ったらとんでもないことが起きるのではないか!?と一人で予感に胸をワクワクさせながら颯爽と公道に飛び出す。
本当はあの歓声の中には「あらあら」という意味も混ざっていただろうというのに。

その「あらあら」は、公道に出てからすぐに現実になる。
当然体力を人より使ってしまった私のスピードはみるみるうちに落ちこみ、後続のペース配分を合理的に考えた真の実力者達が次々と私を抜き去っていく。横っ腹の違和感を抱え、顔を歪めながら必死に耐える中盤の戰い。
淡々とペースを保ち、走るのがとても苦手なのだ。

ところが、角を曲がり、ゴールまであと100メートルの直線、私の中でどこに残っていたのか?突如、力が湧いてくる。
勝ちたいという気持ちから生まれた、火事場の馬鹿力というやつだ。
突然走力はトップギアに入り、再び短距離走かのような猛ダッシュが繰り出される。
尋常ではない。
前を走る20人を、「一人短距離走」はごぼう抜きし、一気に逆転ゴールした。

スタート、ゴール付近で観戦をしていた人からすると、この子に何があったのか?といったところだろう。
いずれにせよ、猛ダッシュする姿しか見てない。

ペース配分を考え、合理的にゴールまで進めるのがとても苦手。
その代わり、とても非合理なのだが波を打つような展開で逆転ストーリーを描いてしまう。

我ながら愚かだと思うが、このスタイルを6年間も続けてしまった。

そんな意図せず生まれてしまう「逆転ストーリー」が私の核になっていると思う。

この逆転野郎のDNAは、小学校生活のそこかしこに顔を出した。
普通にやろうとしていてもつい「逆転」に持って行ってしまうのだから、周囲どころか自分自身もスリル満点である。
当然、うまくいかずに砂をつかむような出来事も多々あった。

けれどこの逆転がきれいに決まることもあり、そんなときの喜びはとてつもなく大きかった。

当時私が住んでいた地域では、スポーツ少年は野球部に入るのが定番だった。御多分に洩れず、私も野球が好きだし得意だったが、なぜかそれよりサッカー部に惹かれた。

今では花形スポーツのサッカーであるが、Jリーグ開幕前のサッカー部はまったく人気がなく、11名のメンバーすらもままならないような状態だった。
そのメンバーも、練習方法どころかルールさえ危ういやつばかり。
「がんばれベアーズ」のように人から頼まれたのならいざ知らず、自分から入ろうと決めてしまったのだから、ここにも無意識に逆転野郎の嗅覚が働いていたのだろう。

3年生で入部した私は、この弱小チームがなぜ弱いのかを全身で感じながら練習していた。チームの弱さの根幹には、「負けてもいいや」というメンタルがどっしりと居座っていた。試合をすれば、見事に全戦全敗。
逆転が大好きだった私に、チームプレーは一人勝ちを許してくれなかった。

そんなフラストレーションを溜めてようやく6年生になった私は、すぐさまキャプテンに立候補し、チームを編成する権利を手にした。

まずは、下級生の仲間を集める広報活動だ。
6年生にもなれば「あの逆転野郎」として広く認知されていた私の呼びかけには、鬼ヶ島へいく桃太郎よろしく、すぐに大勢の下級生が集まりチームは50人の大所帯となった。

声変わりもしてない甲高い声で「集合!」と叫ぶ私の合図に、かけつける50名の少年たち。惰性でやっている子もいれば、技術や体力が追いつかずとも全身でサッカーが好きな子もいる。
そんなメンバーを前にした子供監督の頭にあったのは、「負けてもいいや」というメンタルを、この部から永久追放することだった。

まずはモチベーションの設定。隣の小学校が強かったため、定期的に練習試合を組んでもらうことになった。当然、最初は8-0の大負けである。

何がこの部を強くするのか。逆に言えば、この部を弱くしているのは何か?

子供監督の目にとまったのは、惰性でやってる子も6年生になれば自然と試合に出られるという、よくありがちなシステムであった。
大人なら、子供の楽しみのためにやっている活動ということを踏まえ、絶対に目を逸らしてしまうところである。

しかしながら、しがらみや大人の事情について一切考えない子供監督は、かなり大胆なレギュラーメンバーの改編をおこなった。サッカーが好きでたまらないキラキラした子であれば、2年生や3年生でもどんどんレギュラーにしたのである。

ライバルチームは低学年からしっかりと練習を積み重ね、育ちきった6年生をレギュラーにしている。体格や体力は、我がチームより当然まさる。
それでも、好きこそものの上手なれを信じる私の気持ちは揺るがなかった。

試合では信じられないようなチビ選手が、泥まみれになりながら必死にボールに食らいついていった。観覧席はさぞかしハラハラしたことであろう。
それでもついに、我がポンコツチームはなんと2-0で、ライバルチームに初めて勝つことができたのである。

この勝利は、小学校時代にあったどんな出来事よりも嬉しかった。
マラソンのように数十分の中で起こった出来事でなく、初めて長年積み重ねた上での逆転劇を経験できたのだ。

3年もの間、長く引き絞ったパチンコ玉が遠くへ飛んでいくような成功体験。非合理だけれど信じたとおりに進むことがどれだけ気持ちよいのかを、私に深く刻み込んでくれた小学校時代の体験であった。

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