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【カモンカモン】子供とのあるべき向き合い方

「カモンカモン(C'mon C'mon)」という洋画を観た。
周りとは違う感性を持つ9歳の少年ジェシーと、そんな彼を一時的に預かることになった叔父ジョニーの話。

白黒映画なのが逆に新鮮。

お涙頂戴、よくある感動ものではない。それでも心に刺さったのは自分自身に「本当にそれでいいのか?」と問われているような感覚に陥ったからかもしれない。

普通ってなに?

「人の話を遮って空想話を始める」「突拍子もなく消え大人を不安にさせる」と、周囲を驚かせてばかりの少年ジェシー。そんな彼に「他の子みたいに普通にできないのか?」と叔父ジョニーは尋ねる。
そこで「普通って?ぼくは普通だよ」と答えるジェシーに思わずハッとした。自分自身、知らず知らず周囲へ「普通であること」を押し付けてしまっている事実にだ。
オンライン言語講師として、生徒からの予想できない質問や急な展開についていけないなんてことはしょっちゅうある。彼らをコントロールするために「まずは〜〜から学ぶのが当たり前」「〜〜ができないと普通に話すことは難しいよ」なんて頭ごなしに諭してしまうのだ。

だが、ここで言う「普通」とはなんだろうか?
大人にとってみれば、それまで生きてきた背景や周囲との違いからぼんやりと理解できるかもしれない。しかし子供はそうではない。「普通だから」「みんなそうしているから」で片付けるのではなく、「先生は〜〜と思うから」というスタンスを貫ける講師でありたいと思う。

どうせ子供だから?

作中に登場しインタビューを受ける10代前後の子たち。
彼らは大人が舌を巻くほどに達観した回答を見せる。最早「子供/大人」と区切るのも失礼だ。
ジェシーにおいても、問題を抱えている自身の両親に必要以上に踏み込むことは決してない。その代わり、自分の中のもう一人の自己を演出することで平静を保っている。
場面に応じ自己を演じ分ける。これは大人でもやっている立派な処世術だ。なのにそれを「どうせ子供のくだらないお遊びだから」で片付けてしまうのはそれこそ不公平だ。

インタビュアーの鉄則

「他人にインタビューをするということは、その人がスポットライトを浴びている状態であることを意識させる。ポジティブな感情も、ネガティブな感情も自由に吐き出させるべきだ。」といったことを話すキャラが作中にいた。

インタビューをする機会が多い自分も、「自分が答えてほしい内容」を引き出すことばかりに執着していたかもしれない。
答えさせたい内容を無理矢理引き出すのではなく、インタビュー相手が本当に感じていることに耳を傾けないとそれこそペラッペラ(bluh bluh bluh)な内容になるだろう(ペラペラのくだりは本作観た人なら分かるはず)

心配せずとも未来は明るい

本作を視聴したことで、子供に対し必要以上に過保護になるべきではないという考えが強くなった。
「子供に対して感情をあらわにするのは大人気ない」
「子供のためを思って代わりにあれこれ手を差し伸べてあげる」

一見親切で、子供を思った行動かもしれない。が、実際のところそうとも言い切れない。本来すくすくと育てる筈だった成長の機会を大人が奪っていることに他ならないからだ。
少なくとも、子供に対してすることには理由をつけて話すべきだと思う。
大人が心配せずとも、子供たちは自分たちの目で必要な情報を集めて日々成長している。「どうせ子供だから」という枕詞を捨て、一人の大人として対等な目線で向き合うべき。そんなことを考えさせてくれる良い映画だった。

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