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もう一人の私を探して 第3章

平原の広がる小高い丘の上から、私は夕日が沈むのをじっと見つめる。やわらかく暖かい風がさっと吹いて頬をかすめていき、それから眼下に広がる幾重にも折り重なるようにしてのびる平原へ駆け抜けていく。

「こんな場所があってなんて・・・・・・」

ふだん本ばかりに囲まれて過ごしている私にとって、スクリーンの中の世界は想像を超えていた。それは「美しい」という言葉では言い表せないほど、神秘に包まれていた。

私はよくこうして誰もいない場所に足を運んでは、日が沈んでいく様子を眺め続けた。何度も何度も同じ風景を眺めているはずなのに、私の心はその度に満たされる。

だが、ここは決して現実の世界ではない。ここは現実そっくりに見えても、実際は誰かの記憶によって作られた仮の世界なのだ。とても美しいし、居心地もいいのだけれど、何かちょっと違うと感じるのは、おそらくここが現実を似せた世界だからだろう。

ここは本来、私がいるべき場所ではないのだ。

しかし、そうかといって、塔の中が私にとっての最良の居場所であるとは思えない。周りにいる人達はやさしいし、仕事だって嫌いなわけじゃない。人間の記憶をたどって一冊の本を仕上げるのだって、それなりに充実感はある。

だが、「何かが違う。」と私は思う。

どんなにその思いを打ち消そうとしても、私の心は何かが違うと叫び続けている。

私が本来いるべき場所。

それは私の失われた記憶とともにどこかに消えてしまったのかもしれない。

他の人たちと違って、私には小さい頃の記憶というものが全くない。どうして塔の中にいるのか、誰が私をここへ連れてきたのか、そんなことは全く分からないのだ。

私はあるとき、その事実を知って愕然とした。私が私であるという確かな確信すら持てないのは、私が幼い記憶をすべて失ってしまっているのが原因だったのだ。

「小さい頃、どうやってここへ連れられてきたの?」

夜、どうしても眠れないとき、私は隣で寝ているテレシアを無理矢理起こして、そう尋ねる。

テレシアは眠たそうな瞳をごしごしとこすりながら答える。

「そうねえ、小さい頃のことだから、もうはっきり覚えていないけれど、私のお母さんがここへ連れてきたの。」

私はまだ意識が朦朧としているテレシアに矢継ぎ早に尋ねる。

「お母さんはどんな人? どんな服を着て、どういう表情をしていたの? なぜあなたはここへ連れられてきたの?」

テレシアはそんな私に腹を立てることなくちゃんと答えてくれる。

「白い服を着ていて、笑っていたわ。ここに来た理由は何も言っていなかったと思う。ただ、『いつか必ず迎えにくるから待っていてちょうだいね』って言ってた。後はもう覚えていない。」

私はテレシアにさらに尋ねる。

「そのとき、あなたはどんな気持ちだったの? お母さんと別れるのは辛くなかったの?」

テレシアは困った顔をして答える。

「そうねえ、たぶん悲しかったんじゃないかしら。でももう昔のことだから、忘れてしまったわ。私もそのときのことをあまり思い出さないようにしているし。なぜって? だって、そういうことを考えても仕方がないでしょ。もうそれは起こってしまったことなのよ。だから、今あれこれ考えても無駄じゃない。」

会話はそこで突然打ち切られる。テレシアはもう眠くて眠くて仕方がないという感じで、再びベッドの中に潜り込む。

まだ眠れない私はベッドの上でテレシアがお母さんと最後に別れるときを想像する。

我が子と二度と会えない悲しみを必死にこらえて母は言う。「いつか必ずあなたを迎えてくるから。それまで待っていてちょうだいね。」まだ幼いテレシアは母の真意に気づくことなく、ただ満面の笑みを浮かべる。

それから、幼いテレシアはいつの間にか幼い私に入れ替わる。私は会ったことのない母に連れられて、本ばかりがぎっしりと詰め込まれたこの塔の中へと連れて行かれるのだ。

「お母さん、どこへ行くの?」

まだ若い母は私ににっこりと微笑むだけで何も答えない。私はそれを見て安心する。母が連れていってくれる場所なら、どこでもいいと私には思えるのだった。

もし、私に幼い頃の記憶があったなら、どんなに幸福だっただろうか。それがたとえどんなに残酷で悲しい思い出だったとしても、私にとってその記憶はかけがえのないものになっていたはずだ。

こうやって、夕日が沈んでいくときに、私はその悲しい思い出を振り返って、空虚な心の中を切ない想いでいっぱいに満たすことができただろう。そして永遠に訪れることのない母を心のどこかで待ち続けることもできたかもしれない。

過去の出来事はもう過ぎてしまったことで、どうやっても取り返しがつかない。けれども、過去の記憶は現在の私の中で生き続けて、私そのものを作っていく。


私は夕日が沈んでしまう直前に、この間仕上げた本のことをふと思い出していた。女に捨てられ、それでも憎み続けることができなかった男の話だ。私はそのとき、男がなぜその過去を大事そうに心の奥底に仕舞い込んでいるのか分からなかった。もうすでに起こってしまった過去のことなんて、きれいさっぱり忘れてしまえばよかったのにとさえ思っていたのだ。


けれども今、こうして私自身の失われた記憶の果たす意味について考えてみると、男の心が少し分かるような気がする。その想いが大切なものであればあるほど、人はその記憶を失いたくないと願う。そして人はたとえどんなに辛く悲しい思い出であっても、それを抱きしめながら生きようとする。どれだけ歳月が流れようとも、それを失ってしまっては自分が自分でなくなってしまうことを人は知っているのだ。


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もう一人の私を探して 第4章





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