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いままでの人生part8

 前回の記事に書いたとおり無理解者であった自分の活動についてシェアしていこうと思う。

・A校 月曜日
・B校 火曜日
・C校 水曜日
・D校 木曜日
週末 クラブチームの活動

 だいたい2015年の11月に始まった。
学校によって窓口が違うが、スポーツダイレクター(体育主任みたいな)人と交渉する場合もあるし、いち担任(教師)の先生と交渉するん場合もあった。

A校は教員が配属先のボス(カウンターパート)の教え子であり、自身も多少バレーボールをすることがある。のちに1年後の大会で再開を果たす。

B校はスポーツダイレクターとの交渉から始まった。とにかく、ここは1つのボールに対して生徒が40人くらいいたりとクレイジーな学校だった。道具は、基本的にはない。その後、「世界の笑顔のために」という支援プロジェクトで配属先にバレーボールが届いたので、ボールを持って移動などしていた。

C校はコンビ(現地の足、乗合バス)を2本のりたどりつく、遠い学校であった。ただ、教員も結構フレンドリーで指導はしやすかった。バレーボールだけでなく、国際交流ということで前任校と作品交流などをしてもらった。また、体育の授業でバレーボールだけでなくベースボール型の授業などさせてもらった。基本的に、ジンバブエは情操教育というものの意識がない。
 当時の自分の行動(さっぱりとして対応をしていた自分の頬を殴りたいくらい)だ。

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D校は、先生がバレーボールに対して非常に熱心であった。とにかく熱心でここならボールなどを寄付してもいいかなと思ったくらいだ。実際に1ヶ月を目安にボールを配付した。学校も授業後にバレーボールの活動に力を入れており、おそらく小学校の部門では全国1位だったと思う。

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・小学1年生くらいから始める
・先生の力
・共生的に活動(1年生から6年生までほぼ一緒の場にいる。おらざるえないが)


 暑くて、現地の人がみんなが怖くて家に帰ると
毎日コカコーラの瓶をがぶ飲みしていた。今考えるとおそろしい。

課題であった点は
・現地の人に教えたい。
・現地の人たちだけでもできるようにしたい。

というような、仕組みも考えていなかったし、その場でしか見れていなかった。当時は何も考えれていなかったと思う。
スポーツにより社会の活性化って難しいけど、仕組みをしっかり考えるとおもしろそうである。


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