【エッセイ】鶴瓶さんの「頑張りや」
耳鳴りがしている。
スマホのカメラレンズ下ライトの動作確認で油断してもろに強烈な光線を浴びて目もチカチカしているところにキーーーンを通り越したキイイイーーーーーーーーーーーイイイインな耳鳴り。
泣きっ面に蜂である。
それでもnoteを書く!書かねば忘れてしまう!
私は耳鳴りも定まらぬ視点もちらつく残像にも負けないで中指を小さく動かし文字を入力している。
そこまでして書く内容でもないことだと数分経った今、徐々に気付き始めているが、もう書ききるしかないのである。
テレビでは鶴瓶さんがお洒落なアウターを風になびかせ少し強めの雨の中、傘を差して牧瀬里穂さんと歩いていた。
鶴瓶さんて稀有な大御所芸人さんである。
後輩からいじられても怒らない。
怒るふりをしてもそれはふり。
ふりだとわからせる自然な対応。
そもそも後輩がいじること自体いじってもいい空気を常に放っているからこそ成り立っている話である。
鶴瓶さんは褒めちぎる。
人の良い所をとにかく見つけて褒めてくれる。
そしてお洒落。
決してナイスガイなわけでも二枚目でもないのだが着こなしや所作、雰囲気がスマートで格好良い。
私は昔から鶴瓶さんを見ると
「能ある鷹は爪を隠す」という諺がよぎる。
本当に偉い人は偉そうにしないし、芸をひけらかさない。
鶴瓶さんにいたってはむしろいじられている。
鶴瓶さんが「頑張りや」と夢を追う若者に声をかける。
制服を着た高校生にも「頑張りや」。
子育てが一段落したママさんにも「頑張りや」。
定年した団塊の世代のおっちゃんにも「頑張りや」。
その「頑張りや」が沁みて沁みて仕方ない時がある。今がその時だった。
夢と言葉にしたら安っぽくなる気がするんだけど、あともう何かひとつ、ふたつのラインを越えていけたらその夢にたどりつくような気になる。
宇宙飛行士になりたいとか、石油王くらいの巨万の富を得たいとか、大谷翔平選手になりたいとか、そんな無茶を言ってるわけじゃない。
継続してきた私なりの歴史があって、その延長線上に何かのきっかけがあれば、ちょっとした運命の噛み合わせが一致すれば、タイミングよく背中を押す風が吹けば、その願う円の中に入れるイメージが抱ける。描ける。
それがTwitterのタイムラインに流れてくる作家さんのなんでもない呟きであったり、重版出来のお知らせだったり、畑は違うがある声優さんの誕生日を祝うパーティの参加者全員が皆有名声優さんでそれぞれが同じ写真をリツイートしている連なりだったり、遠い世界のようで非現実的でもない明るい未来を私は叶うはずの夢だと受け取っている。
どんな賞をいくつも獲ってもたどり着けないが、何かちょっとしたチャンスが巡ってくることで無冠を乗せたリニアモーターカーは発進する。ギュインと連れていってくれる。その者の望む場所へ。
鶴瓶さんを見ていたらなぜかそんなことを考えていた。
何かあとひと押しふた押し…。
人はちょっとしたことで信じられないくらい未来が変わる。
もちろん他力本願ではいけない。私の日々がそれに見合うものでなければいけない。その上での「何か」なのだ。
結局は誰と出逢うか、繋がれるか。人間と人間が関わり合い世界は構成されている。
やはり最後は人なのだ。
鶴瓶さんの「頑張りや」は気休めじゃない気がする。
頑張ればきっと報われる…。
そう信じられる不思議な力がある。
夢中になって書いていたら耳鳴りも目眩ましももうとっくに過ぎ去っていた。
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