見出し画像

【エッセイ】コナンと風鈴と畳の匂い

夏至が梅雨の最中と重なることに気づかず1983年から生きてきた。あまりの一般常識のなさに情けなくて笑えてくる。

夏至が過ぎ夏の入口に立ったか……
いや、まだだな。
梅雨が明けてないのだから。

年々日本の夏は手強くなっている。
どの季節も異常が異常でなくなってきているが、夏はここ数年文字通り我々生き物を仕留めにかかってきている。
好き嫌いの次元ではない(夏も冬もどの季節も好きだし嫌いでもある)
夏は近年、命の危険を感じる季節である。

かなり前から日本は亜熱帯に変化していると何かの番組でみたことがある。
詳しいことは専門家でもないのでわからないが、なんとなく頷ける。

熱中症なんて言葉、今じゃ当たり前になったけど、私の小学生の頃は日射病に気をつけろくらいしか耳馴染みがなかった。

それも野球帽被ってればなんとかなった。そんな認識だった。
ちなみに野球に疎かった私が被っていたのは「近鉄バファローズ」の野球帽だった。
なぜかはわからない。
ただ、「野茂英雄」一点突破で誤魔化していた。
そこは無難に「読売ジャイアンツ」ではないだろうかと、当時の写真の私に問うても仕方のないことである。

夏生まれだからといって夏に強いわけじゃない。
生まれ月からすれば私は生粋の夏男なのだが、年々命の危険をかいくぐるサバイバルサマーに戦々恐々なのである。

こんな牙を剥いた近年の夏でも夕方になるといくばくか涼し気な風も吹き、心地よい夏疲れに一時の安らぎを与えてくれる。
そんな時は地球よ、ありがとう…と、心の中で手を合わせる。いや、冗談じゃなく、しっかり機能してくれている地球の摂理に感謝している。


昔(30年くらい前)の夏は今より随分マイルドサマーだった。(マイルドサマーって…)

祖母の家に夏休みになると帰省し、お泊りするのが毎年恒例の楽しみだった。
私は家から大量の漫画やゲームボーイのカセットをカバンに詰め込み毎年祖母の家へ遊びに行っていた。
祖母の家のまわりは民家も少なく田畑が広がりスーパーと呼べる商店は徒歩でもかなりの距離にポツンと一軒といったのどかな場所だった。

当時、小学生だった私は祖母と二人でそのショッピング施設へ買い物へでかけた。
蝉が鳴き、青い空には絵に描いたような入道雲。
背の高い向日葵の道を祖母と一緒に歩いた。
それでも程よい汗のかきかたで今のようなぶっ倒れる危険は想定していなかった。

商店に着き自動ドアが開くと果物の匂いがクーラーで冷えた店内の空気と一緒に出迎えてくれた。
私はその店の床の色、タイルの模様まで覚えていることに今書きながら驚いている。

そのショッピング施設には小さな本屋さんも入っていた。
本屋の通路側にはぬりえのノートが回転する黄色いラックに並べられていた。

私は祖母から名探偵コナンの1巻を買ってもらってテレビのある居間の畳に仰向けになり読んでいた。
テレビからスーパータイムというニュース番組が流れていた。
もう夕方6時過ぎだったろうか。
窓から茜色の陽が漏れて夏用のガラス張りのテーブルに反射していた。
昼間、祖母と歩いて買い物へ行って程よく疲れた小学生の私の体に、あの夏の夕方は優しかった。
うとうとさえしていた。

夜は窓を開けてスイカを食べた。
カーテンがフワリユラリと夜風になびくと半袖で剥き出しの腕にはむしろひんやりとさえ感じる涼しさだった。

コナンと風鈴と畳の匂い。
私の好きな夏はあの頃の夏なのだとふと思い出すことが最近よくある。

もう昔の夏じゃなくなっている。
更に凶暴化していったら昼に寝て夜に活動しなくてはいけないんじゃないかとさえ考えてしまう。
その世界には私の好きだった夏の夕暮れの心地よい疲れに吹く風はない。
そんな夏は寂しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?