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詩ZINE「七月と猫と」に託した思い

私はかねてより石川県と東京を詩で繋げたいと思っていた。(烏滸がましいことこの上なし)

なぜ東京なのか。
『東京都』ではなく『東京』。
Tokyo……トーキョー……。

やはり日本の中心は面積はさほど大きくはないがそこに収まりきらず溢れ出そうな可能性を孕んだ大都会・東京なのだ。
東京は日本の心臓。
この大動脈から文化や経済は毛細血管をたどり日本各地に巡る。
血の巡りは必ずしも安定しているわけではないので末端まで行き渡らないこともある。
それでは都合が悪い。不便だ。

地方で生きてゆかねばならぬ者はこの現実をどう受け止めるのだろうか。
地方発信と威勢よく声を上げ高らかに掲げたもののどうしても埋まらない物足りなさ。
綺麗事抜きで地方にいながらもあやかり享受したい東京。
東京には詩を受け入れて発展させてくれる可能性がある。
地方ではその気配すら感じないこれからの新しい詩が東京にはある。
そう思うようになったのはSNSの存在が大きい。
SNSを利用するようになって情報は手に入るようになった。
が、実際に体験は出来ない。
世にいう「体験の格差」を思い知らされたからだ。
実際十数年ぶりに東京を訪れてみてこの身で実感した東京自体が放つ強大なパワー。
東京の溢れ出て隠しきれないエネルギーのお裾分けを地方に注いでもらおうとZINE一冊に希望を託そうと決めた。



    ―はじめての『ZINE』―


文庫本とは違う冊子にこだわったのは定義が曖昧だがそれらを総じてZINEと呼ばれるものを作りたかったからだ。
詩集となると手に取りにくいと思われてる方にも気軽に読んでもらえるのではと考えたからだ。
だが、完成したそれを詩集と感じる方、そう呼ばれる方がおられるならそれは詩集でも構わないし、訂正する問題ではない。
その詩の冊子(詩ZINE)に少し弾んだ印象を持ってもらえたらいいな…と
ただそれだけでよかった。

野良猫の正確な誕生日がわからないように、個人が印刷会社とやり取りする中で編集者も介在しない条件では発注依頼したデータの製本が何月何日に完了したのかを把握することは難しい。
印刷会社とはあくまでも持ち込んだデータを印刷する所で出版社とは違う。相談したり打ち合わせするにも限りがある。
印刷会社とは信頼関係を築かねばならない。
それなくしては思い描く製本にはたどり着けない。
程よい距離感の取り方を意識しつつ、こちらの要望もしっかり伝えなければならない。
とにかく遠慮しすぎず勇気を出して連絡を取ることが重要だった。

こちらから電話をこまめに入れ進行状況を確かめる。
完璧な確証は得られないまでも、もう完成しましたという返事を貰えた日にちを把握したかった。
発行日、発刊日、それはその本の誕生日だから。

2023年3月22日。WBC決勝の日。
サムライJAPANが優勝して世界一に輝いた日。
日本中が歓喜に沸いたあの日。
印刷会社の担当の方と電話でやり取りを重ねてきた中で「もうそろそろ完成します」から「完成しました」に変わった日。
きっとその日が初ZINE「七月と猫と」の誕生日なのだろう。
大谷翔平選手がトラウト選手から三振を奪いグローブと帽子を投げて雄叫びを上げた時と同じ日に「七月と猫と」は産声を上げたのだ。

祝福されて生まれた本なのだ。

招き招かれ生まれた「七月と猫と」

書き終えた作品は読み手に委ねる。
こう読んでほしいとか、その解釈は違うとか、そんな烏滸がましいことは考えられないし絶対したくはない。
むしろ感想をいただいて、自分では考えもしなかった解釈に気づかせてくださった。
それがどんなに有り難いことか。
違った新しい視点で発見が出来る。
答えがない。自由そのものが詩のいいところだから。

「七月と猫と」も変わらず読み手のもの。
ただ、レコードアルバムの曲順にストーリーを持たせるように書き手の思いは込められている。

決心。
希望。
少しの不安。
そして歩き出す。
友。
出逢い。
再成。再起。
未来。
夢。
命。
そして生きる。

それらを故郷の石川県の風景と東京の風景を織り交ぜて10篇の詩とひとつの詩小説、幾つものワンフレーズたちが集結した一冊が「七月と猫と」である。



   ―故郷と東京を詩で繋ぐ?―


東京。
何もかもが集う都市。
だからこそ焦点を定める。
私の見据えるそれは詩があってこそ。
その地は世田谷区の豪徳寺だった。
詩の聖地と私が慕っている「七月堂」さんが書店を構える街である。
2022年の10月に訪問した際に写真に収めた道中の電車内の掲示板や降り立った駅のホーム。そしてご縁を招いてくれる豪徳寺の招き猫は表紙に使わせていただいた。

石川県。
我が故郷。縦に長く能登から加賀までと実は広域。今作では主に加賀地方の写真を使っている。
西田幾多郎記念哲学館から一望出来る石川県かほく市の町並みや山々。旧石川郡の日本海。アニメーション監督の細田守氏が卒業した金沢美術工芸大学の教室内(建物の老朽化に伴い取り壊しが決まっている旧校舎)

それと心を込めて数十年ぶりに作った粘土細工たちの写真の言葉なき声を聴いていただけたらと20頁に凝縮させた。
B6サイズと小さなお子さんでも読みやすい仕様に。


詩って難しくなくて身近なものなんだと、そんな触れ合いも期待して作りました。

厚みがないからそっと鞄に入れてもおけるし、携帯してもらえたら本当に理想だなと。

欲を言えば学校で昔配布された交通マナー(自転車の手引書)みたいに、前の席から後ろの席へ配られる冊子になってくれたらどんなにいいか…

夢みたいなことだけど口に出さないと叶わないので私は夢を寝言じゃないのに呟く。

背表紙の招き猫の頭に虫が。
菜の花かたんぽぽと間違えたのか。ほっこり。

印刷会社からおまけで貰った一冊は自分用。
紙もしっかりしているので鞄に携帯してます。
七月になったら海でこの本の写真、撮りたいな。

この本を色んな場所へ連れて行ってください。


       ―最後に―


世の中には色々な詩があります。
これからの詩は詩に触れたことのないこどもや興味なんてなかった幅広い年齢の人たちにこちらから近づいて行かなくていけないと思います。

「言葉を紡ぐ」と、よく耳にします。
紡がれた言葉が詩になり
その詩のほつれた糸が人と人を繋いで結んでくれることを私は願っています。



※『七月と猫と』は七月堂さんで購入できます。


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