【コラムエッセイ】カメラを止めろ
ネットリテラシーなんて言葉ももう耳馴染み。
リテラシーの意味は本来は読み書きの能力だそうだが、すっかりネットリテラシーに食いつぶされるようにネットを使うにあたっての情報や常識を正しく理解して使える能力という意味として使われている。
そもそもネットと一括りにしているがほとんどスマホに関係している。
一番身近なネットとはスマホだろう。
老いも若きもほとんどの人が常に持ち歩いているスマホ。
phoneと言っておきながらデジカメであったり音楽プレイヤーでもある。むしろそちらである。
つまりは誰もがどこでもいつでもカメラをまわせるということだ。
静止画、動画問わずだ。
便利すぎることはやはり危ないのである。
この世は誰もが綱渡りのカイジなのである。
ひとりひとりの常識に委ねられているネット社会。
だが現実は無法地帯である。
北斗の拳の野盗どもがはびこる世紀末である。
水だーっ!ひゃっはー!食糧だーっ!
で、ある。
そんな世紀末…いや、スマホに支配された現代。
人との関係性が希薄になったことと、見えない繋がりは強くなったことのアンバランスなバランスが均衡をたもっているちょっとへんてこな状態であるように思う。
SNSではとにかく何もかも2つにわけられる。
分かれてしまう。
それを正義の名の下の分断と一括りにされている。
正義は最低2つなわけでそれは3つでも4つでもある。
複雑多様な難しく複雑な時代になったのもコロナが拍車をかけたのだろう。
マナーやモラルは野放し状態。
ネットリテラシーは風に吹かれてどこへいく。
先日公衆トイレで用を足していたらば横でスマホを弄りながら用を足してる人がいた。
これは嫌なものだ。
誰もいい気持ちはしないだろう。
だってそれはphoneとは名ばかりのゲーム機でもあるがカメラでもあるのだから。
背面のレンズがぎろりと他者に向いているのだ。それは私にもだ。
頭をよぎる盗撮…。
カシュ(或いはスコッ)
シャッター音に似た音がしたのだ。
ハッとしたがシャッター音だと断定も出来ないのは機種によって音が違うからだ。
電源を切る時も場合によってはなんらかの音が出たりするともいう。
一体あのシャッター音に似た音はなんだったのか。
モヤモヤは消えない。
考えた所でどうにもならないが、そもそも公共のトイレでスマホを使うなということだ。
大衆浴場でスマホは触ってはいけないように公共のトイレでも使用してはいけないのではないか。
疑わしく不快な思いをさせる行動は避けるべきではないのか。互いにとって。
結局気になってしまい色んなことを調べてしまうことになるが、調べてみると同じ経験の人が多くいたことに驚いた。
間違えてスクショをしてしまいシャッター音が響いて気まずい思いをした人のコメントも多くみかけた。
あれはスクショの音だったのか。
カメラ以外の操作音だったのか。
答えは出ない。
だがとても気持ちの悪いことである。
が、世の中にはこんな不快な経験をしている人が思ったよりもはるかに多く存在していることを知った。
だから何かというと
そんな思いにさせるマナーや常識のない行動をとるなということだ。
都会ではもっと大規模な問題になっているそうだ。そりゃあそうだろう。壊滅的な下世話企画を決行するユーチューバーが東京のような都会にはわんさかいる。
繁華街や駅で人の波を上から撮影し、手当たり次第ナンパする映像。無関係な通行人はみんなモザイクなし。みんな知らない内に撮られていて、しかも無断で流されているのだ。
SNSに流れてくる無許可撮影のスマホカメラの映像。
もうこの世の中にはルールもないのか。
あんな下世話な企画の映像に収まりたくなんかない。
しかもそれで金儲けされてるなんて許せない。
トイレでスマホ弄ってる人も下世話な企画で数字をとるユーチューバーもみんな同じ非常識な人間である。