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【山羊日記#28】昭和と令和の女詩・男詩

   託された二人のアイドル



女詩、男詩(何れも詞でも可)があった。
なぜ過去形かは今より色濃く主張され、それでいて当たり前に振り分けられていたからだ。
女性アイドルにはこれでもかというくらいに詰め込まれた乙女性を。
男性アイドルにも少年性(やんちゃだと尚更良し)を曲に、歌詞に込められた。

今ではそれを(逆に)新鮮、エモい、ファンシーだとお洒落に感じる。
勿論、今でも女詩や男詩は存在する。
ただ、時代と作品があの頃よりはまらない。

あの頃、とは…

昭和。特に80年代のアイドル全盛期を先ずは思い浮かべて頂きたい。

⚫『メロンのためいき/山瀬まみ』

山瀬まみさんのデビュー曲。作詞は松本隆先生。


太陽がご機嫌斜めなの
濡れた髪に雨粒
くちびるが青ざめているのは
泳ぎ疲れたせいよ
飛び込み台へと座り
あなたと雨雲見上げた
蒼いメロンのためいきみたいなキッスを
頬に素早くあげたらはにかむかしら
白いタオルにくるまり肩を寄せれば
Fall In Love With You
お願いよ 冷たくしないで

歌唱力も振り付けもデビュー曲とは思えないほど堂々とされており、クオリティの高いこの『メロンのためいき』。
歌詞には〇〇なの、〇〇よとThe乙女なテンプレートのパレード。
現実の女性は普段の会話でこのような少女漫画チックな語尾を使うだろうか?
40年前とはいえ、ぶりっ子という言葉が周知されていた時代にしても。
これは歌詞に過剰なまでの乙女性を含ませて世界を膨らませているのだと思う。
キスでもなく接吻でも口づけでもない
『キッス』
なのである。
お願いよとあれば上目づかいでパチクリ瞬きされてる絵が浮かぶ。
半端な女詩にするくらいなら山瀬まみさんのデビューを飾るに値しない!
そんな制作側の熱意を感じるのである。
さすが松本隆先生。
数多のアイドルに翼を与えてこられた偉大な作詞家。この切り取った世界観は総天然色の短編映画。瑞々しい青春の雫が揺れてきらめいている。


⚫『99粒の涙/井森美幸』

2ndシングル。前作に続き作詞は康珍化先生


不思議なんです どうしてあなた
わたしのこと 選んだのですか?
もっと素敵な 女の子たち
すぐね そばに たくさんいるのに
つき合いたいと 言われたのです
陽気なあなた 真面目な顔で
うれしかった うつむいたけど
私何も できないけれど
99粒の涙をもってます
最初の一粒を あなたのために
あなたのために

デビュー曲『瞳の誓い』に引き続いて作詞は同じく康珍化先生。中森明菜さんの『北ウイング』でも旅立つ女性の不安と希望を高鳴る鼓動を抑えつつも冷静であろうと気丈に自分へ問う女詩と繋げてしまう今作。
山瀬まみさんの『メロンのためいき』とはまた違って語尾はおしとやかなですます調。
はしゃいでなんかないけどわたしなんかでいいんですか?と、ついぐらついて綻びを見せてしまいそうになる乙女心を綴っておられる。
でも、猛烈に女詩を感じでやまない不思議な歌詞なのである。出だしの不思議なんですがぴったりとくる。
こちらはどちらかというと健気な乙女心。
後に井森美幸さんは『乙女心ウラハラ』という歌を出すのがこれまた不思議なんです。


   これからの女詩・男詩


ここまで二人の女性アイドルの二人の作詞家による2パターンの女詩を比べてみました。
インスピレーションでこのアイドルにはこちらの世界がはまるだろうと作詞家の先生たちはあてて書くのだろうか。渡された歌に自分の方から寄せていくのかはわからないが、この二例に関しては上手に形となっている。
その後の山瀬さん、井森さんのバラドルとしての活躍は存じあげているが、当時のアイドル戦国時代に個の「らしさ」の模索や獲得を歌に託してステージに立ったりイベントで地方へ走り回ったり、カメラの前で全力のパフォーマンスをぶつけた10代のアイドルたち。
そこにアイドルである己を重ねるためにはくどいくらいの女詩を求めていたのではないだろうか。(アイドル側も聴衆側も)

現在は一人称や語尾に縛られない歌がサブスクに溢れている。
コミックソングやベタベタのド演歌でない限りあからさまな女詩・男詩には立ち止まらないかもしれない。
詩の世界を清々しいまでにふっきれた乙女像や少年像で塗りつぶしたい、塗り広げたい時、かつての80年代歌謡は書いていて気持ちがいい。
捉え方は人それぞれ。
好き嫌いも人それぞれ。
時代に怯えて書かない(書けない)なんて本末転倒。

歌い継がれる詩(歌詞)は堂々としている。

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