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【山羊日記#17】名前を忘れるということ

寝言で目が覚めることがある。
驚くほど流暢なフランス語もどきを唱えながらだったり…(もちろんフランス語は話せません)
言い争いで罵っていたり…
意味などない前提の意味不明な言葉だったり…

そしてたまに泣きながら目を覚ますことがある。
泣きのレベルも何段階かあって、今朝は大粒の涙をぐっと口を閉じながら唇を震わせ流していた。

その理由は夢で大切な人の名前を忘れていたからだ。

どういう流れかそこは朧気なのだが
店員さん?らしき人と対面で話していて
二十代に本当によくしてもらった勤務先のおばさまの名前を答えなきゃいけない状況という設定(今思えばわけわからんシチュエーション)
で、忘れるはずもないそのおばさまの名前が出なかった。

助け舟じゃないけど思い出すきっかけになればと対面していた相手が
「Y田さんとか?濁音入ります?」
などと、色んなアシストを与えてくれる。
で、自分もなんとなく言われてみればそうだったかもと
「Yさんだ!」
と、思い出せた喜びに意気揚々と答えていた。

でも、違っていた。
夢の中でその後、違うことに気が付いた。
そのおばさまの名前がちゃんと最後には思い出せたことは良かったことなのだが、問題はそこじゃなかった。
なんで「Yさんだ!」
なんて納得したんだろう
と、凄まじく自己嫌悪に陥った。

泣きながら…
大恩人であるおばさま。
私は沢山の学びをもらった。
社会のいろはを教わった。
映画を好きになるきっかけを作ってくれた。
ナンシー関さんの本と出会わせてくれた。
日常の些細な何でもないことでもユーモアを交えて教えてくれた先生(恩師)のような職場の先輩のおばさまだった。
歳は親子ほど離れていたがものすごく気が合った。
おばさまからの訓育あっての今の自分といっても過言ではなかった。

そんな生涯で忘れることなどあり得ないおばさまの名前が出なかったショックは図り知れず。夢から覚めた私はあまりにも深い悲しみに声も出ず、ただただ大粒の涙を流していた。

(忘れるはずないじゃないか…忘れるはずがあるわけないじゃないか………)

と、しばらくしてからおばさまの名前を何度も口にした。
謝りながら何度も声に出した。

おばさまが退職されてからは疎遠になった。
もう十数年は会っていない。

元気にされているだろうか…

この夢をみる前からおばさまのことを思い出すことは頻繁にあった。

なぜ今こんな夢をみたのかはわからない。

ただ、大切な人の名前を忘れることがどれほど悲しいことなのかを痛感した。
尊い時間を忘れたくないという思い。
恩返しがまだ出来ていない後悔。
私はそのおばさまの名前を忘れることなく生きていきたいと改めて思った。

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