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【エッセイ】僕と「きっちゃてん(喫茶店)」

僕の記憶力はとても頼りない。
してないことをしたとは流石に言わないにしてもいつどこで誰としたのかの詳細の信頼度は記憶が古ければ古いほど低くなる。
特に人の名前を覚えることが苦手で中学生の頃観ていた「さんまのSUPERからくりTV」の人気コーナー「玉緒が行く」の中村玉緒ばりに「うぉほほ、ところであなたどちら様でしたっけ」てなレベルである。
かといって妖怪の名前はドラえもんの暗記パンを食べたかのように難なく覚えられたのである。
要するに人に興味がないんだよと言われてしまえば返す言葉もないわけで、だが決してそれは一概に頷ける理由でもない。

人間だって動物なんだけどその議論は一旦置いといて僕は犬や猫の動物が好きだし嫌いになった人を好きになることは出来ないある意味好きな人以外の人間嫌いではある。
そのくせ今までの職歴の中で一番長く従事してきたのは「接客業」なのだ。
学歴がなければ資格を取っておかねばと20歳前には幾つかの民間資格を取得することが一種の趣味のようなものになっていた。
「サービス接遇検定」というおもてなしの精神を学びお客様に最高のサービスを施すなんていうものもこの時期に取得していた。

もともと先祖代々商売の家系だったのでむしろアフター5って何?ボーナスって何?土日休みの家族サービスって何?毎日晩ごはんを家族で食べるってどんな感覚なのだろうと会社員(サラリーマン)の家庭の生活が幼い頃からピンとこないで育ってきた。
商売の家に生まれた僕には「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」以外で金を稼ぐ方法、システムがわかっていなかった。

年中無休の商売の家に生まれ、夏休みの長野県一泊旅行が唯一の家族旅行の思い出であった。
盆暮れ正月関係なし。
小学校の授業で父親の顔を描きましょうとなった時、僕は父親の顔を思い出せず描けなかったことをよく覚えている。
母もいわゆる共働きだったので家に帰っても誰もいなかった。だが「鍵っ子」という響きにどこかかっこよさを感じていた。

そんなこども時代になぜか父親と喫茶店に行った思い出がある。切り取ったフィルムのシーンのように鮮明だが少しセピアがかった記憶。
一体どの隙間時間にあのゆっくり流れる喫茶店に行ったのだろう。行けたのだろう。

はじめに言ったように僕の記憶力は古ければ古いほど曖昧で、むしろないに等しい。
幼稚園の記憶は水が怖かった僕にはプール遊びという名のデスゲームと幼稚園の先生がシーツを被ってお化けに扮して園児を阿鼻叫喚の渦に突き落としたお泊り会くらいしか覚えていない(どちらも恐怖の記憶)

その、喫茶店の記憶は自信はないが多分小学生に上がるか上がらないかの7歳くらいだったと思う。
扉は手動で開けるとカランカランカランと少し黒く変色した大きな鈴が鳴っていた。
インベーダーゲームの机に国会議事堂の椅子のようなソファ。
天井に空調のプロペラが回っていて本棚には少年ジャンプがぎっしり詰まっていて古いものはクタクタになっていた。
店内は少し薄暗く暖色の照明にヤニで変色した壁紙。そして端から端まで珈琲の匂いに包まれていた。
若干7歳であろう僕の鼻を通って少しタバコの匂いも混ざった店内の匂いはダイレクトに脳へ送られた。それが嫌ではなかったことを覚えている。むしろ異国に迷い込んだようなワクワク感で店内を隅々まで見渡していた。だから珍しくこんなに詳細に覚えているのだと思う。

僕は大きなグラスのメロンソーダを前に足をバタバタさせていた(足が届いてなかったこともある)。
真っ赤なさくらんぼがこれでもかというほど濃いメロンソーダ色の中に浸かっていた。
バニラのアイスがこんもりと乗って(浮いて)いてさくらんぼを掴んでアイスをつんつんつついたり潰したりくるくる回したり浸したりして忙しなく上昇する炭酸の気泡やバニラの白色が混ざっていく様子を目を輝かせながら見ていた。

今の僕は炭酸を好んでは飲まないのだがそれは炭酸がきつくて沢山飲めないからなのだ。
当時7歳であろう僕はその刺激的なシュワシュワに目を覚ましていたはずである。
全部飲み終わる頃には体も冷えてしまっていて半ズボンでは寒く震えていたと思う。

そう、あれは夏だった。

父親はアイスコーヒーを飲んでいた。
大人になればこの喫茶店に充満している珈琲の匂いを嗅ぐだけでなく飲めるようになるのだろうなと遠い未来に思いを馳せた。

その喫茶店がどこにあったのか僕は知らない。
時は流れて今その店があるのかもわからない。
ただ一度だけ行った記憶だけは残っている。

今の日本はチェーン店の洒落たカフェで溢れかえっている。
「喫茶店」と呼べる店はきっと年々減っているのだろう。
僕はあえて「きっちゃてん」と呼んでいる。
古き良き昔ながらの「きっちゃてん」

漫画家を夢見てノートにマンガを描いていた小学生の僕は漫画家になってお金を貯めて余生は長野の軽井沢で「きっちゃてん」を開くんだと語っていた。

いつしか生きるために働き、それも色んな接客業を渡り歩いていた。
その中に「カフェ」もあった。
残念ながらそこは「きっちゃてん」ではなかったがそこで僕は珈琲の世界にどっぷりはまった。
テイスティング(カッピング)なんてこともした。
ブラジル、コロンビア、コスタリカ、グアテマラ、インドネシア……
あの頃「きっちゃてん」で見ていたアイスコーヒーが珈琲というものの全てだと思っていたのに珈琲はひとつじゃなかった。
あの「きっちゃてん」のアイスコーヒーはどこの国の豆だったのだろう。
7歳であろう僕の狭い世界の珈琲はそれでも一番大きな珈琲の思い出だった。

癖のあるお客さんが来店するそのカフェはすっかり珈琲を楽しむ心の余裕もなくなっていった。

やっぱりカフェは「きっちゃてん」ではなかった。

僕は人の名前を覚えるのが今でも苦手だが歩いていて通り過ぎる人の顔にふと立ち止まり振り返る時がある。
あの時のカフェで僕に親切にしてくれた好きだったお客さんに似た人で決して本人ではなくても懐かしくてたまらなくなる時がある。
やっぱり名前は思い出せないが僕の淹れた珈琲を美味しいと飲んでくれたお客さん。

いつか7歳であろう僕が父親に一度だけ連れていってもらった「きっちゃてん」を余生に開店出来たらいいなと思った。
あの日の「きっちゃてん」の匂いが僕の鼻をかすめていった。






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