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パミール旅行記10 〜ホログ初日・中編 チョールボーグ、植物公園、カフェ〜

2022年8月13日(土)、ホログ到着の翌朝。宿の周囲をしばらく散策した後、友人のGさんと無事会うことができた。我々はまずはイスラム教イスマーイール派の礼拝所ジャマーアト・ハーナを見学。その後は引き続きホログ見物を行う予定である。

(前回の話および記事一覧)

チョールボーグ

ジャマーアト・ハーナの後、Gさんは「チョールボーグ」を案内してくれた。

チョールボーグ(Чорбоғ / Chorbogh)はジャマーアト・ハーナのすぐ横にあり、ホログの中央公園的な存在である。名称については「ホログ市中央公園(Боғи марказии шаҳри Хоруғ / Boghi markazii shahri Khorugh)」という呼称もあるようである。

チョールボーグ(イランのペルシア語では「チャハール・バーグ / چهار باغ / Chahar bagh」)というのは、ペルシア語(タジク語)で「4つの園」という意味であり、イランであれば水路で四分された伝統的な庭園スタイルを指す呼称である。

ホログのチョールボーグは、パッと見た限りではイランの四分庭園との構造的共通性は不明である。単に私が気付かなかっただけで四分庭園構造を反映した何かがあるのかもしれないし、あるいはイスマーイール派(ニザール派)は歴史的には長らくイランを拠点にしていたので、そのこととの精神的つながりを示した呼称かもしれない。

いずれにせよ、多くの木々と緑に囲まれた美しい公園だった。

なお、チョールボーグは元々はアーガー・ハーン財団の建設したもので同財団が所有していたが、ちょうど私の訪れた前後に当局に接収された、という話を帰国後見かけた。

チョールボーグにて(観光センターに行った後にいったんチョールボーグに戻って撮影)

観光センター

チョールボーグを通り抜けた後で、観光センター的なお店に入った。衣類やアクセサリーを中心に、パミールのお土産が置いてある。ベスト社「タジク語入門」に「タジキスタンのお土産はパミールの靴下が良い」的な内容の文章が載っていたので、お土産に靴下を買いたいと思っていたが、とりあえず今回は下見でまた後で来て購入を検討しよう、ということにした。しかし、結果的に再訪できないまま帰国することになってしまった。

観光センターの中には、パミールの伝統衣装で女性がお下げ髪の延長的な感じで付けるアクセサリーもあった。これを何と言うのか長らく気になっていたので、「これは何?」とGさんに質問して名称を教えてもらった。が、私の乏しい記憶力ではすぐに忘れてしまった。その後もコミュニケーション力不足でなかなか人に訊くことができず、帰国後数ヶ月経ってようやくGさんに再度質問し、文面で「ペーチャク(Pechak)」だと教えてもらった。

パミールのアクセサリーおよび靴下
楽器類も置いてあった
絵画も飾ってあった
パミールのお下げ髪アクセサリー「ペーチャク」

植物公園

チョールボーグと観光センターの後は、タクシーでタジキスタンで一番高い場所にあるという植物公園へと向かった。ドゥシャンベほどでは無いとはいえ、快晴の天気の下、それなりに暑く、タクシー待ちの間に近くで売っているアイスクリームを買おうかやや悩んだ。

タクシーに乗り、植物公園へと向かう。タクシーはグント川を渡り、川の南側の住宅地を東へと進んだ。途中、向かって左手(グント川の対岸)の山肌に、イスマーイール派の旗の大きな絵がうっすらと見えた。元々はホログのランドマークのひとつ的な存在であったがというが、5月の件の後に当局により消された、という話を当時目にしていた。消されたとはいえ完全抹消とまではいかなかったようで、正面付近からであれば痕跡的にうっすらと存在を確認できたが、斜めになるともう見えなくなった(本稿執筆時点では、Google Map上で消される前の航空写真を確認できる)。

植物公園にて

タクシーは町のはずれからかなり急な斜面を上り、植物公園に到着した。地元ではロシア語の「ボタニーチェスキー・サート(Ботанический сад / Botanicheskiy sad)」を略した「ボート・サート」あるいは「ボーツァート」の呼称で親しまれているようである。

植物公園の縁からは、ホログの町を一望できた。ホログを紹介する写真でしばしば見かける構図だ。荒涼とした山に左右を囲まれ、グント川に沿って広がるホログの木々と家々。その向こう側にはアフガニスタンの山々。ついにここまで来たんだな、と改めて思った。

植物公園から望むホログの町
ホログの町を背景に
植物公園についての説明が英語で書かれていた
東屋的な建築物
パミール屋根を連想させる屋根
花園的なところもあった

園内をひととおり散策し、帰りのタクシーを待った。木漏れ日と、時折吹く風で梢の立てる音、日本では見かけない荒涼とした山、木々の合間から見えるホログの町並み……懐かしさと新鮮さが感じられた。Gさんは、ホログの町は離れると恋しいが、ホログにいるうちはBoringで街のみんなが知り合いなのがストレスだと言った。その通りだろうなと思った。

梢のささやきを聞きながら

カフェ

やがてやって来たタクシーに乗り、ジャマーアト・ハーナ近くのカフェへと向かった。

タクシー車内ではペルシア語、ロシア語、シュグニー語の歌が流れており、聞いたことのある曲も時々あったが、カフェに着く少し手前くらいに、アフガニスタン出身の歌手ダーウード・サルホシュの「Sarzamin-e man(سرزمین من)」が流れた。1998年、アフガニスタンが第一次タリバン政権の時代に発表された歌で、戦乱で傷つき、タリバンによって歌も禁じられた祖国について歌ったものである。在外アフガニスタン人のほか、在外イラン人からも望郷の歌やアフガニスタン人との連帯の歌としてしばしば歌われており、ペルシア語好きな私としては馴染み深い歌のひとつだった。アフガニスタンの混乱はその後も続き、今は再びタリバンの支配下になっている。そのアフガニスタンの山々を正面に眺めながら聞く「Sarzamin-e man」に、どう表現すれば良いのかわからない気持ちになった。

カフェでは、昼食にピザを食べた。ホログとしてはやや高い数階建ての建物の屋上に屋根をつけたカフェで、屋根の下にはテレビも掛けてあり、ロシア語の歌が流れていた(私の知っている曲は例によって無かった)。すぐ近くにはジャマーアト・ハーナの屋根が見え、別の角度にはアフガニスタンの山々が見えた。

カフェよりジャマーアト・ハーナを望む
カフェにて。逆光で全然見えないが、一応アフガニスタンの山々を背景に。いつかアフガニスタン側のシュグナーン地区からホログの町を眺めてみたい、と思った。
カメラに向かってポーズを取るカフェの店員氏

バーザール(臨時)

昼食後は私の希望でバーザールに行くことになった。バーザールは市内中心部にあったはず、と思っていたが、微妙に乗り気でないGさんにマルシュルートカに乗って連れて行かれたバーザールは町外れに位置していた。その時は奇妙に思ったが、後になって、市内中心部のバーザールは5月の件で焼損し閉鎖されていたことを思い出した。

マルシュルートカから降り、Gさんとおしゃべりをしながらバーザールへと歩いていると、突然、穴のようなところに落ちてしまった。道端にあった工事中か何かの穴が薄い鉄板で蓋をされていて、そこを踏み抜いてしまったようである。さらに、落ちた時の衝撃で穴の中の配管から水が吹き出してきた。鉄板でどうにか水を抑えようとしたが、結局その場は周囲の人に任せることになった。非常に申し訳ない。。。

バーザールでは大きなメロン系の果物類が印象的だった。バーザールをざっと見た後は、宿の前までマルシュルートカで戻った。Gさんとは今日はここでいったんお別れである。日本からのお土産を渡し、次は月曜日か火曜日に会おう、ということになった。しかし、結果的にGさんとの再会は果たせないことになる。

(続き)


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