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パミール旅行記9 〜ホログ初日・前編 ジャマーアト・ハーナ〜

8月12日深夜(13日未明)、タジキスタンの首都ドゥシャンベからの約17時間の旅を経て、ゴルノ・バダフシャン自治州州都のホログに到着した。ホログでは何人かの知人にも会える予定だ。

(前回の話および記事一覧)

ホログの朝

宿の部屋の窓より

前日の到着が遅かったこともあり、朝は宿の部屋でしばらくゴロゴロし、その後、宿の近くを少し歩いた。

アフガニスタンの山

宿の前にはメインの通りが東西に伸び、西側の奥に見える山々はアフガニスタンである。私は元々ペルシア詩が好きでペルシア語を勉強しており、その縁でいろいろ巡り巡ってパミールとシュグニー語にも興味を持つことになったのだが、アフガニスタンについても、ペルシア語を学び始めてからできた最初のペルシア語圏出身の知人がアフガニスタン人であるなど、個人的に思い入れがある。

アフガニスタン自体は昨日パミール・ハイウェイから飽きるほど(実際にはまだ飽きてないが)見たが、普通に町を歩きながら見るアフガニスタンの山々に、昨日とはまた違った感慨を覚えた。

泊まった宿(左)と背後にそびえる山。
ホログのメインストリート(東側)
ホログのメインストリート(西側)。奥に見える山はアフガニスタン。

銀行のレート

初日のホログの朝は、まずはホログを流れるグント川の吊橋を渡ったり、近くにあった銀行で両替をしたり、ホステル前のカフェで朝食を食べたりした。

道行く人々は、私の聞き取れた範囲では皆シュグニー語を話していた。男性は皆洋装だが、お年寄りで時々緑のパミール帽をかぶっている人もいる。女性は洋装の人もタジク服の人もおり、年齢が上がるほどタジク服率が高い印象だが、若い人でもタジク服姿の人は普通に見かける。ヒジャブ姿の人も思ったより多い印象を受けたが、若い人に関してはヒジャブの人は見かけなかった。白地に赤の刺繍が印象的なパミール服については、一時廃れたが近年復活しているとどこかで見たが、まだ晴れ着扱いなのか、着ている人は見かけなかった。

銀行では米ドル、ユーロ、露ルーブルの両替を扱っていたが、どれもソモニへの両替とソモニからの両替とでレートが最後の一桁くらいしか違わないという、極めて良いレートだった。米ドルとユーロは同じセント差だったが、ユーロのほうが数値が大きい関係で、米ドルよりもユーロのほうが計算上僅かにレートが良くなっていた。誤差の範囲内とはいえ、米ドルより他の通貨のほうがレートが良いというのは、未だかつて見たことが無かった。

タジキスタンはGDPに占める海外からの仕送りの割合が非常に高いとされているが、教育水準は高いが産業の限られているパミールでは、出稼ぎ労働者からの仕送りはタジキスタンの中でも特に多いのではないだろうか。為替レートの良さは、おそらく仕送りの多さに由来するのだろう。

ホログではシュグニー語がどのくらい使われているのか、例えば銀行のような比較的公共性の高い場所では何語が使われているか気になったが、文字表記がタジク語である一方、銀行内の人々の話している言葉は、私が把握できた範囲内では皆シュグニー語だった。私も安心して(?)、カタコトのシュグニー語で両替をお願いした。

ホログを流れるグント川にかかる吊橋を渡る
吊橋より下流側を望む。この先でグント川は国境のパンジ川に合流する。奥の山はアフガニスタン。
吊橋の上流側。ホログの中心部方向。
宿の前のカフェにて朝食。なお、メニューはロシア語のみ(タジク語無し)。

ジャマーアト・ハーナ

友人のGさんとは、11時頃に会えるとの連絡があった。

宿の名前を教えてほしい、とのことなので、カフェで朝食を取った時に店員さんに宿の名前を聞くも、「わからない」とのことだった。朝食後宿に戻ると、ちょうど宿経営の家族の方に遭遇したので名前を聞いたところ、「名前は無い」とのことだった。宿の前のカフェは知っているとのことなので、カフェの前で会うことにした。

Gさんとは11時よりかなり前に会うことができた。お互い会うことができたことを喜び、まずはジャマーアト・ハーナに行くことにした。

Gさんといろいろ話をしながらメイン通りをしばらく東に歩き、右の通りに曲がったところでジャマーアト・ハーナが見えてきた。

ジャマーアト・ハーナ(タジク語の綴りでは「ジャモーアトホーナ / Ҷамоатхона」)は、パミールの主要宗派であるイスラム教イスマーイール派(より厳密にはその中の現主流派であるニザール派のアーガー・ハーン派)の礼拝施設である。「ジャマーアト・ハーナ」はペルシア語で「集会の家」を意味し、イスラム教の他宗派におけるモスクに相当する施設である。

そもそも私がパミールに興味を持ったきっかけはイスマーイール派によるところが大きいが、とりわけファーティマ朝の設立した現存最古の大学のひとつであるアズハル大学(※現在はスンニ派の最高学府)や、ニザール派の拠点のアラムートにあったという大図書館、さらに現代のアーガー・ハーン財団の各地での教育支援など、同派の知的活動を重視する傾向に個人的に特に惹かれるところがあり、さらにアーガー・ハーン財団は「アーガー・ハーン建築賞」を主催するなど建築方面でもユニークな活動を行っているので、現代イスマーイール派建築で、コミュニティーセンター・学習センター的な役割も担っているというホログのジャマーアト・ハーナは、ホログでまず訪ねてみたい場所のひとつだった。

ジャマーアト・ハーナの入口の施設名。タジク語と英語の併記。ホログでは二言語表記はタジク語+ロシア語が多いが、イスマーイール派(アーガー・ハーン財団)関連の施設ではタジク語+英語が多い。
ジャマト・ハーナの入口。柵と木々の向こうにジャマーアト・ハーナの建物が見える。例によってジャマーアト・ハーナ見学中は、特に前半は緊張していて写真を撮っておらず、正面側からはこれが唯一の写真になってしまった。

入口の柵の横の詰所的なところで受付をし、タジク服を着たボランティアのガイドのお姉さんの案内でジャマーアト・ハーナの見学ツアーが始まった。見学客は私とGさんの他に、地元の少年2人の計4名。Gさんはガイドのお姉さんとも比較的親しい知り合いとのことだった。案内の言語は、私のシュグニー語はまだまだなので、英語になった。

ジャマーアト・ハーナでは、イスマーイール派の公式サイトやその他のネットページで見ていた写真と同じ光景が広がっており、それらを実際にこの目で見ることができることが嬉しかった。いくつかの場所で天井がパミール風の四角形を組み合わせた構造になっているところや、礼拝室の柱や壁にクーファ体のアラビア文字で「アッラー」や「ムハンマド」、「アリー」、「ハサン」、「フサイン」、「ザフラー」といった単語が書かれているところが印象的だった。特に「ザフラー」、すなわち預言者ムハンマドの娘ファーティマ・ザフラーの名からは、かつて王朝名でも「ファーティマ朝」を名乗った人々の精神的末裔としての矜持が感じられる気がした。

ジャマーアト・ハーナは地域のコミュニティーセンター・学習センター的な役割も担っており、礼拝室は礼拝時間では無いので無人だったが、他の部屋では子どもたちが出し物か何かの練習(?)をしていたり、近代的な設備の教室的なところで勉強をしていたりした。

ジャマーアト・ハーナの中は、礼拝室以外は写真撮影OKとのことだったが、緊張していたのと、ガイドさんの話を聞いたり自分の目で見たりすることに集中したいと思っていたのとで、施設内では結局写真を取らずじまいになってしまった(写真だけならイスマーイール派の公式サイトで礼拝室も含めて載っているので、自分で撮るより他のことに集中しよう、と思ったのも理由のひとつではある)。建物を出て裏手に回ったところでGさんに「写真を撮らない?」と言われ、ようやくスマホのカメラに手が回った。

ジャマーアト・ハーナの裏側
ジャマーアト・ハーナにて

ジャマーアト・ハーナの見学ツアー後、Gさんと私はホログの人々の憩いの場である公園チョール・ボーグへと向かった。

(続き)


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