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コーチングで気がついたこと

コーチングを受け始めて1年半が過ぎた。
当時、私は達成できない目標に苦しんでおり、それを知った友人が紹介してくれたのだ。
月に1回、リモートによる30分間のコーチングだ。コーチはまだ研修中の身ということだった。優しい丁寧な話し方が印象的である。しかも、「コーチングの練習だから」ということでボランティアでコーチングして頂いているのだ。

1年半前の初めてのコーチングの日にどういう目標を達成したいかということを伝え、以降は目標を達成するために「何が必要か」「そのために何が出来そうか」「いつまでに何をすると良いか」「今の課題は何か」「どうあればそれが出来そうか」といったことを話し合い、「来月のコーチングまでにやっておくこと」などの課題を設定したりした。

しかし、翌月になってコーチングの日が来ても課題が進んでいることは少なく、たまに課題が出来ていてもそれが目標達成へと繋がっていく感じはなかった。
それでもコーチは、毎回毎回私の言い訳や目標達成遂行を妨げているものについて、非難することも呆れた顔を見せることもなく根気強くコーチングを続けてくれた。

何が一体こんなにも「こう着状態」にさせているのだろうか。
コーチと何度も打開策を話し合ってきた。
目に見える成果もなく1年半が過ぎた。刻一刻と「目標の締め切り」というタイムリミットが近づいてきた。
私は自分が焦っているのか、開き直っているだけなのか、ただひたすら自分が目標達成を諦めるのを待っているだけなのかも分からなくなってきた。

そんな気持ちのまま、ある日いつものようにコーチングを受けた。
いつものように近況などを話すところから始まり、課題の進捗状況や「いつまでに何をしないといけないか」といったようなことを確認し、次回のコーチングまでに何が出来そうかを話し合って、その回が終了しようとしたところでコーチから言われた。
「今日のセッションはどうでしたか?何かプラスになることはありましたか?実はちょっと気になっていたのですが、〇〇さんにとってコーチングを受けられる意味があることなのかな、と…。」

それを言われた時に、衝撃を伴っていろんな感情や考えが降ってきた。
もしかして、目標達成に向けて遅々として進まないことでコーチに業を煮やされてしまったのかもしれない。
私が焦りを口にするだけで何もしようとしていないことや、ボランティアでコーチをしてもらっているのに行動を起こしていない私がコーチの時間を奪っているということ、等々。

生来、私はコツコツと物事に取り組むのが苦手なタイプなので、毎月毎月コーチングを受けて設定した課題をこなしていけば、ゴールに自然と辿り着くと思っていた。
なのに、いつの間にかいろいろな理由をつけて言い訳することがコーチングの中での定番になっていき、最近は「コーチングは懺悔の時間」と化していた。

コツコツと物事に取り組むのが苦手という自分に対する固定観念があるということは、すなわち、「やる気スイッチ」が発動されれば目標達成に向けて行動するのだ、という信念でもあった。
だから、「やる気スイッチ発動待ち」の状態で日々を過ごしていたのだ。

温厚なコーチが初めて口にした疑問は、私に強いインパクトをもたらした。
初めて、「ああ、私がやらない限りは目標は達成されないんだ」と実感できたのだ。
悲しいかな、「やる気スイッチ発動待ち人間」である私はその時のコーチの言葉を聞いてやっと悟った。
コーチングを受けていればコツコツと課題を進められるだろうなんて、どこか他人任せにしていた自分に気づいたのだ。

そして、ついに目標達成までのタイムリミットが1年を切ってしまったことで、私はやらざるを得なくなった。
結局、夏休みの宿題と同じく、締め切りが私を目標達成に向けて導くのだ。
でも、もうそれで良いのだと分かった。
そのことを受け入れることができたのはコーチと話してきた長い時間があったからだと思う。

私のようなスタイルの人のことを「デッドライン症候群」と呼ぶらしい。
これは、先延ばし(先送り)とも捉えられているようだが、ただの先延ばし(先送り)とは違い、デッドライン症候群で一番肝となるのは「いつまでに開始しないと最終締め切りに間に合わなくなるか」を見極める能力だと私は考える。この能力が正確に発揮されなければ、致命傷を負うことになるのだから。

さて、果たして私はちゃんとデッドラインを見極められているのだろうか?



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