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先生、便箋383枚は困ります

ぼくの手元には岩波文庫の『こころ』がある。
掌サイズで、ポケットにも入り、持ち運びに便利だ。
ページ数も300ページほどで、かさばらない。

が、便箋383枚となるとどうか?

多くの人は、たちまちにして、持て余すことになるだろう。
そんな分量の手紙が送られてきたら閉口だ。
保管場所にも困るし、いざ読もうとしたら机が必要になる。
電車などで気楽に読めるものではない。
とにかく取り扱いに困る。

しかし、『こころ』の主人公である「私」は、なんの苦もなくその紙束を取り扱っている。

まずは問題の箇所を引用したい。

『こころ』は上・中・下の構成になっている。
引用するのは、下の『先生と遺書』に入る直前の箇所。
主人公の「私」が、危篤の父を見舞っているさなか、敬愛する「先生」から手紙を受けとる場面だ。

それは普通の手紙に比べるとよほど目方の重いものであった。並の状袋にも入れてなかった。また並の状袋に入れられべき分量でもなかった。半紙で包んで、封じ目を鄭寧に糊で貼り付けてあった。私はそれを兄の手から受け取った時、すぐその書留である事に気が付いた。裏を返して見ると其所に先生の名がつつしんだ字で書いてあった。手の放せない私は、すぐ封を切る訳に行かないので、ちょっとそれを懐に差し込んだ
【『こころ』 夏目漱石 岩波文庫 p137】

この手紙がすなわち先生の遺書であり、この小説の肝心、『先生と遺書』をまるまる成すものである。
岩波文庫のp143~p276まで、つまり、文庫本133ページ分に相当する。
遺書にしては破格の長さだ。

遺書の長さ自体すでに不自然だが、さらに奇妙なのは、引用した文中の太字で示した箇所。「ちょっとそれを懐に差し込んだ」

どんな「懐」をしているんだ。
「私」が手にしたのは、あたりまえだが、文庫本ではない。
生の手紙だ。生原稿。超かさばる。
その手紙がどのような様式のものか、確認のため、以下に引用する。

私は繊維の強い包み紙を引き掻くように裂き破った。中から出たものは、縦横に引いた罫の中へ行儀よく書いた原稿様のものであった。
【『こころ』 夏目漱石 岩波文庫 p138】

これだけでは原稿用紙なのか便箋なのか定かではないが、手紙なのだから、おそらく、便箋にちかいものなのだろう。

その分量やいかに。
以下の情報をもとに、便箋1枚あたり250字として、計算してみた。

便箋

文庫本1ページの字数=40字×18行=720字
720字×133ページ=95760字
95760字÷250字=383枚
便箋1枚4gとして、383枚×4g=1532g≒1.5kg

要するに、先生の遺書は、便箋383枚、重さにして1.5kgである

「ちょっとそれを懐に差し込んだ」と、平然と書いてあるが、無理があるだろう。
いや、世の中には「懐の広い」人もたくさんいる。便箋383枚くらいどうってことないのかもしれない。それならそれでいい。百歩譲って、よしとしよう。

しかし、次の箇所は、いよいよもって奇怪で、とうてい受けいれられない。

私はまた病室を退ぞいて自分の部屋に帰った。其所で時計を見ながら、汽車の発着表を調べた。私は突然立って帯を締め直して、袂の中へ先生の手紙を投げ込んだ。
【『こころ』 夏目漱石 岩波文庫 p141】

いったい、どんな服を着ているんだ。
「袂」というのだから、和服だろう。洋服と比べ、袖口にゆとりがあるのはわかる。
しかし、いくらなんでもゆるすぎるだろう。便箋383枚、ペットボトル並みの重量だ。それが簡単に「袂」に収まるとは思えない。四次元ポケットでも付いているのだろうか。

漱石はこれを書きながら、あれ、おかしいなあ、と思わなかったのだろうか。
もしかしたら漱石自身、常日頃、便箋383枚が収まるような服を着ていたのかもしれない。それならこの不自然さに気が付かなくても不思議ではない。

ともかく、文豪の作品といえどもうかうかしていられない。
今後とも、注意深く読んでいきたいものだ。

以上。


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