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「不思議」ということ
私は京極夏彦著の「百鬼夜行シリーズ」(京極堂シリーズ)が好きです。
シリーズの主役である「京極堂」こと中禅寺秋彦のセリフにこんなものがある。
「この世には不思議なことなど何もないのだよ、関口君」
そしてこう続く。
「だいたいこの世の中には、あるべくしてあるものしかないし、起こるべくして起こることしか起こらないのだ。自分達の知っている、ほんの僅かな常識だの経験だのの範疇で宇宙の凡てを解ったような勘違いをしているから、ちょっと常識に外れたことや経験したことがない事件に出くわすと、皆口を揃えてヤレ不思議だの、ソレ奇態だのと騒ぐことになる。(以下略・・・)」
このセリフに出会ってから私は気軽に「不思議」と言えなくなってしまった。
確かにそうかもしれない。
物事をとらえる時、
自分の今までの経験と照らし合わせて判断する。
見たこと。
聞いたこと。
行ったこと。
触ったこと。
味わったこと、など。
そのどれにも当てはまらない初めての出来事に出会うと口にする言葉。
「不思議」
「不思議」の意味
1 どうしてなのか、普通では考えも想像もできないこと。説明のつかないこと。また、そのさま。
2 仏語。人間の認識・理解を越えていること。人知の遠く及ばないこと。
3 非常識なこと。とっぴなこと。また、そのさま。
4 怪しいこと。不審に思うこと。また、そのさま。
辞書の意味合いで使っているので間違っていない。
でも「自分の知っている範囲」で当てはめて
「考えも想像もできない」「非常識なこと」などと判断している。
私は知らないけれど
知っている人にとっては
不思議でもなんでもない。
だから「この世には不思議なことなど何もないのだよ」
京極堂は言い切る。
とはいえ京極堂といえど世の中の凡てを理解しているわけではない。
初見で理解できないことは情報が不足しているだけのこと。
情報さえ集めれば大体は理解できるのだと思う。
ただ、それにはやはり「想像力」は欠かせないのではないかと。
「不思議」とは
相手のこと
その立場に立った人・モノに対する
情報不足と想像力の欠如から生まれる言葉なのかもしれない。
欠如とまでいかなくとも
考えることをやめたときに
簡単に締めくくれる言葉が
「不思議」なのかもしれない。
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子供の頃は不思議なお話が大好きだった。
でも、それはその時点まで知らないから
新しく感じ、楽しかったのだと思う。
この年齢までくると
単純に「不思議」と片付けてはいけない気がする。
どんな物事も
「起こるべくして起こることしか起こらないのだ」から。
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