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2年前、あるきっかけ

これは湊かなえさんの『母性』を読んだことをきっかけに、30代の私が小説の新人賞に応募してみた話です。長い割に有益な情報は出てきません。
序盤に母性の紹介がありますがネタバレはありません。
読みたい場所へ飛んでください。

1.産後とコロナと本屋と

私が『母性』を読み終えたのは、2020年の7月だった。2月に誕生した三男がようやく夜通し寝るようになった頃で、世間は新型コロナウイルスの話で持ち切りだった。
この年に小学一年生になった長男は、2か月間の休校を挟んで6月から学校に通い始め、同じ時期に感染防止のため休園となっていた次男の保育園も再開された。
凍っていた時間がじんわりと溶けていくような、そんな日々だった。

私といえば3度目の、たぶん最後になるだろう育休期間中だった。過去2回の育休はもちろん全力で育児に取り組んだ。
子どもの成長は目覚ましく、昨日できなかったことが今日できるようになっていたりする。毎日驚きの連続で楽しかった。しかしふと思い返したときに、私は毎日同じことの繰り返しで過去2回の育休を終えてしまったな……と思ったのだ。
仕事は、成果とともに評価がつく。育児にはそれがない。自分は育休中に何も成し遂げてこなかったという気持ちがモゾモゾと腹の底から蠢き出してしまったのだ。
この期間に資格を取れたら自信になるかもしれない、とぼんやり考え、次の日に三男を抱っこ紐に入れて本屋に向かった。

産後の私の脳は穴だらけのスポンジのようだった。物忘れも記憶違いもしょっちゅうだったのだが、中でも困ったのが文字が読めないことだった。
文章は確かに目で追えているのに、頭の中のメモリ容量が足りなくなる。そして取り込んだはずの文字列が保存されずにこぼれ落ち(あれ、何をどこまで読んだ? 私は一体何を……?)となるのである。
当時は保育園や小学校からのお便りを読むのも一苦労だった。
そんな瀕死のスポンジボブの私が本屋で参考書や小説を買って帰って来たのだ。また読めないかもしれないが、何かやりたい、やらなければという焦りがあったのかもしれない。

「母性」を手に取ったのは偶然だった。もともと好きな作家ではあったし、タイトルに惹かれた。ただそれだけの理由で選んだ。資格の棚で取った本をメインに読んで、その合間の息抜きに読もうと思っていた。

その日の夜、資格の本を14ページまで読んで、母性を読み始めた。
誤算だった。
ページをめくる手が止まらないのだ。資格の本を14ページまでしか読めなかった時は(ああ、まだ無理なのか)と落ち込んだが、それは単に私の能力の問題だった。
脳が情報を処理している音がカタカタと聞こえてきそうなほど、文字が映像となって頭に流れ込んでくる。
母親という属性から、一つ前の人間に戻れたような感覚だった。寝落ちするまで本を開き、3日ほどで読み終わった。資格の本はそれっきり開かなかったが、気づいたら夫が熱心に読み込んで後日受験して落ちていた。

2.湊かなえ著『母性』とは

女子高生が自宅の中庭で倒れているのが発見された。母親は言葉を詰まらせる。「愛能う限り、大切に育ててきた娘がこんなことになるなんて」。世間は騒ぐ。これは事故か、自殺か。…遡ること十一年前の台風の日、彼女たちを包んだ幸福は、突如奪い去られていた。母の手記と娘の回想が交錯し、浮かび上がる真相。これは事故か、それとも―。圧倒的に新しい、「母と娘」を巡る物語。

「BOOK」データベースより
ルミ子役の戸田恵梨香さん。ルミ子の娘、清佳さやか役の永野芽郁さん

母親の手記と娘の回想を交互に繰り返すことにより、両者の視点から全く違う物語の真実が見えてくる。母親に愛されたかった娘と、娘を愛せない母親の行きつく先は――という内容だ。

決して楽しい話ではないが、先を読みたいという好奇心が止められない。ラストは苦しいながらも前に進む家族の形が描かれている。

作中には、主人公ルミ子の母親と、ルミ子の義母が出てくる。母はルミ子に無償の愛を与え続け、ルミ子もそんな母親が大好きだった。(絵画教室で出会った田所哲史たどころさとしという男とも、母親が気に入ったという理由だけで結婚してしまう)
この二人のやり取りが前半の多くを占めるのだが、あとに出てくる意地悪な義母よりも、この実母が別の怖さをもたらす。この不気味さは主人公のルミ子にも当てはまる。愛だけを与え続けられた人間が社会でうまく適合できない様子が作中に何度も出てきた。
原作が未読の方も、ぜひ映像でこの親子を見てほしい。単純に「愛情」と片付けられない異様さが分かるってもらえると思う。
私の好きな叙述トリックの部分については映画では別の演出になっていたが、作中で動く役者たちはまさに私が想像した「母性」そのものだった。
特にルミ子の義母役の高畑淳子さんの演技には目を奪われた。

冒頭、結婚の挨拶の場面。義母がルミ子の持ってきた手土産を仏壇に供えるシーンがある。一言も喋っていないのに、所作だけでこの後のルミ子の苦労が想像できる、まさに怪演だった。
このシーンだけでもぜひ見てほしい。確実に眉間に皺が寄って戻らなくなる。

3.小説を書いてみたい

小説を読み終えたのは7月の末だった。興奮冷めやらぬ頭で、好きだったシーンや最後の真実が明らかになる場面を思い起こし、あそこで張った伏線がここで回収されたのか、と何度もページをめくって確認した。
そしてある日思った。

私も小説を書いてみたい。

もちろんこれまでの人生で小説を書いたことなど一度もない。
最後に原稿用紙を使ったのは高校の時の小論文試験だったと思う。3回提出して3回ともD判定だった。「言いたいことが伝わってこない」「趣旨が読めていない」と赤字でボロクソ書かれてから原稿用紙と作文が嫌いになった。
二度と原稿用紙は見ないと決めた私が、まさかまたこの舞台に戻ってくることになろうとは。

その日の夜、寝室にあったノートパソコンを開いた。
ネットで『小説 応募』と検索し、出てきた結果を上から一つずつ確認していく。
そこでまず、一つ目の疑問にぶち当たる。

検索結果に出てきた
『○○新人賞』

『⬜︎⬜︎文学賞』

一体何が違うのだろう。分からない。調べる。

小説は大きくエンターテインメント純文学という2つのジャンルに分かれ、「~~文学賞」とつくものは、純文学で応募することが必要らしかった。

ここでまた疑問が沸く。

じゃあそのエンタメと純文学の違いとは、一体なんなのか。分からない、調べる。

結論から言うと、「エンタメ」と「純文学」の争いは長年決着がついていないようで、検索してもしっくりくる答えは出てこなかった。
実際、私が好きな村田沙耶香さんの『コンビニ人間』は、純文学の最高峰といわれる芥川賞を受賞している。すっかりエンタメ作品として楽しんでいた私は更に混乱した。

そして自分なりに
エンターテインメント=起承転結がしっかりしている
純文学=なんかエモい

と区別することにし、それ以上考えるのを止めた。

エモいという概念は私には抽象的すぎて分からない。
消去法でエンタメ小説を選んだ。書けるかは分からないが。
そうなると応募先は文学賞以外になる。8月から書き始めて育休の終わる3月までが〆切の新人賞に絞って検索をかけていった。

余談だが、最終的に候補を絞る際には「公募ガイド」のお世話になった。

文芸に限らず、川柳や漫画や写真など様々なジャンルでのコンテスト情報を知ることができる。これから趣味で何か始めたい人にはぜひおすすめしたい。

エンタメ小説で年度末の3月までに応募できる新人賞――意外とたくさんあった。

ここでまた壁にぶち当たる。
応募規定に書いてある「400字詰原稿用紙換算で◆◆枚以内」というものの分量がまったくイメージできないのだ。
たとえば「400字詰め原稿用紙100枚以内」と規定されていたとして、私が比較できるのは高校の時の小論文課題しかない。あれはたしか原稿用紙2枚分だったが、書くのに相当苦労した記憶がある。
それを100枚なんて想像もできない。
ほとんどの新人賞は長編の小説を募集していて、私が見た中だと200枚や250枚、多いところでは600枚などとという長さのストーリーが求められていた。
まったくの初心者がここまで書けるだろうか。いや書けない。最初からフルマラソンに挑戦するのは危険だ、と冷静な私が分析する。

困った時は初心に帰ろう、と湊さんのプロフィールを見に行った。どの新人賞でデビューしたのか知ろうと思ったのだ。
オタクは推しと同じ空気を吸いたがる。そこにもう推しがいなくとも、現場に僅かに残された残り香を感じるだけで笑顔になれる生き物なのだ。
そこで知った新人賞を検索すると、今年の募集ページへ飛んだ。募集しているのは短編らしい。原稿用紙80枚以内で良かった。
小論文を2枚書くのにヒイヒイ言っていた私(しかもD判定)が「で良かった」というのもおかしな話だが、これまで250とか300などの数字を見すぎていたせいで完全に感覚がバグっていた。

何より驚いたのが、その年の選考委員に湊かなえさんがいたのだ。
私に小説を書こうという意欲を沸かせてくれた人が、もしかしたら私の原稿を読んでくれるかもしれない。もうこれは運命だ。ジャンルはミステリー。応募締め切りは11月末日。
すっかりテンションの上がった私は図書館で過去の受賞作を借りられるだけ借りて読んだ。

かくして、知識も経験もないまま「とりあえずランニングシューズはあるし」と、いきなりハーフマラソンに出場すると決めた私の3か月が始まる。


小説を書く時間は、子どもたちが寝てから、つまり21時30分以降と決めた。日中は0歳児の世話と、新一年生の長男のケアをする必要があったし、何より執筆しながら子どもたちの相手をして夜までニコニコしていられる自信がなかった。
場所についても悩んだが、当時一番下の三男は、夜中にむくりと起き上がり、私がちゃんと横にいるか起きて確認する癖があった。そうなると作業場所は必然的に子どもたちが寝ている六畳ほどの寝室になる。
部屋の隅にポータルデスクを置き、下にジェルマットを敷き、周囲を囲むようにU字型のヨギボーを配置する。

完成

このヨギボーが肘置きとして、また背もたれとして大活躍した。
しかしこの万全と思われた装備を持ってしても、11月が終わる頃には尋常じゃないほどの肩こりと腰痛で苦しむことになる。
これから小説を書こうとしている人たちは、是非ちゃんとした机とイスを準備して臨んでほしい。

執筆活動初日。Wordを開き、縦書きに設定した画面を見つめ、キーボードに指を乗せる。そしてふと思った。

私、小説のルールをまったく知らないじゃないか。

確かに小学生の頃に『書き始めは一字下げる』とか『句読点も一字にカウントする』などは習った。
しかし、『三点リーダー(…)やダッシュ(-)は2つ並べて使う』というのは知らなかった。
『感嘆符や疑問符(!や?)が使われた場合、次に続くセリフは一マス開ける』なんてこの年まで聞いたこともなかった。

「そんなの常識でしょ」
「えっ……そうなの!? これが世の常識――」

である。

次に知らなければならないことは、「一人称」か、「三人称」かだった。
小説は語り手が「私」か「第三者」かで進んでいく。

「いつになったら小説を書き始めるんだよ」と私は思った。
これが一人称
「そんなこと言ったってしょうがないじゃないか」と秋山は返した。
これが三人称
調べたら、これは完全に好みでいいらしい。混在するのはNG。
なんとなく、FPSよりはTPSが好きだったから三人称で書くことに決めた。ゲームをしない人には意味が分からないと思うし、小説を書いてる人にとっても理解不能だと思うのでスルーしてほしい。

4.小説が完成するまで

子どもたちが寝てからは就寝までのすべての時間を執筆に充てる――そう決意した私だったが、そこに最大の敵が待ち構えていた。

具体的な名前は伏せたいが、当時の私はイカがインクを塗るゲームにハマっていた。2017年に発売されてから3年が経っていたが、3年間飽きもせずほぼ毎日インクを塗ったりイクラを集めたりしていた。

我が家にはswitchが3台あって、子どもたちは毎日どのゲームをするかで手に取るswitchが変わった。当然、イカとかタコがインクを塗るゲームの入ったswitchを持っていく日もある。
じゃあその日はもうジャッジくんに会えないのか?スパイキーからギアは受け取れないのか?
答えは「NO」だ。誰かのせいで誰かが不幸になることを私は決して許さない。

だから3台ともにイカのゲームを入れた。

幸せとは、誰かのちょっとした思いやりでできている。子どもたちにはお金の大切さをよく言って聞かせたい。
総プレイ時間は3000時間を超え、最終的に全てのルールでXになった。
グッズもほぼ集めた。amiiboのタコボーイが持っていたホクサイが三男によってポッキリ折られた時はマジ泣きした。

そんなクマさん商会とガチアサリ大好きな私が、11月までは小説を書くと決め、結果的にふにゃららプーン2を夜は封印したのだ。
〆切前の2週間なんて一度も起動しなかったし、それで平気だった。
「案外私は依存体質じゃないのかも」と高をくくって原稿を送ったその日、14日ぶりにやってみたら7時間耐久でガチマに潜って我に返ったら東の空から朝日が昇ろうとしていた。は?マジか、である。

ともかく私はあのゲームが大好きで、今年出た最新作も大好きなのだが、ヒッセンからボムを奪ったことについては未だに許していないし、スペシャルがジェッパなんて論外である。ヒッセン使いにエイムがあるとでも思っているのか。
今後登場することが予想されるヒッセン・ヒューにおいては、あらゆる可能性を排除せずに緊張感を持って早急かつ慎重に検討を重ねていただきたい。

ここまで小説のルールやスタイルを勉強し、大好きなゲームも封印することに成功した私だが、肝心のストーリーはぼんやりとしか出来上がっていなかった。
どうやら小説は、書く前段階として、「プロット」と呼ばれる台本を作ることが必要らしかった。

あの湊かなえさんは、小説を書くにあたり物語の登場人物全員の履歴書を作成すると言っていた。名前や生年月日などはもちろんのこと、趣味や特技など小説の本編に直接出てこないことも全て書き出し、人物像を固めていくのだそうだ。

そんなことを知らない私は、それらを全部すっ飛ばしていきなり原稿用紙に書き始めた。履歴書どころか、主人公の名前すら決まっていない。

ただ書きたい結末だけは決まっていて、そこからどうやって話をつなげるかだけ考えていた。
かといってゴールから正確にスタートまで持っていけるような技術などあるはずもなく、グチャグチャに引いた線を枠で囲って、なんとなく迷路として完成させるような感じだった。今考えてもめちゃくちゃなのだが、無知と幸福は同義である。

主人公の名前は槙平にした。書き始めて思いついた。
主人公の妹は芽衣。これも思いつきだ。
あ、両方ともマ行じゃん……と思ったが、兄妹だからいっか、となった。

人の名前を決めるのも苦手で、最終的に6名登場人物が出てくるのだが、毎回適当に名付けてはあとで「やっぱこの名前にしようかな」などと思い何回か変えた。たぶんあの年の9月にctrl+H(置換機能)を日本で一番使ったのは私だと思う。
湊さんの履歴書エピソードのあとでこれを発表できる私のメンタルを誰か称えてほしい。

意外なことに、小説を書いている間、最初から終わりまでずっと楽しかった。30歳を超えてここまでのめり込めるのは、件のインクゲーム以来だった。

少し話が逸れるが、「耳をすませば」というジブリ作品をご存知だろうか。
私は学生時代、初めて入ったバイト代で耳をすませばのDVDを買った。
「お前さ、コンクリートロードはやめた方がいいと思うよ」というセリフは、誰しも一度は口にしたことがあるのではないだろうか。

ジブリ屈指の名作で、私が一番好きな作品だ。

この作品の中に、高校受験を控えた主人公の月島雫つきしましずくが、バイオリン職人を目指す
天沢聖司 あまさわせいじに感化され、小説を書きだすシーンがある。
雫は受験前の大事な時期に夜通し小説を書き続け、時には食事もそこそこに執筆に没頭していく。

深夜に一人でパソコンに向かっている間、私の頭の中ではずっとそのシーンがグルグルしていた。

(雫、分かるよ――雫の気持ち)
孤独に机に向かう雫と自分を重ね合わせ、心の中でシンパシーを感じた深夜1時。
雫を真似て深夜にカロリーメイトをかじってみたりもした。その後歯を磨くためにリビングに降りるのが死ぬほど面倒くさかった深夜2時。

ある種のハイだったのかもしれない。毎日深夜2時過ぎまで作業をし、翌日は6時過ぎに起きて夫の弁当を作り、長男を小学校へ送り出し次男を保育園に連れて行く生活が続いた。
8月から11月までの当時の私の睡眠時間は常に3~4時間ほどで、毎朝8時にAppleWatchが教えてくれる睡眠借金はみるみるうちに膨れていき、最終的に70時間程度にまでなった。丸3日寝続けてやっと返せる負債だ。こんなの冬眠中のクマにしか無理だ。
しかし国の借金が1255兆円であることを考えれば屁みたいなもんだった。

耳をすませばには、徹夜で小説を書く雫に、親友の夕子が「えーっ、また4時まで起きてたの!?」と声を上げるシーンがある。雫もそれに対して「平気だよ。全然、眠くならないもん」と応えているが、実世界の私は普通に眠たかった。三十代が睡眠時間を削ることは命を削ることに等しく、目に見えて老けた。
だから三男と一緒に朝寝と昼寝は欠かせなかった。雫、睡眠は大事だ。

こうして10月の終わり頃は、なんとか話が一本にまとまりそうだった。
(ここまで2ヶ月ほどかかっているが、かなり遅いペースと言っていい。マラソンで例えるなら1kmを10分ペースで走ってるようなものだ。)

書きたいエピソードやシーンを先に書いて、あとからそれらをパズルのように繋ぎ合わせていった。
だからか知らないが、この作品ではやたらと皆ご飯を食べていた。困ったら食卓に並ぶ食事。ご飯を食べると場面が変わる。むしろご飯を食べないと話が進まない。
話の中でハイペースに5~6回食事をする主人公たち。彼らの胃はもう限界だ。
しかし、その苦労の甲斐もあり話は佳境を迎えていた。

「あとこのグラウンドを一周すればマラソンのゴールが見えますよ!」というところまで来た私は、そこで初めて原稿用紙換算をしてみた。
規定では原稿用紙80枚以内だ。超過していたら失格なので、不要な部分を削る作業が必要だった。

原稿用紙設定を押して、Wordが処理する時間をじっと待つ。

出た。

【衝撃】47枚だった【驚愕】

原稿用紙換算で47枚。あと半周でゴールと思っていた場所は、実はまだ折り返し地点に過ぎなかったのである。計画性もなくこの時点で全力ダッシュを決めていた私には、ここから復路を走る気力が残っていなかった。
このまま出してもいいが、高校時代、小論文課題をやった時に「最後の行まで書いて初めて採点対象となります」と言われたことを思い出す。
80枚『以内』とは言われているが、さすがに半分の分量で出す人間はいないだろう。
一先ずパソコンを閉じ、switchを手に取る。
こういうときは気分転換をした方がいいのだ。

その日のクマさん商会の支給ブキは、バレルスピナーだった。
この世で一番苦手なブキだ。私は何度もコジャケにやられテッパンに轢かれモグラに食われ浮き輪になり、そのたびに十字キーの上を押して「ヘルプ~」と助けを求める。ゲームでも現実世界でもお手上げだ〜と思いながらやった。

結局再開したのは、47枚事件から一週間後のことだった。
もうこれ以上主人公たちにご飯を食べさせるわけにはいかない。説明が足りてない部分はないか、補完できるエピソードはないか。何度も読み直して、主人公の心情を裏付けそれを伝える方法を考えた。そして苦心の末ひねり出したアイデアを、ガリガリの本編に肉付けしていく。
当初は最後のオチしか決めていなかったが、最終的にそのオチすら変更した。何度も原稿用紙換算をし、じりじりとページ数を伸ばしていく。もはや這ってでもゴールに向かうという気合だけで動いていた。

76枚に達したのは、締め切り1週間前の深夜2時だった。
ずっとタイピングし続けたせいか、首も肩も腰も痛くて眠気も限界だった。でも、達成感でいっぱいだった。

私の脳内に、また耳をすませばの名シーンが浮かんでくる。
地球屋のおじいさん(西司郎)が雫の書いた小説を読み終わったあとに言うのだ。
「雫さんの切り出したばかりの原石をしっかり見せてもらいました。よくがんばりましたね」
雫はそれを聞いて声を荒らげる。
「書きたいことが、まとまってません! 後半なんかメチャクチャーー」
感情的になる雫を優しいまなざしで見つめ、おじいさんは続ける。

「よくがんばりましたね。あなたはステキです」

勝手に脳内で再生して深夜のテンションで不覚にも泣きそうになった。
実際に、私が小説を書いても褒めてくれる人間などいない。
しかし耳をすませばが好きなことにより、あの時私の心は救われたのだ。ありがとう西司郎。ありがとうスタジオジブリ。
書き終わったあと、雫と同じように鍋焼きうどんでも食べようと思ったが、歯磨きが面倒なのでそのまま寝た。

そもそも私はこれまで生きてきた中で、自分で「やりきった」という気持ちを持ったことがほとんどなかった。いつも自分でブレーキをかけて「無理だ」と諦めてきた。
そんな私が、人生で初めてやりきった体験が「小説を書くこと」だった。
目標を立ててそれを達成できたことがとても誇らしかった。その日の日記にはずっと「嬉しい」「がんばれた」と書かれていて、今でも読み返すと(うふふ、良かったわね)と微笑ましい気持ちになれる。

5.浮かばないタイトルと筆名、そして投函

小説はできた。しかしこれで終わりではない。
応募原稿に添える表紙の作成をしなければならない。表紙には住所や名前などの基本情報と一緒に『400字以内の梗概』が必要だった。
(梗概とは……???)
分からない。調べる。

こう‐がい カウ‥【梗概】
〘名〙 (「梗」も「概」も、おおむねの意) あらまし。あらすじ。大略。大要

精選版 日本国語大辞典より

なるほど、本の裏表紙に書いてあるようなあらすじを400字以内で書けばいいのか。ツイッターをやっている人間にとっては「おいらに400字もくれるのかい!?」状態だ。
ここで注意することは、物語のオチまできちんと説明することだ。
「――とここで主人公の体に異変が。果たして異世界から転生した主人公は無事現実世界に帰れるのか!?」みたいな煽り文句ではいけないということだ。
この作業は、自分の小説を客観的に見るために非常に有用だった。
実際にここで400字でまとめている間に、オチを変えた。
風呂場でシャワーを浴びながら、急に(400字ならこっちのオチの方がインパクトがあるな!?)と思い至り、急遽最後の5枚ほどを書き直したのだ。

これがのちのち響くことになることも知らずに。

困ったのはタイトルと筆名(ペンネーム)だった。
先にお伝えしたとおり、私は名付けるという行為がめちゃくちゃ苦手だ。

普通はタイトルを決めてから本文を書きだす方が一般的なのだろうか。
そういうルールを知らない私は、書き上げた作品に名前がついていないことを、表紙を作成する時になって初めて気づいた。
復讐の物語だったので最初に思いついたのが『殺意』だったのだが、頭の片隅でずっと「いっけなーい殺意殺意💦」という構文が浮かんできたのでボツになった。
その当時読んでいたバレーボール漫画から着想を得た『フクシュー!!』というタイトルも頭をよぎったがすぐボツにした。

タイトルといっても、別に単語である必要はない。『桐島、部活やめるってよ』や『赤と青のエスキース』のように一目で読者を惹きつけるようなキャッチーでセンスのあるタイトルが欲しい。来い。一日中スマホや辞書を見ながら、いいフレーズが頭に浮かばないか祈った。でもダメだった。
無理に単語以外を考えようとするとどうしても『〇〇が復讐の時を待ち望み梅雨時期の6月に遂に実行した件について』みたいなラノベ調のタイトルしか浮かんでこないのだ。センスの前線が壊滅している。

最終的に、6月の季語を調べてそこからつけた。つけてからも「これでいいのか……?」と思ったが誰も正解を教えてはくれないので、確認のしようもない。

ちなみに筆名も決まらなかったのだが、タイトルを考えいている時期だったので「閃きが舞い降りる」ようにと願掛けも込めてつけた。願いは届かなかったが。

センスがないことを改めて思い知らされた出来事だった。

今回このnoteのタイトルも決まらず最後まで空白だったことを申し添えたい。


ギリギリまで誤字脱字がないか確認して、原稿と表紙を揃え、〆切の2日前に郵便局へ行った。当日の消印有効とは書いていたが、心配性なので手元に原稿を置けるのはここら辺が限界だった。
簡易書留で窓口に封筒を出した瞬間、猛烈な後悔に襲われた。
(こんなものを出していいのか――)
言うなれば、深夜に書いたラブレターを好きな相手に渡したのと同義なわけだ。
やっぱり返してください、と窓口に言いに行こうか迷った。2度ほど足を止めて振り返って、それでもこの3か月の自分のがんばりを認めてあげようと思って郵便局を出た。
郵便を出した私の心情は、達成感5割の、反省後悔羞恥5割だった。
家に帰ってからもふいに(あの原稿が第三者の目に触れるんですか!?)と考え出すと笑いが止まらなくなった。
料理を作りながら急に「エ、チョットヤダ…ヘッヘッヘ……」笑い出す母親を見て子どもたちはビビっていた。

6.最終選考通知と講評

それから5カ月弱が経過した。一次通過の作品は「7月号の本誌に掲載される」とホームページに記載があったので、時期が近づいたらネットで予約しようと思っていた。

4月、新年度を迎え仕事に復帰した私は、新しい生活のペースを掴むのに必死だった。
いつものように子どもたちを迎えに行って風呂を沸かし米を研いでいたある日、電話が鳴った。
その時はちょうど1階のリビングで子どもたちがケンカをしていて出られず、少し間を置いてから2階に上がってかけ直した。

「○○社の◆◆です。応募いただいた小説が最終選考に残りましたのでご連絡致しました」

私の第一声は
「えっ」
だったと思う。
まず「冊子の発売より前に、最終選考に残ったことを知らせる電話が来る」ということを知らなかった「え」だ。
よく直木賞や芥川賞の発表を待つ作家が、何名かの関係者と一緒に電話が鳴るのをソワソワして待つシーンをテレビなどで見たことはないだろうか。私もそういう発表の仕方があることは知っていたが、まさか新人賞もそのパターンで来るとは思わなかった。
そして「あの小説を読んだんですか?」という思いが同じタイミングで湧いてきた。
驚きと嬉しさと恥ずかしさの感情を総まとめにしたひらがなが「え」だ。

その後、出版社の方から最終選考が行われる日時と、その日の■■時に結果を全員に電話でお知らせするから出てほしい、というような内容を言われ、
筆名の読み方を確認をされた。
(簡単だからふりがなとかいらないでしょ)と思わず皆はちゃんとルビを振った方がいい。適当につけた名前を読み上げられてめちゃくちゃ恥ずかしかった。

スマホを置いてから手が震えた。
私が書いた小説を、プロの先生方に読んでもらえることになった。それだけで震えた。
連絡を受けた日の夜、薄眼で自分の書いた原稿を読み返してみた。郵便局に出したあの日からずっと封印してきた小説だ。
投稿前に何度も何度も読み返して、その時点で一番の出来だと思って出した原稿も、今読んでみるとのたうち回るくらい恥ずかしかった。そして「これを読んだのか……」と頭を抱えた。
発表まで1か月ほどあったが、その間は普通に過ごせた。三男が保育園の給食を一口も食べないと先生から言われてそれどころではなかった。

そして受賞者発表の日。
仕事の昼休み、きんぴらごぼうを食べている時に突然「最終選考」という文字が頭に浮かんできた。
「そうか、今日発表なんだ」と思うと動悸がした。『憧れの人が私を認知する』という事実で全身の血が沸き立った。とにかく夕方から私の情緒はヤバかった。
私のことなど原稿を読んだ次の日には忘れるかもしれないが、人生のうちの1時間ほどを私の原稿を読むために割いてくれ、そして感想を思い浮かべてくれるのだ。こんなことがあってもいいのだろうか。
退勤までの私の挙動は不審極まりなく、田舎のばあちゃんちの基地局の電波くらい不安定だった。

その日は定時ぴったりに退勤してお迎えを済ませ家で待機した。何も知らない子どもたちは、相変わらずテレビのチャンネルを巡ってケンカをしているがもはやそんな事はどうでもよかった。

予定の時刻を10分ほど過ぎた頃に、電話が鳴った。
ダッシュで2階へ上がる。
「ただいま選考が終わりました」

前回とは別の人の声だ。
ドキドキ

「結果なのですが」
ドキドキドキドキ

「まことに残念ながら落選となりました」

「だーーよーーーねーーーーーーー」だ。

自分で読んで恥ずかしい小説が大賞など取れる訳がないだろうが!喝っ!
ただ、でも、ほんのちょっと期待してしまったことをここに白状させてほしい。
電話では選考結果のみの連絡で、詳しいことは8月号に座談会形式で載りますので確認してください、ということだった。

8月号、ポチッ。

6月、手元に届いた冊子をしばらく見つめ、表紙に小さく書かれた「選考結果発表」の文字を見てドキドキした。この6文字に私が参加していることが信じられなかった。
恐る恐るページを開いたら、ちゃんといた。嬉しかった。

講評の内容はこんな感じだった。

  1. 「文章に難がある」

  2. 「登場人物が多すぎる」

  3. 「復讐に至る動機が弱い」

  4. 「オチが唐突」

短編で登場人物6人は多い、など、文章の癖を含めて有益なことをたくさん教えてもらった。唯一後悔があるとすれば4.だ。最大の後悔。直前で変えたオチはやはり突拍子もなかった。やってしまったしくじったと思った。今あの時に戻れるなら、シャワーを浴びてる自分が変な閃きを起こす前に手刀で気絶させたい。

ただ一つ、湊さんが私のタイトルを見て「こういう付け方があるのかと面白く思いました」と言ってくれたことは嬉しかった。
この講評を読むのも恥ずかしくて薄目でゆっくりと読んだ。

あれから2年

2020年、3回目の育休にして初めて新しいことに挑戦し、そのおかげで私は一回り成長できた。
あの時「母性」を読んでいなければ小説を書こうとは思っていなかっただろうし、自分が小説を書けるとも思っていなかっただろう。
そして何よりも、尊敬する人に原稿を読んでもらうことができた。これほど幸せなことがあるだろうか。

私は30歳を過ぎて小説を書くことの面白さに気付いた。中学、高校、せめて大学生の時に知っていれば……と思わないこともないが、これもまた人生だ。
子どもたちには「やりたい」と思ったことはどんどん挑戦してみなさい、と言いたい。

ちなみに今はと言えば、さすがに日中フルタイムで働く人間が深夜2時まで小説を書くことなどできないが、今でも小説を書くのは好きだし、これからもぼちぼち趣味として続けていきたいと思っている。

しかしタイミングが悪いことに、例のインクゲームのシリーズ第3弾が9月に発売されてしまった。今は睡眠時間を削りながらバンカラ街でパブロを振っている。
重ねて言うが、ヒッセン・ヒューにボムがつくのかどうかについて、引き続き緊張感を持って注視していきたい。

ここまで約1万3千字、原稿用紙換算で42枚。最後までお読みいただきありがとうございました。

ちなみにこの記事のヘッダーが実際に送った原稿写真
初っ端から料理シーンが出てくる熱い展開だった


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