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アフターコロナのワークスペースの勘違い。

働き方の「多様化」を空間から考える

「新型コロナウイルスのパンデミックは、世界中の働き方に大きな変革をもたらした。多くの企業がリモートワークを導入し、柔軟性や効率性を追求する一方で、従業員の健康と福祉を重視する動きも広まった。」ということは、どこでもされている話で、今回は特に空間が多様化したって、具体的にどう変わったのか?その変遷とこれからを書いていきたいと思います。

工房で働いたころに回帰しているワークスペース

 実は、働く空間の配置構成に関して論ずると、WP(=ワークプレイス)がオフィスに閉じこもったものになったのは、ここ100年間の特異現象である。産業革命がおこり、圧倒的出力で大量にものを作ることができるようになったことで、大量の情報業務を人間の手でこなすことが必要になった。その人間たちを効率良く統制するために、巨大な箱に多くの人々を詰め込んだ。これがオフィスの紛れもない事実である。

 建築の歴史をさかのぼっても、三菱一号館にある日本初の近代建築が、我が国の史上初にオフィス(1894年)とされている。そこから本日記事を書いているのは2023年、つまり約130年しかオフィスという形態は存在していなかった。


現在の町屋


 では、働く場の歴史でいうと町屋が日本に存在した時代から、家内制手工業といった形式で住空間と働く場が融合しており、時折必要な際は町に出ていくという生活を送っていた(鍛冶屋が鉄を冷やすために、井戸に水を汲みに行くなど)。つまり、必要な用途に応じた機能が町の中に分散していたのである。

現代の働き方を「再度」見る

 ここで、改めて現代のワークスタイルを俯瞰してみましょう。オフィスで集中して働く。休憩がてらに、簡単なPC作業はカフェに行く。休日は、公園で読書をする。出勤しなくていい日は、リモートで会議だけ参加する。といった知的生産活動を展開されるようになった。これも、必要な用途(シーン)に応じた機能が町に分散している。それに他ならないのである。


働き方は多様になったのでないということ

 つまり、この記事を通して、オフィスという箱物からの解放は、多くの人にオプションを与えたのではない。元来、仕事というものも、生活の利便性を向上させたり、はたまた人々の何気ない生活に如何に彩を与えるのか(AIが到来した今、「ノイズ」などといった言葉も聞く)を必要に応じて創造することから生まれている。WPは町に分散し、生活に癒着してこそであり、ライフワークバランスといったことも、着目されていること自体が、人の生活と仕事の在り方の乖離を指しているのかもしれない。
 また、伝統工芸から見ても、日本のクリエイティビティは世界からも注目を浴び続けていることである。外国から輸入したオフィスデザインを踏襲したやり方で、現在日本はGAFAに対して手も足も出ない大完敗記録を連続更新している。このまま、海外の真似事でマネーゲームを続けるのか、否か。
 僕は、まだ建築学生だが、一クリエイティブなジョブに今後つくものとして、ワークスペースの在り方は真剣に考え始めるべき議題なのかもしれない。

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