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効率的に生きるためには我慢が必要

この4月から高校3年生の担任をしていて、最近頭の中にあるのは担任クラスの進路指導のことばかりです。

少し前までは、「興味のあることは?」「どんな人に憧れるのか?」「君の強みを生かせる生き方とは何か?」ということを生徒個々と話すことが多かったのですが、6月を過ぎるといよいよ具体的な受験校についての質問がほとんどになってきています。

私が高校生だった頃は、特にやりたいことも思いつかず、学校で出される暴力的な寮の課題をただただこなす日々を送っていただけだったように思います。周りの友だちも似たようなもので、偏差値と受験科目だけを見て大学選びをしていました。未来を想像してもどれもリアリティがなく、たとえば「働く」といった、大学卒業後に待ち構えていることについて、じっくり考えたことはありませんでした。

その頃の反省を踏まえ、指導者の立場となった現在は、担当する「現代文」の授業を通して社会とのつながりを意識しながら授業をしています。それが生徒にとって良い方向に向かっているのかはまだ分かりませんが、とりあえず気持ちがひと段落つくまでは、そういった視点を大切にしていきたいなと思っています。

社会とのつながりを考えながら授業や生徒との対話を行う。

その姿勢で仕事する中で、最近ある気づきが得られました。
それは「効率的に生きようとするっていうのは、実は我慢が必要とされるんじゃないの?」ということです。


受験生は、受験科目以外の教科の勉強を"捨てる"ことがある

3年生にもなると、勉強することに目覚める人が出てきます。いわゆる受験モードというやつに突入するんですね。

今まで授業で聞き流していたことにも気がいくようになって、質問しないと気が済まなかったり、単元を理解し、解けるようにしたいと思って励むようになったりします。

ここでの学習において、彼らは「学習の効率化」を目指していきます。

・志望校に受かるためには何が必要なのか。
・そのためには何をしたらいいか。

それらを突き詰め、それらに当てはまらないものは捨てるという選択をするのです。

たとえば、私立文系で大学に行くのであれば、社会か数学のどちらかは受験で使いません。ですから「自分は数学を受験で使わないから、学校の数学の時間に英単語を覚えよう」みたいな感じになっていくのですね。定期考査で欠点にならなければ問題がないので、最低限だけにしておこうという発想です。

授業中に別の教科を勉強する「内職」についての良し悪しに思うところもあるのですが、ゴールを大学受験という点で考えると、「教科を絞って勉強する」という発想はむしろ行わなければなりませんし、最終期限(=受験日)が決められているので「効率的に行う」ということを意識するのは必要です。

しかし、「効率的に」ということに関して、ある勘違いをしているなと感じる生徒に度々出会います。


"効率的なこと"と"楽なこと"は違う

彼らと話していると、「すぐに結果が得られるものがある」と信じているのではないかと感じることがあるのです。

授業終わりに片付けをしていると、

「どの参考書をすればいいですか?」「どの問題集を解けばいいですか?」

という質問をしにくる生徒がいます。それに対して志望校や今の実力を考えた上で、「①→②→③の順でやっていけば、入試問題を解くだけの準備ができるよ」と答えるのですが、ここで不満そうな顔をちらっと見せる人が出てきます。

最初の頃は「なぜなんだろう?」と不思議に思っていたのですが、彼らの求めているものを把握すると疑問がなくなりました。

そういう人たちは私に「1冊でカバーできるものはないか?」と訊いていたんですね。

「簡単にできるもので紹介して欲しかったのに、紹介されたものは全然簡単に終わりそうじゃない…」

というような感じでしょうか。とにかく私は彼らが求めているものと違うものを提示していたので、不満そうな表情をされたわけです。

たしかに複数冊するのは非常に面倒ですから、簡単に終わればいいなと考える気持ちはよくわかります。しかし、1冊でカバーできればほとんどの受験生ができることにもなるので、結果に差が出ません。

差を出すためには、同じ志望校の人以上に知識を増やすことが必要なのですから、その1番簡単な方法が「量で差をつける」ことになるのです。

「効率的に〇〇をする」というのは、単純に「楽をする方法」というわけではないと思います。

結果に直結するから効率的なのであって、それが楽なのかは別の話でしょう。

「効率的=楽」と考えるのは危険な気がします。

やっていることが有効なのであれば、それを地道にコツコツやり続ける。
それが受験において、成績を伸ばせる人の条件です。

こういったことを質問してきた生徒たちにも伝えました。

そして、職員室に戻ってPC作業をしていると、ネット広告にもこんな話があったなあとふと思い出しました。

「最短3ヶ月で痩せます!」「3クリックするだけで収入を得られる方法があります」などなど。

最近も多いですし、昔から見られる言い回しです。
ということは、これである程度の広告の効果が出ているのでしょう。
この言い回しで刺さる人が多いというわけですね。

"簡単”、そして"すぐに”結果が出る。

確かに興味は惹かれます。笑


効率的に生きるためにも、夢中になれる時間を増やそう

では、生き方としての「効率的」とはどのようなものなのでしょうか?

先ほど、「効率的とは結果に直結するもの」だと書きました。

ですので、まずは生きる目的を考えよう、というと大きな話ですが、私はそれを「幸せになること」だと思っています。

そして、私はどんな状態が幸せかと問われると、「夢中に何かをしているとき」と答えます。

となると、私にとって効率的に生きるということとは、「夢中になれることをする時間を増やして生きる」ということになります。

この場合、「効率的」の軸になっているのは「心のエネルギー」というべきようなものです。

苦手なことを考えながら行うのは疲れます。

私の場合は事務仕事(物の管理のイメージです)だったり、営業だったりが苦手なことに当てはまるのですが、それらを頻繁に行わなければならない状態になると、急激にストレスが溜まります。

しかし、こうやって文章を書いたり、生徒と対話したり、授業したり、その準備をしたりする時間は時間が経つのを忘れます。終わった後には心地良い疲れがあって、その後少しお酒を飲んだりすると、良い気分で翌日を迎えられます。

だからこそ、「夢中なことでお金をいただいて生きていけるように、その質を上げていきたい」という思いが私にはあります。

質が高いものを提供できれば、相手にとって意味のある価値を提供できる可能性が上がります。

以前、マーケティングについて勉強したことがありましたが、そこでは「良い商品をどうすれば広められるか」というところから考えられていました。つまり、"良い商品である”ことは前提として必要なわけです。

まずは「質を高めること」から。

これは受験も仕事も同じことで、ここを怠るための効率化であってはならないと思います。

自分にとって大切なものに直結することが効率化です。

そこには、質が高まるまでやり続ける我慢も必要なのです。

このように、私にとっては、「夢中になれる時間を増やすこと」が効率的な生き方です。

あなたにとって、効率的な生き方とはどのようなものでしょうか?

長くなりましたが、
ここまでご覧いただきありがとうございました。

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