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【短編】 よく分からない存在の猫

 私が旅を始めたのは、とりあえず戦争から逃げる必要があったからだ。
 砲弾が頭の上を飛び交う中、貴重品や食べ物や読みかけの本などを、私はリュックサックに押し込んだ。
「避難用のバスは、数時間おきに来ますし、避難を希望する人を全て運ぶことが出来ます」
 避難用のバスの中は人や荷物でいっぱいで、人々の顔はみんな暗く、赤ん坊の泣き声が聞こえても誰も文句は言わなかった。
 バスに乗って十時間もすると国境を越え、さらに一時間走ると避難所に到着した。
「皆さんお疲れ様でした。この避難所には簡易的なベッドしかありませんが、砲弾で攻撃されることはありません。具合の悪い方は、保健担当のスタッフに声をかけて下さい」

 私は避難所で一晩過ごしたあと、そのまま旅に出ることにした。
 元居た場所には、家族がいるわけでもないから、わざわざ戻る必要はないし、隣国の避難所にいてもたぶん何も問題は解決しないと思ったからだ。

 そんな訳で、私は一般の長距離バスに乗り、戦争からできるだけ離れた場所へ移動することにした。
 バスの窓から見える田舎の風景はとてものんびりしていて、数百キロメートル離れた戦争と、この田舎の風景のどちらが本当の現実なのだろうと思い、頭が混乱した。
 もちろん、どちらも現実なのだが、同時に、どちらも夢の世界に見えてしまう。
「この世界はただの夢だって考えたら、少しは気が楽になるんじゃない?」
 私はバスに揺られながら居眠りをしていたのだが、目を覚ますと、隣の席で毛づくろいをしている一匹の猫がそう言った。
「猫には現実と夢の区別なんてない。でも人間は、いつも現実に生きようとして、現実に傷付けられて、現実に絶望してる」
 バスに猫が乗っていることにも驚いたが、猫が喋ることにはもっと驚いた。
「これはたぶん夢だから、猫が喋ってもおかしくないでしょ? でも現実の世界で猫が喋ったって別にいいじゃない」

 そうやって私は、現実か夢か、よく分からない存在の猫と旅を続けることになった。
 戦争はどんどん酷くなって、大国同士の世界大戦になり、核ミサイルが何百発も発射されたみたいだが、私と猫はどうにか旅を続けている。
「人間の社会は終わったみたいだけど、まだ生きている人間や生き物はいるし、世界そのものが終わったわけでないでしょ?」

 戦争でボロボロになったバスをいじってみると、何とかエンジンが動いた。
 私は、まだ旅が続けられるなと思った。

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