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嫌な思いに向き合う

自分の中の醜さに気づくことがあります。
それは、
過去に行き違いがあった人が
成功しているような話を聞くと、
悔しくなってしまうこと。
失敗すれば良いのに、と思ってしまうこと。
相手の成功と比べて、自分が惨めに思えてしまうこと
などです。

自分でも醜いと思っているのですが、湧き起こる感情はどうにもならない。
おそらく相手の方も、私を避けていたり、似たようなことを思っているかもしれません。
逆に、相手はもう私のことなど眼中になく、自分のやりたいことに夢中かもしれません。
むしろ、その可能性の方が高いですね。
醜い私の心は、それがいちばん悔しいようです。

そもそも、心が安定している人は、
他人の行動に関係なく、自分の行動の指針を考えられます。
他人が何をしようと、どう言おうと、自分が良いと判断したのなら貫きます。
もちろん、この判断軸に、他人の目線や、他人の評価、他人の行動例などを参考にするのは大切ですが。
一度良いと判断したのなら、たとえ思い通りに行かなかったとしても、諦めずに貫くことができます。
私の弱点は、その強さが無いことなのです。
一度良いと思ったことも、他人の評価ですぐに心変わりしてしまい、時にやる前から諦めて、結局何がしたいのかわからなくなってしまうのです。
逆に、こんなことしたくないな、と思っていても、他人が「良いよ!」と太鼓判を押すと、やらなくてはいけないように感じてしまいます。

こんな風にブレている上、一度行き違いのあった人とは、二度と会いたくないというような極端な方向に行きやすく、その会いたくない人が私がやりたかったことを実現できていると、悔しくて仕方ありません。

人の良さを認めることが大事と知りつつ、自分が『嫌い認定』した人に良さを認めようなんて気は起きないし、むしろ悪さを探す方に注意を注いでしまうのです。

ここまで、自分の醜さを淡々と書き出してみると、少しスッキリしてきました。

他人を羨むことは良くないとわかっていても、どうにもできない感情がドロドロと渦巻いていて、そのドロドロな感情を持っている『私』自身に腹を立てています。
そして結局自己否定に陥るのです。

"あなたは悪くないけれど、
その感情に飲み込まれてしまったら、
あなたの心根が腐っていくよ"

自分自身を大切にするなら
自分が腐っていくのを見過ごせないはず
ところがところが、
ここに自虐体質が絡んでくると、
その腐っていく自分を小気味良く見つめる自分がいるのです。

自尊感情の欠如は、まるでHIVのようですね。
風邪を引いた自分が不快なのに、自分自身ではその状態を回復させることができない。
HIVは免疫を回復させることが難しいですが、
毒親由来の免疫不全が免疫をつけられないことは無い。
現に、こうやって分析をすることで、耐性を付けていく道筋がわかるのですから。

人を呪わば、穴二つ

どんなに嫌いな相手でも、羨んだり、恨んだりしたら、その感情そのものが自分の免疫を破壊している。
そう自戒して、自分のやるべきことをしっかりと見つめていきたいです。


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