見出し画像

自分再発見!

これまで、自信の無さを克服したくて、いろいろと分析してきました。
夏までは特に、昨年思い切ってチャレンジしたことがかえって心の傷を深めてしまい、それを癒すのに苦労していました。
まさかそこまで深い傷になって後々まで尾を引くとは思っていなかったし、そんなに自分がヤワなのかと情けなくなるので、傷ついていることを認めたくなかったんです。
けれど完全に鬱の入り口に足を踏み入れていたのですね。
「これはマズイ!」と思って早めに病院に掛かりました。
まだ入り口程度だったので、どうしようもない状態にならないうちに、何とか引き返してくることができました。

通院のキッカケは、現在の状態を何とかしたいというのではなく、根本的に自分の生き方に自信が無いというところにメスを入れて欲しかったのです。
以前心療内科に掛かった時には、鬱の状態からの回復することが優先課題だったために、自分自身の性格、特性、行動傾向などについて話すことは出来ませんでした。
とにかく鬱状態を改善しなくてはならなかったからです。

今回は、鬱がそれほど酷くならないうちに掛かったのと、そもそも人間関係で鬱になるようなトラブルを抱えてしまうのは何故なのか、根本的なところを知りたかったので、自分の『特性』についてきちんと先生と話すことが出来ています。

改めて、私はASDとADHDを持っているということを認識しました。
自分の生まれ持った特性は、ずっと変わらないし、今後も変えられない。
問題なのは、その特性から来る行動を自分自身が認められないというところだったのです。

自分の子どもが発達障害を持っているので、発達障害についてはずっと学んできました。
子どもの特性にどう対応すれば良いのかということも知っています。
けれど自分自身の特性にどう対応するのかということを考えたことはなかったんですね。
さらに自分自身に特性があることは分かっていたのに、その特性によって起きているトラブルを認めたくなかったのです。
特性は変えられないと頭では分かっているのに、努力すれば変えられる、上手く誤魔化せば周りに知られずに済むと本気で思っていたのです。

具体的に言えば、多くの人が気づくこと、多くの人が見えているものが、自分には見えていない。
視点や視野が違うので、見ようと思っても無理なのに、根性を出せば見えるかもしれない、注意深く意識すれば見えるかもしれないと悪あがきをしていたのです。
そして見えない気づかない自分を「情けない!」と責めていました。

これまでやってきた仕事は好きなことだし、運勢などを占ってもらうと、どんな占い方をしても(生年月日、星座、血液型、四柱推命、タロットetc.)『合っている』と出るような仕事です。
だから自分の天職だと信じた。
それが、自分の特性には最も合わない仕事だなどと思わなかった、いや信じたくなかったのでしょう。

発達障害って不思議です。
きっと私に障害がなければ、その仕事は私という人間の使命のようなものだったのかもしれません。
ところが、その使命を遂行できないようなトラップを仕掛けられた、それが私の障害なのかもしれないなと思うのです。

多くの発達障害の当事者が、本来自分が果たすべき役割や、自分の心が向く運命というものに惹かれながらも、そこに辿り着くことを許されない。そんな強烈なジレンマに苦しめられているのかもしれません。
辛いのは、周りから何かを言われるとか、差別されるとか、そういうことではないのです。
本来自分がやりたいと思うことに、まっすぐに向かうことが出来ない。
それこそが本当の苦しみなのかもしれません。

音楽家になりたいのに耳が聞こえない。
画家になりたいのに目が見えない。

そんな例で言い表すことができるかもしれません。
目が見えないわけではないのに、見えている範囲が極端に狭い。
考える力や頑張る力がないわけではないのに、狭い範囲でしか考えられなかったり、頑張るポイントがつかめずにオロオロして無駄な時間が過ぎてしまう。
そうやって、たくさんの遠回りをしながら、『諦めるもの』『譲れないもの』を選んでいくしかないのでしょう。

自分が運命だと思う生き方

いや、実はそれすらも、視野の狭さから思い込んでいるだけなのかもしれません。

自分を見つめ直す。
そして、本当に自分の『できること』を、枠に囚われずに探す。

ようやくその入り口に立ったような気がします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?