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虚しく生きる人々ー映画『マミー』を観てー

話題となっている映画『マミー』を観ました。
1998年7月に起きた和歌山毒物カレー事件の真相を検証したドキュメンタリー。
この事件の犯人とされている林眞須美死刑囚が冤罪だと訴える家族の様子と、当時証拠とされたものを再検証する過程が描かれます。
これまで報道されてきたものから新しい情報は得られないのですが、これまで家族がどのように生きてきたのか、当時林家はどんな様子だったのかが、眞須美死刑囚の夫、健治氏と、長男の口から語られていきます。
その生々しさが映画ならではの視点で、大きな事件の報道の裏で、関係者がどのように生活しているのかを炙り出した視点はとても斬新だと感じました。

※※※※※  以下ネタバレです ※※※※※


林家の人々の証言があまりにも衝撃的で、この事件の真相がどうのという以前に、人間の生き様とはいったい何だろうか?と考えさせられる内容でした。

これはおそらく私の独特の視点なのではないかと思いますが、私はこの事件が『毒親』『生育歴』『トラウマ』『時代』というものに複雑に絡み合っていると感じたのでした。

健治氏は、戦争中昭和20年の生まれ。両親とは離別し、叔母だったか?親類に育てられたと言います。要するに両親の愛情とは無縁の育ちだったのです。
その健治氏が、16才年下の、一人娘で何不自由無く育った眞須美さんと出会い結婚する。
健治氏と眞須美さんが結婚する時の様子を、眞須美さんの回想を引用して語られます。
眞須美さんは健治氏の不幸な生い立ちを知って、この人に寄り添ってあげたいと思ったそうです。
しかし、健治氏の自暴自棄な性格やギャンブル依存症のような嗜癖が本人と家族を追い詰めて行きます。

かつて仕事で使用していたヒ素を出来心で舐めてしまい(なぜ舐めようと思ったのかも不思議。私には自死願望があったのではないかと思われました)、中毒症状で入院。
家族のために、自分が死んだら保険金がどれほど下りるのか眞須美さんに調べさせます。
しかし症状はそれほど重くなく回復。
これでは保険金が下りないと考えた健治氏は、病院に実際とは異なる症状を訴えて、重度身体障害の診断書を書かせて多額の保険金を受け取ることに成功します。
それからは、金に困ると致死量に至らないヒ素を飲んだりして、保険金詐欺を繰り返す。
夫婦が保険金詐欺を行っていたことは、かつての報道によってすでに周知されていました。
しかし報道では、眞須美さんが健治氏に黙ってヒ素を飲ませ保険金を狙い、その流れで無差別に町内の人も狙ったのではないかとされていました。
健治氏自身が自発的に命を張った危険な偽装工作をしていたなど、誰も想像しなかったのです。
それに一歩間違えば死ぬかもしれない偽装を行う人がいるものかと、ほとんどの人は健治氏の心理を理解するのが難しいのではないかと思います。

この健治氏の不可解な行動は、一般の人には理解不能でしょうが、私には想像が付きます。
なぜなら父が生前、常に自虐思考を持っていて、自死を遂げる前に何度も未遂を繰り返していた時の姿と重なるからです。
その頃の父は、もう生きることに何の執着もなかったのでしょう。例えば自分の顔の上にビニールと濡れたタオルを載せて寝たりと、消極的な未遂をおこなったりしていました。
収入が入るとギャンブルに使い込み、自分で起業したにも関わらず堅実に貯金をしようとか、上手く経営を回そうという意欲が無いようでした。
まさに自暴自棄な生活の果てに、自ら命を絶ってしまったのです。

父の生まれも戦中でした。
戦中、戦後は、家族も周囲の人々も生きのびることに必死。優しさとかあたたかさなどとは無縁で育つしかなかったのだと思います。
健治氏も父も、ちゃんと家族をもうけたにも関わらず、家族を守り抜く気概も無ければ、自分が真っ当に生きられるという自信もなかったのではないでしょうか。
究極の自虐思考は、究極の身勝手さと同じです。
健治氏は、堅実に生きることよりも、身体を張ってあぶく銭を稼ぐことに生き甲斐を覚えてしまったのでしょう。
健治氏のそんな厭世的で身勝手な行動が遠因となって、妻は死刑判決を受け、一家は離散し、長女は我が子を手にかけ自らも命を断つという最悪の結果を招いてしまいます。

映画の中で健治氏は始終穏やかで弱々しく、自らが過去に犯した罪について悪びれもせず淡々と語ります。
その姿勢に、レビューには怒りの声も上がっていました。

健治氏の、ある意味『自殺未遂的』な行為に、家族はショックを通り越して当たり前のように受け止めるようになっていきます。
幼い長男は、父親や来客(遊び仲間)が中毒症状を表す姿を日常のことのように記憶していますし、眞須美さんも健治氏の言うままに毒入り料理を食卓に出す……
それが林家の日常だったのです。

私の父は、晩年になって強い希死念慮を表すようになりましたが、その前から常に自分は価値の無い存在だと思っている節がありました。
戦中に生まれた父や健治氏……。
同世代の人すべてがというわけではありませんが、生きることが虚しくなるような育ち方をする時代背景や状況が揃っていたのではないかと思います。
幸せや豊かさとは程遠い環境で育つこと。
それが人の人生にどれほど影響するのかということを想像しないわけにはいきません。
そしてその自虐思考は、家族という閉鎖空間の中で容易く伝染していくのです。
林家にDV的な力関係が存在していたとしたら、なおさら他の家族は健治氏の価値観を自然なものとして受け入れるしか無くなっていたでしょう。

毒入りカレー事件は、これが冤罪であったとしても無かったとしても、生育歴から狂った価値観を持つにいたった男の姿、それを甘んじて受け入れるしかなかった家族の悲劇を浮き彫りにしました。
そこから見えてくるのは『毒親』『虐待』『トラウマの連鎖』の構造であり、それが時代と深く関係しているのではないかということがわかります。
日本人は、太古から持っていた独自の精神性を、実際の戦争被害とその後遺症によって破壊され尽くした民族なのです。
その傷を丁寧にケアしないまま、高度経済成長によって金に依存してしまい、ますます間違った方向に突き進んでしまったのでしょう。
父も健治氏もその被害者。
そして被害者だけにとどまることは許されず、その家族に苦痛を与える加害者になってしまう。
そうやって巡り巡って、突如大きな社会問題が勃発する……。

和歌山毒物カレー事件は、ずっと燻り続けていた炎が突然大きな火柱となって現れた事件なのでは無いかと思います。

全てが巨大な負の連鎖になっているように思えてなりません。


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