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"Sense of Wonder" 記 〜最後の転機〜

その夏、北海道の東川町で開催された「大人の学校」に参加しました。「大人の学校」では、参加者との対話で自分と人とのつながりを感じ取とれる場でした。ボクが参加したコースは "Sense of Wonder" というワーケーションのコースで、用意されたプログラムの他に仕事(あるいは自由行動)ができる時間もあって自由度の高いコースでした。用意されたプログラムには全て参加し、日頃の仕事では関われないことをこの機会に体験することにしました。それらを通して田舎での子どもの頃の体験が思い出される充実した8日間でした。

あれは2022年8月のことだった。8日間に渡って開催された夏のワーケーションコースにボクは参加していた。

あれから様々なことがあったのだけど、今こうして書き留めることができた。体験を新鮮なうちに記すつもりが、こんなに遅くなってしまった。大袈裟だが人生の宿題をやり終えたかのような気分だ。

出会い

2020年1月25日 サイボウズ社にて

このワーケーションコースとの出会いは少し奇妙だった。時はもう少し遡って2020年1月のことだ。東京日本橋にあるサイボウズ株式会社で「日本にフォルケホイスコーレは必要か?」というプレゼンを聞いたのが最初だった。

当時のボクは起業して5年目で、サイボウズ製のkintoneというアプリ作成プラットフォームを使ってビジネスをしていた。サイボウズ社には時々出かけて技術的なイベントに参加したものだ。2019年になり教育関係のイベントがサイボウズ社で開催されるのを知った。非常勤でプログラミングを教えていたこともあり、教育イベントにも自然と興味が湧いた。

ところで、フォルケホイスコーレという謎のカタカナ語には難儀した。その後何度か見聞きしたが、うまく口が回らず声にできなかった。後年知ったのだが、英語では Folks High School に相当するらしい。日本語では「大人の学校」とも「人生の学校」とも言われているようだ。デンマークが発祥で年齢や立場に関係なく、誰でも行きたいときに尋ねて行って「学び」ができるのだそうだ。座学というわけではなく芸術のように実技的なものや、そこに集った人々との対話が中心という印象を持った。

「日本にフォルケホイスコーレは必要か?」は教育女子2人がプレゼンしていた。結構多くの教育関係者が耳を傾けていた。静かに何かが伝わっていった、そんな風に今振り返ると思える。

その時の具体的な話はもう覚えてはいないけれども、デンマークでは個々の考えを尊重していることや、民主主義の基盤になっているということは、なぜか心に染みた。彼女たちが日本でフォルケホイスコーレをやりたいという思いはまっすぐだなと思った。そういうものができたらいずれ参加してみたいなと小さく何か灯った感じもした。しばらくしてFacebookグループに入れてもらい時々流れてくる情報でボクの気持ちは醸成されていったのかもしれない。

ニックネーム

2022年諸条件が整い、8月のワーケーションコースに参加することに決めた。場所は北海道東川町。実はその少し前まで北海道のどこにあるのかわかっていなかった。東京に住む前は札幌に2年間住んでいたのだけど、聞いたこともない町だった。

そうか旭川の隣なのか。大雪山の麓なのかと少しずつその全貌が見えてきた。人口は8,200名。福井の実家の町より多いじゃないか。え、人口が増えてる!?写真の町?水田が広がっている!え、高校もあるの!? 実家の町には中学校までしかないのに。行政のユニークな施策も聞いて興味が湧いてくるのを覚えた。

事前顔合わせ会が7月29日にあった。2020年の新型コロナ感染症のパンデミックでオンラインのミーティングが普及し、パンデミック前にはできなかったことが普通になっていた。今思うとこの時点ではみんな表情が硬かったように思う。

少し変わっていたのは、オンライン画面に表示させる名前を「呼ばれたい名前(ニックネーム)」にするように求められたことだ。少しぎこちなくもあったが、互いにニックネームを使うことになった。しかも予想外なことに、コースを通してずっとニックネームを使い続けたのであった。

東川町へ

東川町せんとぴゅあ(コースの宿舎)

ワーケーションコースが開催された8月7日(日)〜14日(日)は飛行機代が最も高い時期だ。新幹線の予約席もいっぱいで取れなかった。東京に住んでいたボクは、8月5日に上越新幹線で新潟まで行き、新潟港→小樽港のフェリーで北海道に渡った。フェリーで一泊。8月6日の早朝小樽港に入港し、電車で旭川まで行き、そこで更に一泊。翌8月7日に旭川からバスでようやく東川町に着いた。旅をした感があった。

東川町の中心部にある「せんとぴゅあ」が宿泊施設だった。初日の集合場所になっていたので行ってみた。写真の町というだけあって、せんとぴゅあ前の広い敷地には写真がずらっと並んでいる。待ち合わせ時間よりだいぶ早く着いてしまったので誰もいなかった。東京は高温湿潤の灼熱地獄だったが、ここはひんやりしている。ひんやりどころか寒いくらいだった。せんとぴゅあ前は芝生になっていて東京人の身には贅沢な広さだった。写真の看板が今思うと目のやり場になっていた。

1日目

森のMEISHI

森のMEISHI

いきなり森からスタートした。東京の普段の生活ではなかなかお目にかかれないような緑に包まれた所だった。網膜が緑に敷き詰められた。コースに参加した15名とスタッフ数名、そして時々短期ステイの方というメンバーで軽く自己紹介から始めた。ここでも本名ではなくニックネームを使う。

北海道とは言え、夏の日差しがあるとそれなりに暑い。森の中でシートをずらしながら木影を求めたのが懐かしい。もう、何を言って何を聞いたのかは全然覚えていないが、社会的な立ち位置というのではなく、このコースにどんなことを求めているのかみたいな「問い」に答える形だったように思う。

圧倒的に緑が強い。時々茶色もあり、見上げれば青と白の空が広がっている。そんな森の中で「名刺」作りが始まった。白い布をひとりひとりが受け取って、森で拾ったもので「名刺」を作る。理系的には "なんて無意味な〜" な感じだけど、枝や落ち葉を触る機会もない都会生活のボクには、子どもの頃の田舎を思い出す作業となった。名刺を展示する"ステージ"を探し、適当に枝と葉をあしらった。色もなんとなく考慮して意外と整った名刺になった。数名のグループに分かれて、自分の名刺を紹介していく。その感想や質問をもらったりして、ひとりひとりいろんな見方をするんだなぁと気付いた。

こんなワークのおかげか昼ご飯のおにぎりは取り合いになることもなく、平和裏に2個ずつ分け合った。みんなお互いになじんで来つつお腹を満たした。

8日間のVISION

みんなが作った作品を並べたところ(右下枠内がボクの"作品")

午後は「8日間のVISION」を作った。ビジョンって文章とか図とかで示すのかと思ったら、与えられた素材(画用紙、色紙、モール、毛糸など)で創作するというものだった!みんなテキパキと作業を始めていたが、ボクは何を作っていいのかさっぱり思い浮かばない。ちょっと焦る。それでも全然思い浮かばない。

ノーヒント、ノープロダクトである。全く使ったことのない脳の部位を使わないといけないようだ。左脳優位なボクには時間だけが過ぎて右脳は働こうとしない。仕方ないので、左脳で思い浮かんだ「波」のイメージで、縦横の縞模様の布に、モールを並べて別の波を表し、紐でそれに直交する波も加えて、人生やビジネスの行き来のような理屈を付けてみた。

完成後、少人数のグループに分かれてそれぞれの作品を説明したり、意見を言い合ったりと正解のないことを話し合う時間を持った。ここでもいろんな人がいろんな見方をするんだなぁと気付いた。そういえば、ボクの隣にいたひーくん(参加者のひとり)はモールで巧みに立体作品を作っていた。センスあるなぁと思った(後で美術の先生だとわかる・笑)。

夕陽

水田が広がる中、日が沈んでいく

夕方、小高い山に向かった。そこから見る広々とした景色に心落ち着く。今日のワークで馴染んだみんなが一緒に眺めているというシチュエイションも落ち着く要因だったと思う。ボクの実家は山の中なので、こんなに広々と水田が広がる景色は見たことがない。遠くの低く見える山に夕陽が落ちていく様は静寂そのものだった。心が澄んでいく感じがした。

ふれあいの路にて

別の日の写真ではあるが、町の中で見た夕焼けも載せておこう(上)。平地で見る夕焼けは燃えるようだった。都会ではビルにさえぎられ、実家では山にさえぎられ、これほど広々した夕焼けを見るのは初めてかもしない。

図書館

町の図書館は夕焼けの中で先端的な輝きを放っていた。美しい。

晩ご飯

手料理

晩ご飯は腕に覚えるあるメンバーが作ってくれた。ありがとう!感謝しかない。このコース中、ボクは料理は手伝わなかった(ごめん)。だって手伝うだけの腕がないし指示待ちになってしまうので邪魔になるかなと遠慮しておいた。毎日が自炊というわけではなかったけれど、自炊のときは充実した料理を振る舞ってもらえありがたかった!

自炊のときは、数名ずつのグループに別れて、別々の部屋で晩ご飯を食べた。このようにこのコースは、いろいろな場面ごとに異なるメンバーと一緒になりお互いの話ができ、満遍なくみんなと話ができるように考慮されていた。何を話したかより何かを話したという方が大事なのかな。単に覚えてないだけかもだけど。まだニックネームと本人とが一致しない人もいるけど、だんだん識別できるようになっていく感じがした。

2日目〜

Compathガーデンで朝の収穫

毎日、朝の会があった。その日のスケジュールによって多少ずれることもあったが8:30からだった。それまでに朝食を済ませるべく、健康的な時間に起床していた。だいたい6:30〜7:00には起きた。

そして、ゆるゆると朝食。前日までの夕飯の残りがあったり、パンがあったりと朝食は心配せずに済んだ。事前にもらっていたスケジュールには「自炊」とあったので料理は苦手だなぁ〜と心配していた。しかし、事前の顔合わせ会で質問して「心配いらない」と聞いていたとおり心配いらなかった。メンバーやスタッフとは自然とテーブルを囲んで穏やかに朝をスタートできた。人と暮らすと生活にリズムができるね。

ある日の朝、早めに起きて「Compathガーデン」に出かけた。朝のひんやりした空気が新鮮だった。車で10分くらいの所だったと思うが、都会なら一軒家が建つくらいの土地にカボチャやナスなどが取り放題である。トマトが嫌いというおのじがもぎたてミニトマトを勧められ、思い切ってほおばっていた。その直後のうれしそうな表情が生き生きしていた。「(トマト)どろっとしてない!」は名言になった。ミニトマトを克服したおのじは今もミニトマトを食べているだろうか。試して見るっていいよね。

カボチャは3株しかないらしいが、畑中を縦横無尽に蔓を伸ばし好き勝手に伸びていた。我々の行く手を阻むような蔓もあった。このカボチャは夜の食卓にのぼった。

収穫していると、子どもの頃、実家の畑でジャガイモを植えたり、トウモロコシを取ったりしたのを思い出した。カボチャは確かに縦横無尽に蔓を伸ばしていたのも思い出した。畑には多くの場合、母と祖母そして弟とで行ったものだ。祖母も母も既に他界し、長年耕作されずに荒れ果ててしまった。帰省したときに久々に畑を訪れてその狭さに驚いたものだ。子どもの頃はとても広く感じていたのに。

ワークで「問い」と対話

2日目、3日目と経つうちにメンバーもスタッフもすっかり打ち解けていた。夜の振り返り会ではちょっとした問いが投げかけられる。「自分の大事な5つの事は何?」のような(うろ覚えなので問いそのものは不正確)。「何年後のことか?」とも。そういう問いが日々与えられるわけだが、それほど重いものでもなく、軽いワークをする程度のものだった。例によってグループに分かれてシェアしあったり、コメントを添えたりした。そうやって、ひとりひとりの考えが見えてきたし、自分が他の人からどう見えているのかも分かってきた。

印象的なのは「誰も相手を否定しない」ということ。もちろん自分も「それ違うんじゃない」みたいなことは言わなかったし、そういう発想にはならなかった。ワークがうまく組まれているというのもあるが、そもそもこういうプログラムに参加するメンバーというのは、人を大切に想うところがあるんじゃないかな。それと、人の話をよく聞いてくれる。これもワークの組み方が巧みなのも一因だと思うけど根本的にメンバーたちは耳を貸すことに長けている。う〜ん、みんな、ただ者ではないね。

ある日の仕事風景

ワーケーションコースは昼間に自由時間が多く取られている。ボクは本業をするつもりだったのでPCを持って来た。他のメンバーもPCを持って来ていて、打合せなどをしているようだ。すっかりリモートワークが普通になった光景がそこにあった。

ボクが一番心配だったのはWi-Fi環境である。基本的に空間を共有する方式なので、パケットが連続で密にやりとりされるオンライン打合せは、問題無くできるのかどうか心配だった(特に同じ場所でアクセスポイントを共有するときが心配)。事前の顔合わせ会のとき、スタッフ側の2人が同時フリーズする「事件」があった。IT業の私には脳裏にピピーンと来るものがあり、東川のネット環境に不安を覚えた。この事は「Compathフリーズ事件」として心の中でアラートが鳴り響いていた。

8月8日。ワーケーションコース2日目の空き時間に商談を組んでいた。コース中の最大の試練がこの商談だった。なにせリモートワークでオンライン説明会を実施するというのは初めてである。普段は自宅(兼会社)の自分で考慮して設置した有線LANを使っていた。自宅は安定したネットワーク環境だったのに対し、全くのアウェイな環境で商談するのは緊張以外の何物でもなかった。前日のうちに営業担当のビジネスパートナーとは試験的にオンライン打合せはしておいたので、なんとかなる感はあった。しかし、Compathフリーズ事件を軽く見てはいけないのも確かだった。電波強度を確認できるソフトでチェックしたところ、競合するWi-Fiの電波が散見され理想とは言えない環境であった。

商談の先方の方はおふたり。背景が明るい窓の環境で顔は逆光で真っ黒。表情のひとつも見えない。しかも、1台のPCでふたり横に並んでのZoom操作で、音声だけが頼り。なんかやりにくい。こんな状況で当方のシステムの説明をし、質問に回答というように順調に話は進んだ。お申込みには至らなかったものの引き続き検討いただけるということだった。まずは無事にリモートオンライン商談ができたことにホッとした。Compathフリーズ事件はスタッフのご自宅での事件だったことも分かり、ようやく不安を解消できた。ふぅ〜

旭岳

ガイドの大塚さん

コース4日目は旭岳行きだった。ロープウェイで旭岳が見える所まで登りその近くを散策した。ボクは富山大学の生物学科で学生をしていたのだか、その時、野外実習で訪れた立山を思い出す光景だった。

山岳ガイドの大塚さんからは植物の名前や生態について教えてもらった。立山のときは高山植物の学習のためだったけど何も覚えていない。大塚さんからの説明が新鮮に聞こえた。いい匂いのする葉を教えてもらったり、チングルマが一面に生える時期や、ハイマツが地面を這う理由など、いちいちホォって感心する。そんなとき、みんなは(特に女性かな)は「へぇ〜!!」っと全く同じタイミングで感心していて、感心ポイントが同じだなぁとちょっとおかしかった。

立山は観光地化されているけれども、旭岳は避難小屋がひとつあるだけ。遭難事故がきっかけで建設されたのだそうだ。少し話を聞いたが山は怖い。自然環境の厳しさもあるだろうが、何物かにじっと見られていると感じることもある。実家の林道に少し入っていくだけでそれはヒシヒシと感じる。町や村にいると安全のベールに覆われて気付かないがそもそも自然の中で人はか弱い。ましてや、クマなんかにであった日にはどうしようもない。そういう生物だけでなく森には四方八方からの視線があるのだ。

ハンドクラフト体験(正面中央が講師の荒屋勤さん

コースも終盤の6日目。ハンドクラフトの体験が朝から15:30までたっぷり時間が確保されていた。そんなに長時間何をするのだろうといぶかしんだが、スプーンやヘラを作り出すと時間を忘れて没頭できた。近年まれに見る集中力だった!回りを見ると参加者の誰もが集中してひたすら木を削っている。これだけ集中して作ると愛着が半端なく湧く。みんなもそうだったように、ボクも自分の作品を自画自賛したい気分だった。「これはスゴイ!」くらいは口にしたのかもしれないが、ボクは気持ちを口にしない方なので、思っていても口にしたのかどうかはっきりしない。

木と森について教えてもらった

講師の荒屋さんの案内で森に入った。クラフト製品も元々は生きている木。森の中で生存競争に負けそうな木がわかるので、そういう木を伐採して材料にしているのだそうだ。そうすることで他の木が力強く成長できる。人と森のうまい関わり合いだと思う。かつては里山として森から薪などの資源をもらいつつ共存していたはずだが、今そういう関わり合いが人々の意識に戻ってきたことはうれしい限りだ。

こんな風に都会で暮らしていては脳裏に浮かばないことが、目の前で手で触りつつ意識できた。またそれをうまいことプチシェアする機会があったりして、自分だけの中に留まらずに思いの共有で一体感を醸し出しているのであった。

Sense of Wonder

東川町の図書館で借りた "The Sense of Wonder"

7日目のワーク。たっぷり1日使う。"Sense of Wonder" とはどういう意味なんだろう。驚きの感覚?

先に種明かしから始めよう。

この日の午後になって聞いたのだが、Rachel Carson 著の「THE SENSE OF WONDER」という本がある。振り返ってみると、この日の体験はこの本の著者の体験を少しばかり追体験したということだ。「少しばかり」だからといってつまらないとか、たいしたことないという意味ではない。著者の体験は何年にも渡る豊穣なものなので「少しばかり」を入れないことにはバランスが取れないという意味だ。

コースが終わった翌日の8月15日に、ボクは東川町図書館でこの本を借りた。そして、ホテルに戻ってからと翌日とで一気に読み終えた。アメリカメイン州の海岸でまだ赤ん坊の甥ロジャーと共に夜中に波の音を聞きに行ったり、そこで二人して大笑いしたり、雨に濡れた森に出かけ植物や菌類の観察や手触りを新鮮なタッチで描いている。言葉だけで目に見えるかのような写実感を持って描写されていた。不思議であった。描写される現場は海岸が中心なので山育ちの私には海の実感は湧かないものの、それを山に置き換えれば、多くが自分の体験を描いてくれているかのような感覚に陥った。

彼女は生物学者であったことも親近感を覚えた。ボクが在籍した富山の生物学科では、ヒトデ、ウニといった棘皮動物の研究が盛んであった。「棘皮動物研究のメッカ」と言う先生もいた。他にもホヤの先生もいたのでそういう研究室の学生たちは海に出かけ標本採集やら、飼育に使う海水を調達したりとよく富山湾に出かけていた。(ちなみにボクはゾウリムシの研究室だったので研究で海には行っていない。代わりに大きな鍋で藁(わら)の煮汁を作っていた)

裸足で目隠し中 地面が暖かい

2022年に話を戻そう。

それは美瑛の野営場だった。地面はほぼ一面草で覆われている。みんなまず裸足になった。外を裸足で歩くのはそうあることではない。砂浜なら裸足になることもあるが山の中で裸足はまずない。季節は夏。地面は暖かくふわふわしている。そして目隠しをした!みんなで一列になり、両手を前の人の肩にかけて、先頭の人(目隠しはしていない、たぶん)の後ろについていく。視覚の無い恐怖!足の感覚が冴える。地面が一層フワフワしている。草の踏む感触もわかる。音にも敏感になっていたかもしれないが、一応、前の人の肩から両手が離れないように付いていくのに必死。先導の人は意地悪して、わざと木の枝のある近くを通り、少し凹みや軽い登りのある所も通る。少し水っぽい所も通る。感触だけの世界で生き抜く覚悟が必要だ!! Sense of Wonder というよりは、足の裏 of Wonder ではないか、これは!

中学校の社会の先生が言っていた言葉が脳裏に浮かんだ。「昔は靴なんか履かずに走り回っていたものだ!」と。そんな非現実的なことを現代(当時1970年代)に言われても困ると当時思ったものだが、今(2022年)になって先生のそんな昔(たぶん1940年代)の体験することになるとは。。。野営場に来ている別のグループからは奇異な集団に見えたことだろう。でもそんなことはかまっていられない。もう視覚はないのだから、足の裏だけで生きているのだから。。。

やっと許されて目隠しを取った。視覚にいかに頼っていたかが痛切に分かった。安堵した。。。

その後もペアになって、一人が目隠しをして木を触り、後でどの木だったか当てるゲームなどもした。ずっとそんな感じで自然の中にいた。ずっと裸足で。ボクは何か松ヤニの塊のようなものを踏んだらしく、足の指あたりになかなか取れない粘りの強い物質に取り憑かれてしまった。落ち葉でこすって落とそうとしたが完全には落ちない。もう、そういうものはそのままにしておくしかないと諦めた。後で行った温泉でしっかり落とせたけども。

そうこうしているうちに、野営場の様子もひととおりわかり、裸足でいようが気にならなくなった。みんなもそんなスタイルのまま昼ご飯を食べたり、飲み物を飲んだり、話をしたりと少しだけ原始人村的な味わいがあった。もっとも、狩りに行ったり調理したりというわけではないので、あくまで準備された原始人レベルなのだが。

普段と違うことをしてもすぐに慣れてしまうことにも気付いた。脳はその環境にすぐ適応するもんだなと。中学の先生も自然と足の皮が厚くなって、多少の凸凹でも痛くなかったのだろう。脳から足の裏まで環境への順応は早い。コロナ渦で仕事も勉強もリモートが特別のことではなくなったように、ここ東川の自然の中でも都会のビジネスパーソンと商談ができるようになっている。きっと、自分がどうありたいのかさえ決めれば、その時点の環境に関係なく、自分のあり方で生きていくのはそう難しくないような気がした。

川遊び 川の水はとてつもなく冷たい

野営場の次は川に行った。河原でゆったりと過ごす。中州の河原まで2mくらいだが、水が冷たい。夏なのに5℃くらいしかない感じだった。大雪山からの雪解け水が流れてきているのか、10秒も足を入れると痛みに耐えかねるくらいだ。本流はごうごうと流れておりとても足を入れられる様子ではない。河原で遊ぶのも子どもの頃以来だ。実家の前を流れる川ではよく遊んだものだ。水が落ちる所で深みになっていて絶好の釣り場だったし、別のところでは栗を拾いに行ったし、河原で形のいい石を探すのも楽しかった。

描いた絵についてシェア

みんながそれぞれ楽しむ中でもCompathスタッフはお題を出すのを怠らない。何か1枚の絵を描くように求められた。それは、今日の体験を通して思い出の1枚のようなお題だったと思う。ボクは子どもの頃、川にアケビを取りに行ったのを思い出した。この日、川縁で過ごしていて、昔弟とアケビを取りにいったなぁと。その時のアケビの絵を描くことにした。

他のメンバーやスタッフも自然の中で何かの実を取りに行った光景や、村のような光景を描いていた。みんなの多くは若い人たちだったのでこれは意外だった。あるいはこういうプログラムに参加しようという人たちはそういうバイアスがあるのかもしれない。更にお題が続く。「絵の裏に何か一言書くように」と。ボクは「楽しく 山を 食べよう!」とそのまんまの事を書いた。山に取りに行ったのはアケビの他に、桑の実、ヤマイモ、蜂の子といろいろある。民家の近くでは栗、柿、桃、イチジク、ナツメとこれもいろいろある。そういう思い出が甦っていたものだから。

例によってグループになってシェアタイム。人の話を聞くと自分にぴったりの事を言われることもある。おのじが「自分の心の動く方へ」と書いていた。それにピンと来てしまった!そうそう、あれこれ食べている場合ではない。「心の動く方へ」だ!なぜかそれが自分にはピッタリと感じた。「楽しく 山を 食べよう!」の脇に小さく「心のうごく方へ」と書き添えた。

一日中子どもの頃以来したことがないような体験をした。田舎での子どもの頃のフラッシュバックもあり、それでいて仕事も可能な環境。なかなか良いではないかと意識し始めた。

最後の晩餐

天才ぶりを承認してもらってご機嫌

最後の夜は一緒にご飯を食べ飲んで盛り上がろう!・・・だけではなかった。ここでもまたお題を出すのを怠らないCompathスタッフ。今回のお題は「それぞれが何の天才かを書こう!」であった。

PostIt 1枚に1人分の天才ぶりを書いていく。さすがにこれだけ一緒に過ごしていると、誰がどんな人かがすっと思い浮かべられた。後でペタペタ貼られたPostItの1つを見てみると、例えば「なっちゃんへ 色んな見方をもっている天才! まっちゃん」と書いてある!!ボクは1枚ももらえないとやばいと思って、自画自賛版を1枚用意しておいたのだが20枚ももらえた(うれしい!)。

あれはなんだったのか

森も変わっていく

あれから随分時が過ぎた。

Compathでは「余白の大切さ」さをそっと伝えている。コースでの体験を踏まえると、普段の生活や仕事では「しなければならない」ものが多過ぎると改めて気付く。義務感の中で生きているかのような。それらは本当に義務なんだろうか。真面目に生きていると義務感は多くなりがちなのだろうか。

義務感の先には相手がいると思う。その相手と話をしているだろうか。また相手の話を聞いているだろうか。本当はしなくてもいいことをやってしまったり、期日は厳密でないのに無理に間に合わせたりということも、会話の中にいれば無理のない形で収まっていくのかもしれない。

そんなことを思いつつ、人生の余白(ここでは人生の残り時間の意味)を過ごして来た。Sense of Wonder な世界ではそこに会話がある。今自分はどういう状態なのかチェックインし、会話の後でどうなったのかチェックアウトしている。もちろん、自分の言いたいことを言うだけでは会話ではない。相手はどういう状態なのかチェックインして聞く。会話の後でどうだったのかチェックアウトする。こうやってその時を完了させて過ごすと心が安定するのではないか。

Compathの校舎(写真引用 https://readyfor.jp/projects/compathcampusproject

2024年4月22日。東川町にも遅い春が訪れた。この日念願のCompath Houseがスタートした。オープニングパーティには2022年の懐かしい仲間が勢揃いした。思い返すとコースはたったの8日間。一瞬のような短期間でここまで続き、会話を続けられる仲間と出会えると、当時誰が思っただろう。白樺をキャンパスに植えながら懐かしい話やこれからのことを話していると、きむにぃはコースの時のように号泣してしまった。決して泣かないボクも思わず涙ぐむのを覚えた。きむにぃほどの素直さはないのでちょっぴりだけだけど。

この頃になると他のコース参加者とのクロス交流も普通になっていた。困るのはニックネームのオーバーラップ。「誰があ〜でこ〜で」というような親しみの会話にも混乱を来しがちだった。まぁそれはそれで楽しい誤解ではあったが。でも事務的には困ることもあるので公式な場(!?)ではボクは「とっしい一世」を名乗ることにした(笑)。

自分の事業もようやく軌道に乗ったこともあり、Compath Houseのスタートに合わせてお手伝いをさせてもらうことにした。IT事業者ではあるけども生物学をたしなんだこともあるので、そういった方面や運営面で手伝わせてもらうことにした。

小学校から高校まで情報教育が行き届き始めた頃ではあったが、大人は必ずしもその恩恵にあずかっていない人もいる。スマホアプリを作ってみたり、PCで絵を描いてみたり、その絵を動かしてみたり、ゴーグルの中で立体的に表現してみたり、自然の中に登場させてみたり・・・そういう(企画としての)プログラムを担当させてもらった。

Compathの校舎は常に更新される「余白」がある。棚をつくったり壁を塗り替えてみたり、雰囲気が一変することが常である。ボクが書いた昆虫やエイも幾度となく上塗りされて消えてしまったが、根気よく再上書きで何匹かはまだ残っている。今度、校舎に訪れる人は、そんな動物や植物の絵を探してみてもらいたい。できれば一種につき1枚は残しておいてもらいたいが。無期限にとは言わないけどもボクが生きているうちは。まあ、そんなに長くはないはずだから。

結局、あれは何だったのか。多くの余白と時間。そこに一期一会のはずの参加者が一期永会のような状況に。コロナ禍でオンラインで会うことも普通になったし、それがリアルで会う楽しさを更に際立たせてくれた。あれは、ボクの人生を終える起点であり、転機であった。

今の終わり方

ふれあいの路

あれから35年。

今や北海道から沖縄まで人生の余白を体験できる大人の学校ができている。フォルケという名前が普通に通じる日本になった。海外から人生の余白を求めて来る人もいれば、海外のフォルケに出かけていく日本人もいる。創業者のさきちゃんとかおるさんも年を重ね輝いている。2017年に彼女たちがフォルケに行っていなかったら、もし行っていても日本でフォルケを始めていなかったら、日本も人々も相当に違った人生になっていたことだろう。人々に違いを産み出したふたりを尊敬しています。

そしてボクに最後の違いを与えてくれた、ふたりと仲間たちに感謝しています。こういう気持ちで人生を終えられるのは幸せと言わずに何というのでしょう。

しかし、体力的にはまだ元気。運動と医学発展のおかげかな。人生の余白で心も豊か。

重力の研究が進んで今や情報だけは過去に伝えられるようになったんだよ。この記事も2022年めがけて投稿できる。冒頭で「(投稿が)こんなに遅くなってしまった」と言ったのはこういうわけだったのさ(2022年のみんなは信じてくれるかな)。過去への時間精度は1か月とか2か月、ともすると3か月もずれてしまうので、この記事を読む当時の人は10月とか11月とかになっているかもね。

ともかく、ボクはまだ生きているのでもう少し人生の余白を楽しんでから旅立つことにするよ。

2057年8月7日
「Sence of Wonder」コース2022が開催されて35年目の日に
とっしい一世

フレームに世界を切り取る:私も大地へ還る

お知らせ

School for Life Compath では、自らの校舎を整えるためクラウドファンディングを実施しています。2022年の皆さん、趣旨に共感いただけましたら支援をよろしくお願いいたします。「人生に余白を。デンマーク発祥の大人の学び舎を日本に作りたい!」 (2022年11月20日までです)

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