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保育園での読み聞かせに、あちゃー。と思ってしまった話。と、そこから考えたこと◎

おはようございます。
絵本で子育て、自分育て。
多くの方にお読みいただければ嬉しいです◎

*****

さて、朝、息子を保育園に送っていったときのこと。

だいたい息子を送り届ける時間帯に、園では絵本を読んでくれています。

その日の絵本は
『ぼくは あるいた まっすぐ まっすぐ』

私、これ↑好きすぎて、
多分noteで書くの3回目。

それで嬉しくなって、長男が靴履き替えたりするのを見ながら、耳をすませていると。

先生、絵本を読み終わって。
「これさ〜あ、この子、おばあちゃんのところに辿り着けたから良かったけどさ、
ほら、ここ!ここでさ…」

と、どこで道を間違えたのか、どう行けばおばあちゃんのおうちに辿り着けたのか、
そしてたしか最後には、みんなは迷子にならないように!みたいなお話をして締めくくられました。

何を言うてくれてるねん!!!!!

あちゃー。。って思ってしまいました。

絵本の読み聞かせで、
読み手は絵本の内容についてあれこれ質問したり喋ったり感想を言わせたり、ではなく。
絵本の世界観をそのまま味わう、子どもの様子をまずよく観察する。
みたいなことを見聞きするし、
自分はそうありたいと思っているのですが。

見事なまでに、先生ご自身の解釈で、絵本を締め括っておられました。笑

いい絵本だけに、締めくくりがそれで、子どもたちの心に残るのがそれだとしたら、

うーん、もったいない!!!

ちょっと残念に感じた朝でした。。

読んでくれてるだけでもう良し、感謝、なんだろうけどなあ。

*****

ただ、年齢も性別も性格も、何もかも違う子どもたちを、たーくさん集めての、読み聞かせ。
その1人1人の感じること、考えることに、ゆっくりと寄り添っている時間は、
先生たちには当然ないのだろう。
出勤している先生が少ない朝の時間なら、なおさら。

それから、物騒な昨今、
子どもたちが道を間違えて、事件にでも巻き込まれたら、
本当に大変。

子どもたちに、危ないことはしないこと、
自分の身を守ること、
そのためには、まず知らないところに1人で足を踏み入れないこと。
それは確かに、教えてほしい。

いや〜〜〜でも。
それなら教材になる絵本は、それ↑ではないと思うし、

せめて、どこで道を間違えたのかとか、
どう行ったらもっと近かったのかとか、
そういうことは、子どもに気づかせてあげてほしい。
せめて、子どもが気づけるように促す、くらいにしておいてほしい。

それから、どうせあれこれ解釈を加えるなら、
ちょっとくらい道間違えても、ちゃんとおばあちゃんのところに辿り着いた!
別に最短ルートで行かなくたって、目的地には辿り着ける!
そこにも触れてほしかったなあと思いました。

家でなら、子どものペースでゆっくり見てあげられるだろうけれど、
大勢を抱え、かつ綿密なスケジュールが組まれている保育園では、なかなかそうはいかないのだろうな…

ある意味、親と先生の立ち位置の違い、みたいなところもあるのかな、と。

*****

…とここまで書いて思い出したのが、

待ちよみの講師でいらっしゃる、内田早苗さん。
お会いしたこともなく、ご講義も受けたこともなく、noteで拝見させていただいているだけなのですが。
(勝手に引用し申し訳ありません…でもどうしても書いてみたかった)

グサッと刺さったり、
なるほど〜!!!!!!!!!!!となったり、
スキを10回くらい押したくなったり、
ん?答え、わからんぞ?これで合ってるのか!?となったりしながら、
いつもいろいろな気づきをいただいています。

↑の記事の中で、
「勉強好きが変なように作動しているママが増えていると実感している」とおっしゃっており、
私のことか!?とちょっと自問自答してみたりしつつ。

ただ、取り上げたいのはそこではなくて。

家庭と園で絵本の使い方は違います。
なぜなら
読み手が
「親」か「先生」の違いがあるからです。

家庭に先生はいらない。
私はずっと言い続けてきました。
家庭に必要なのは「親」です。

↑この意味を、昨日から考えていました。
特に、「家庭に先生はいらない」のところ。

親が、「親」兼「先生」でもいいんじゃないかな?とか、
「親」と「先生」の違いって何だろう?境界線はどこにあるのだろう?とか。

昨日全然わからなかったけど、
今日のエピソードで、少しわかった気がします。

子どものペースに合わせて、
時にはどこまでも子どもを待って、
最終的にはいつでも子どもの味方でいられる
…のが、

先生には、教え、導き、促す、伸ばす、
また、大勢の子どもたちを、1人1人の個性は大切にしながらも、
1つのクラスとしてまとめていくという役割がある。

私の考えでは、
「親」兼「先生」は、絶対不可能なわけではないと思うけれど、
多分、これを両立するのはちょっと難しくて、
「親」よりも「先生」の要素が強くなったりすると、あんまり良くないんだろうなあ。

ので、
まず親の役割を果たす。
子どもを伸ばす云々言う前に、まず自分の子どもをしっかり見る。待つ。
先生になるのはその後!
(…
というか、先生にならなくても、自力で育っていくのかなあ。)

という結論を勝手に出して、満足◎
昨日からモヤモヤしてたのがスッキリ!
…そう思うと、今朝の先生にも感謝かな?
(しかしこれ、言うは易し、行うは難し…やなあ)

あ、ただし、内田さんの記事の論点からはずれている可能性は、大いにアリ。ありまくりです。
ご興味持たれた方は直接ご覧になってください。

*****

子育てが面白くて、保育士資格もとったけれど、
よそさまのお子様の成長のお手伝いをするというのは、
これまた大変なことだろうな〜
と、改めて感じたエピソードでした。

小さな幸せがあふれる毎日でありますように◎

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