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梶井基次郎『檸檬』読書感想

この小説は、青年の傷みやすい心を鮮やかな色彩とともに描いた作品です。

この本について、ネタバレしつつ感想を書いてみたいと思います。

著者の梶井は、1900年代初期に作品を発表した、関西を中心に活動した作家です。現在この作品は高校の教科書などにも載っているらしく、読んだことがある人も多いかもしれません。

この話は、青年である主人公が、理由も不明な焦燥感に駆られ、立ち寄った本屋で積まれた本の上に檸檬(れもん)を置いて立ち去るというストーリーです。

ストーリーとしては上記のみですが、どういった意図でどういった箇所に言葉を持ってきているのか、どんな文章構成をしているのか、少し考えてみたいと思います。

「本屋に檸檬を置くところ」が見せ場にはなっていますが、その場面を際立たせるために工夫がされている箇所が多く見受けられました。

例えば檸檬を置く描写の前に「びいどろという色ガラスで鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになった」、「またそれを舐めてみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。…まったくあの味にかすかな爽やかな…味覚が漂って来る。」という文があります。

「ガラス玉を舐め、爽やかで酸っぱい味覚が漂う」といった描写に、ミステリー小説でいう伏線のような機能を持たせていると考えられます。爽やかで酸っぱい味について書くことにより、読者にうっすら爽やかで酸っぱい果物である「檸檬」を連想させておき、本屋の場面が読者に受け入れられやすくなる下地を作っている、という解釈ができると思います。

梶井は生涯、肺結核を患っており、貧乏な生活や若い理由のない焦燥感ゆえ、鬱々とした思考に支配されていたのかもしれません。太宰治の小説などにもよく出てきますが、肺結核は当時、治らない伝染病でした。

主人公が積まれた本の中へ檸檬を置くシーンでは、「その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。」とあります。「カーン」という感覚的な擬音が、絵画のような静的な印象を得るのが、この文章の特徴的なところだと感じました。

梶井基次郎は31歳で亡くなるまでに短歌や詩も多数発表しています。短歌では、よく使われる手法のひとつとして、ひとつの情景を思い起こさせるように詠まれるものがあります。字数が限られる短歌では、数多くの情景を一つの歌にこめるのは難しいため、一場面を思い起こさせるように書かれるんですね。

梶井は短歌で詠まれるような「ひとつの情景」に言葉を肉付けし、文章を長くし小説にしたのかもしれません。そう思ってもさしつかえないような、あまり小説ではないような視覚的強さを持つ、鮮やかな色彩の描写が際立った小説だと思います。

この『檸檬』という小説は、言葉により視覚的なイメージを読者に的確に想起させる、梶井基次郎らしい作品だと感じました。

他の作品も好きなので、また感想書けたら書きたいと思います。ありがとうございました。

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