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滋味深い文章

先日、小野さんのノートを読んで、noteで滋味深い文章に出会ったなあ、と思ったので、書いてみることにしました。
今、前田デザイン室というオンラインサロンに入っているのですが、室長の前田高志さんが、発信をたくさんされているので、自分もやってみようと思って書いてみます。

先日読んだ小野さんのnoteです。
「滋味深い文章」に出会うのは、Webでは不可能なのか

https://note.com/onomiyuki/n/nc268c2cade79

小野さんのnoteには、下記のように書かれています。
「なぜ私はものを読むのか、読み物に何を求めているのか?と自分自身に問うた時、これははっきりと分かっているのだけれど

『滋味深さ』なんだよな。」

滋味深さとはどういうことかと説明が続き、

「(文章の)長さは関係ない。(中略)味わい深い、それでいて一度では満足できないような、何度も繰り返してやっと身になるようなもの。
(中略)
そういうものだったら、お金を払っても全然いいし、人に自信を持ってオススメしたいと思う。」

滋味深さという表現が、感覚によく合っていると思いました。Webのさらっとした文章も面白いものはたくさんありますが、読むものに求めているのは、こういう「滋味深さ」なんですよね。何度も食べたり、時間をおいてから食べると、だんだんおいしくなっていくようなもの、そんな感じでしょうか。何度も読んでいる本には、確かにそれがあります。

この方はそういう滋味深い小説として「グレート・ギャツビー」や、ジュンバ・ラヒリの『停電の夜に』とかをあげています。

私も、そういう小説にはいくつか会っています。グレートギャツビーもいいですよね。小説以外の本でも、あったりしますね。実は前に、Webで読めるそういう文章を見つけることができたので、ご紹介します。

青木杏樹さんのとても短い小説です、
うまく生きられないかもしれない

https://note.com/anjyu_official/n/n39f19d3321cc

のちにネタバレを含めた感想を言いますが、あらすじとしては、田舎から都会に出てきた主人公が、お金に困りながら、新しく始めた駅のアナウンスのバイトなどを経験し、都会になじんでいくが、、、という話です。田舎から都会に出てきた人間には、全員どこかしらささるものがあるのではないでしょうか。

ひらがなも混ぜたやわらかい言葉を使っていますが、深みを感じます。

都会と田舎の対比の表現がまた、よいです。キャベツひとつ298円とか、6畳一間を借りるのに30万円なくなったことや、また「アルバイトの時間は朝の7時から8時半まで、1500円。交通費支給。週5日の平日のみ。」という数字だけが並んでいるような無機質な文章、すごく都会っぽい感じがしますね。こういう無機質さが、あとで出てくる、電車のアルバイトのシーンに効いてきています。

都会の人間が、時間にシビアなことに対しても効いていますし、
「1番混み合う、特急の電車が入ってきました。ホームの空気が(中略)ぴりっと緊張しました。この電車に乗れるかどうか、会社員の皆さんにとって死活問題なのかもしれない、とわたしは思いました。…」

電車に飛び込んだ人間に対して、人々が向ける視線を描いているシーンにも効いています。
「他の駅員さんが(中略)なにかよくわからない暗号のようなものを口にしていました。かたくて冷たい声でした。まるではじめてのことではないような対応でした。
(中略)振り返ると、たくさんのおじさん、おばさん、おにいさん、おねえさんたちが、ある一点に向けてスマートフォンや携帯電話を向けていました。みんな薄い表情でした。…」

都会の無機質な感覚、何が起ころうと機械を動かすときのようなマニュアル感、そういうものが的確に表現にされていると思いました。

細かなネタでいうと、主人公が養母に育ててもらった場所は新潟ですが、都会に出てきた主人公に「毎月お米ば送るけんね」と養母がいうシーン。新潟の言葉じゃなく、北九州の方言ですね。新潟で、主人公を大きく育てるほど長く暮らしているのに、昔住んでいたであろう北九州の言葉をいまだに使っている。新潟の方との交流もなく、どこか孤独なのかもしれません。お米を、ではなく、お米ば、と、かなり方言が抜けていない描写も、滋味深いです。

その電車飛び込み事件があったあとも、都会の空虚さが描かれています。

コインランドリーのテーブルで、養母に手紙を書きますが、電車飛び込み事件のことなどは書かずに、あたりさわりのない内容の手紙を投函したあと、書かれている文章が下記です。

(中略)わたしはいま都会で夢を追いかけている。うまくお湯が出ない狭い浴室で冷たいシャワーを浴びて、ごわごわしたタオルで顔を拭いて、モヤシ炒めと納豆ご飯と冷や奴を食べるのです。(中略)きっとそうやって夢の日々は過ぎていくのです。

シャワーの温度や、タオルの手触りや、色のない食事など、五感を使った説明で都会生活での空虚さや不安感を表していますね。私は豆腐が嫌いですし、まったく同じではなかったにしろ、都会に出てきたばかりの頃の感情が思い出されてしんどいです。滋味深いです。

そして、最後の一文ですね。この一文のためにこの物語があったんだ、と思わせるような一文です。この文章は、多分どちらにも感じられるように書いているんだと思います、都会に染まってもいるし、濁ってもいる。染まるのも濁るのも、善悪だとか、そういう分け方で書かれてはいないからです。あなたはどちらですか、と問いかけられている気もします。

青木さんの他の文章も面白いです。なんだか評論ファンレター(?)みたいになってしまいましたが、読んでくださりありがとうございました。


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