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息をするように本を読む38 〜高田郁「あきない世傳 金と銀」〜


 「あきない世傳 金と銀」は、言わずと知れたベストセラー「みをつくし料理帖」の作者、高田郁さんの長編小説で、現在は10巻まで出ている。

 物語は江戸時代のこと。
 摂津国武庫郡のある村で、私塾を営む在野の学者の父のもとに生まれた少女、幸。
 幼い頃から、「もし幸が男に生まれておれば」と父を嘆かせるほど利発で勉強家の幸だったが、9歳のとき、流行り病で父とその跡を継ぐはずだった兄を亡くし、縁あって、大阪の呉服屋、五鈴(いすず)屋に女衆奉公に上がることになる。
 
 時は享保の頃、倹約家で鳴らした将軍吉宗公の御代。
 全く物が売れなくて、商いをする者には厳しい時勢だった。
 幸が奉公に上がった五鈴屋も例外ではない。
 しかも、呉服は贅沢品。商売を成り立たせるのはなかなかに難しい。

 商いには全く縁がなかった幸だが、早くから幸の利発さ、その資質を見抜いて目をかけてくれる五鈴屋のお家さん(当代主人の母)や番頭の治兵衛などの薫陶を受け、幸は商い(経済)の仕組みやその存在価値を学ぶ。

 やがて思わぬことから、女衆から五鈴屋の御寮さん(当代主人の妻)となった幸は、商人とはどうあるべきか、いかにして商いの真髄である「売っての幸い、買うての幸い」を実現するか、智恵を絞る。


 もう1つの高田先生のベストセラー「みをつくし料理帖」でもそうだったが、高田先生は時代小説を書くにあたり、江戸時代のさまざまな資料を読み込み、ほんとうに詳しく調べておられる。

 先生の小説を読むと、ストーリーも然ることながらこの時代の人々の生活がよくわかってとても興味深い。
 重篤な病が流行ったり、水害などの災害が起きたり、現代と重なるところも多々ある。

 この時代、商人としてやっていくうえで守らなければならないこと、格式しきたりがたくさんあり、なるほどなぁと思うことも多い。
 江戸と大阪の違いも、知らないことがたくさんあって、びっくりした。

 大阪は商いの街として古くから栄えているせいか、縛りが江戸より厳しい。

 例えば、大阪では、当時、女名前は法度というのがあった。女性では家や店の名義人、つまり主人にはなれないのだ。
 豪商が、身内の女性に形だけ店や家を持たせて財産隠しをすることを防ぐためだったようだが、この縛りがあると、子どものないまま、もしくは幼い子どもを抱えたまま、夫を亡くした商家の妻の立場は苦しいものになる。

 実際にはお家さんや御寮人さんの働きで成り立っている店は多いのに、商家の妻はまるで夫や店の付属品扱いなのだ。
 
 でも、幸は、そんな旧式然とした縛りの中、智恵を働かせ、今まで誰も思いもしなかったような工夫をこらして、たくましくも商いの荒波へ漕ぎ出す。
 

 しかし、作者はあの高田郁先生だ。先生は、前にも書いたが、ほんとうに優しくて穏やかな方なのに、自分の小説の主人公をいつも、そこまでしなくても、と言うほど厳しく辛い目にあわせるのだ。
 この物語の主人公、幸にも当然、次々と悲しみや苦しみや不条理が降りかかる。
 読んでいて胸が痛くなるほどだ。
 しかし、幸は負けない。
 如何なるときも、その智恵と度胸と優しさで、苦境を乗り越えていく。
 そんな幸を陰に日向に手助けしてくれる人たちがたくさん現れる。
 そして、そのたびに読んでいる私たちも幸と同じように心が温かくなり、涙が出そうになるのだ。

 幸だけではない。
 他にも登場する多くの女性たちのしなやかな逞しさ、したたかさはどうだ。
 それにも誰もがきっと感動する。
 
 それと、とても魅力的なのが物語に出てくる呉服の色の名前だ。
 刈安、伽羅色、桑の実色、縹、浅黄、鬱金、萌葱、鶸茶、洗朱、黄檗。
 どんな色なのか調べてみて、その色の着物や帯を想像するだけで心が躍る。

 それから反物の柄の名前も。
 石畳、親子縞、鱗崩し、麻の葉、青海波、三崩し、吉祥散らし。
 何とも美しい名前がついている。日本人は古くから、模様にもこんな名前をつけて愛でてきたのだ。


 物語はいよいよ佳境に入ってきている。
 高田先生はいつも、2月と8月に新刊を出されるから、次の11巻は、あと1ヶ月で出るはずだ。
 その日が今から待ちきれない。


 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。


 呉服の色や小さな模様に付けられた美しい名前。
 先人たちのその繊細で濃やかな思いがずっと先まで残っていけばいいなと思う。
 そして、物語の最後には幸の穏やかな笑顔があることを願ってやまない。


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