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息をするように本を読む 11    太宰治「駈込み訴へ」


 太宰治の代表作品といえば「晩年」や「人間失格」や「斜陽」だろうか。

 私が最初に読んだ太宰治の作品は、教科書に載っていた「走れメロス」だった。結構そういう人が多いのではないかと思う。

 父に「走れメロス」を読んだ話をした。父は笑って他の作品も読んでみるようにと言った。
 で、先に述べた「晩年」を読んだ。何だこれは、と思った。父が笑った理由がわかった。
 太宰治っていったいどういう人なんだろう、と思い、他にも幾つか読んだが、もうひとつよくわからない。掴みどころがない。

 この「駈込み訴へ」を読んで、少しだけ太宰治という作家が理解できた気がした。

 偽悪的で露悪的。
 自信はないのに自尊心だけは高く、他人からどう見られているか、不安で怖くて仕方がない。
 こんなに不安になるならいっそのこと、悪く見られた方が気楽だ。だから悪ぶる。
 でも、本心では誰かに(出来たらみんなに)認められたい。

 でも、認められるとそれはそれで居心地が悪い。
 この評価が見当外れなものだったらどうしよう。期待を裏切ってしまったらどうしよう。それで相手が去ってしまったらどうしよう。
 どうせいずれはそうなるくらいなら、最初から認めてくれなくていいのに。いや、それは嘘だ、やっぱり認めて欲しい。
 
 でも。
 ほら、やっぱりね。
 どうせ、認めてなんかもらえやしない。
 分かっていた。そんなこと。

 まるで見てきたように書くのは、私にもそういうところが多分にあるからだ。

 「駆け込み訴へ」は10ページほどの短編で、1人の男の独白だけで物語は展開する。

 主人公の男は役人の前で誰かを告発しているらしい。
 

 『申し上げます。申し上げます。あの人を生かして置いてはなりません。私はあの人の居場所を知っております。すぐにご案内します。ずたずたに切りさいなんで、殺してください。』


 「あの人」は男が所属する集団の中心人物のようだ。
 取り巻き連中から崇め奉られ、尊敬を集めているその人の本当の姿を、男は自分だけは知っていると言う。

  
 『あの人は傲慢だ。私から大きに世話を受けているので、それがご自身に口惜しいのだ。あの人は、阿呆なくらいに自惚れ屋だ。』


 男は「あの人」の弱いところを知りつつ、それを深く愛しているが、男のその思いは「あの人」には届かない。
 当然だ、自分すら認めていない自らの弱さを知っている者を、好きになれる人間はいないだろう。

 
 『あの人は嘘つきだ。言うこと言うこと、一から十まで出鱈目だ。私はてんで信じていない。けれども私はあの人の美しさだけは信じている。あんなに美しい人はこの世にない。』


 男は、「あの人」への憧憬、軽蔑、哀惜、愛情、憎悪、怒りという矛盾した感情を爆発させ、彼への賛美と罵倒を繰り返す。その姿は哀しみと自嘲に満ちて、滑稽ですらある。
 
 男は誰なのか。「あの人」とはいったい誰のことか。
 男の最後の言葉で全ては明らかになる。

 太宰治が自身を投影したのは、男か、「あの人」か。

 私が太宰治という作家に、共感できた最初の作品だ。


 この作品との出会いに深く感謝する。

 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
 


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