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息をするように本を読む31 〜シェイクスピア「ジュリアス・シーザー」〜


 小学生の頃、子供向けに書かれた世界名作全集でシェイクスピアの「リヤ王」「ハムレット」「ロミオとジュリエット」「オセロ」「マクベス」「真夏の夜の夢」などを図書館で借りて読んだ。


 シェイクスピアが小説家ではなく劇作家だということを知ったのは高校生になってからだった。
 ちょうどその頃、テレビの劇場中継で「オセロ」と「リチャード三世」のお芝居を観て感動した。
 
 後に、子どもの頃に読んだものも含めて新潮文庫の戯曲(福田恆存訳)を何冊か購入して読み、その中に「ジュリアス・シーザー」があった。

 シェイクスピアは生涯で、喜劇、悲劇、歴史物も含め、40作近い戯曲を残した。
 「マクベス」「リヤ王」「オセロ」「マクベス」が4大悲劇と呼ばれ最高傑作とされているそうだ。
 
 この「ジュリアス・シーザー」はいわゆる歴史劇と悲劇の中間に位置するものらしい。

 シーザーはよく知られているとおり、ローマ時代の軍人で政治家である。
 彼の名はよく「皇帝」の代名詞のように使われるが、実はシーザーがローマ皇帝であったことはない。

 ローマでは、古くから貴族出身者による終身議員で構成された元老院という議会制の下での共和制が成立していた。
 ローマが周囲の国々を次々に征服し、属州を増やして肥大していく中、国内では安い輸入作物との価格競争に負けた農民たちが没落して無産市民となり、無策なうえに自分たちの既得権益ばかり大事にする貴族たちへの不満や怒りをくすぶらせていった。(どこかで聞いたような話だ)

 そんな中、征服戦争で華々しい戦果を挙げて市民たちの人気を集めていたのが、将軍と呼ばれる職業軍人たちだ。
 彼らは仕事を無くした市民たちを傭兵として抱え、やがて貴族たちを抑えて元老院をも牛耳るようになる。

 何人かいた将軍たちの中で、熾烈な勢力争いに勝ち、ローマの実質支配を手にしたのがシーザーだった。
 圧倒的カリスマ性を持つシーザーはそのまま行けば、間違いなくローマの初代の王になっていただろう。
 しかし、それを許さない者たちがいたのだ。

 戯曲「ジュリアス・シーザー」は、ここから物語が始まる。
 
 歴史的事実なのでネタバレにはならないだろう、書いてしまうが、物語が始まってすぐ、シーザーは彼を皇帝にしたくない者たちによって謀殺される。

 ブルータス、という名前を聞いたことがあるだろうか。
 あの有名な「ブルータス、おまえもか」のブルータスだ。
 シーザーの腹心、あるいは親友、一説によると隠し子ではないかとも言われている。

 ブルータスは清廉高潔なローマ人で、市民たちにも元老院にも軍人たちにも人望があった。

 シーザー謀殺を計画する者たちはブルータスを仲間に加え、何なら中心人物に据えることで、事の正当性を証明できると考えた。

 このままでは、シーザーはローマの皇帝になり、専制君主になる。
 500年以上続いてきたローマの共和制は崩壊し、ローマの誇りが損なわれる。 
 おまえはそれでいいのか。
 シーザーから受けた恩、愛情、そんなものと、このローマへの愛が秤にかけられるのか。

 そう言って彼らはブルータスを説得した。
 ブルータスは悩みながらも、愛するローマのためにシーザー殺害を決意する。
 この戯曲の主人公はシーザーではなく、ブルータスなのだ。

 謀殺者たちの中で、おそらくブルータスだけが私怨ではなく、純粋にローマの未来を考えてシーザー殺害に同意した。
 ブルータスの真っ直ぐな性格は少々痛々しいほどで、もうこの後は悲劇の予感しかしない。

 ブルータス以外の登場人物たちのさまざまな政治的思惑による言動や企みは、なんら現代と変わるところがなく、人間って大して変わっていないのだなと思わされた。

 私が最もそれを感じたのは、シーザーが殺害された直後のシーンだ。
       
 シーザーの死を聞いて元老院前広場に集まって騒ぐ市民たちに、ブルータスは事ここに至った経緯を説明し、これこそがローマのためなのだと切々と訴える。 
「おれはシーザーを愛さなかったのではない。よりローマを愛しただけだ」
 その思いに打たれた市民たちは、シーザーは権勢欲にまみれた独裁者だったと認め、ブルータスたちを熱烈に支持する。
 
 しかし、その後、ともかくも国のために戦ってきたシーザーを悼むため、という名目で、シーザーの腹心、アントニウスが市民の前で、喪主として追悼演説をすることを許された。

 ページ数にして、ざっと8ページ。
 演説を途中で止められないように、何度もブルータスたちを「個を捨て公を重んじた高潔清廉なローマ人」と称賛しながらも、微妙に論調を変え、場の空気を動かし、市民たちの心を巧みにコントロールし、自分の手中に納めてしまう。
 このアントニウスの演説は、見事としか言いようがない。
 歴史で習ったデマゴーグとかアジテーターとかいう言葉が思い出された。

 8ページ前まで、シーザーは死ぬべきだった、ブルータスは英雄だと叫んでいた市民たちが、いつのまにか、シーザー万歳、俺たちのシーザーを殺した奴らを八つ裂きにしろ、と騒ぐ。

 以前、似たような光景を見たことがある気がする。
 インパクトのある言葉を使い、論点を少しずつずらし、自分が主張したいことが答えになる質問を何度も繰り返し、少しずつ少しずつ盛り上げ、ここぞ、というところで拳を振り上げ、断定口調で大きく煽る。
 近現代の政治集会、あるいはセミナーとか呼ばれるものと全く同じではないか。
 言葉を道具に、人の心を操るやり方は昔も今も同じだ。

 ブルータスが純粋に共和制を大事に思う気持ちは、まず謀殺者たちに利用され、次はアントニウスの詭弁によって打ち砕かれた。
 
 アントニウスの演説によって市民の支持を失った謀殺者たちは、シーザーの腹心達との戦いに敗れ、ことごとく死んだ。
 シーザーの後継は、アントニウスとシーザーの甥、オクタヴィアヌスとの間で争われることになる。
 結果、アントニウスはエジプトに走りクレオパトラの力を借りて、と、ここから先はもうひとつのシェイクスピアの戯曲「アントニーとクレオパトラ」に書かれている、また別の物語である。

 どんな清廉高潔な人物でも、自らの正義と理想という観念にとりつかれ、人の心と時節を見誤ると悲劇が待っている。
 歴史と運命の流れを止めることは出来ない。
 

 
 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。

 シェイクスピアの戯曲中の人間描写はほんとうに素晴らしい。  
 400年も前の作品なのに、もう既に何もかも書き尽くされてしまっているのではないかと思うほどだ。
 イギリスの偉大な作家に深く感謝する。


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