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息をするように本を読む48 〜山本周五郎「五辨の椿」〜

 この小説は、何度かドラマ化されている。 
 私が見たことがあるのは、主人公のおしのを大原麗子さんが演じられたものと、国仲涼子さんがされたものだった。
 どちらも、おしのの清廉さ、危うさがとてもよく表現されていたと思う。


 時は江戸時代。
 油や薬種を商う老舗大店、むさし屋。
 主人は手代から婿養子に入った生真面目な堅物。家つき娘の内儀は、家のことは主人と奉公人に丸投げで自分では一切何もせず、芝居見物だの役者を侍らせての遊山だのやりたい放題の贅沢三昧に明け暮れている。
 一人娘のおしのはそんな母親を嫌い、真面目で優しい父親を心から慕っていた。

 やがて、おしのが成長して18になった頃、働き過ぎの無理がたたったのか、父親は胸の病に冒される。
 妻である母親は病気が感染るのを恐れて寄り付かず、夫の看病を娘のおしのに押し付けて自分は寮(別宅)に行ったまま帰ってこない。
 おしのは懸命に看病するが、父親の容体は悪くなるばかり。
 病床の父親はおしのに、椿の花が見たいとねだる。
 仕事ばかりで花を愛でるような生活はしてこなかったが、唯一好きな花が山椿だと言う父親のためにおしのは赤い椿を手に入れてきて枕元に活けてやった。

 いよいよ容体が悪くなったとき、父親は寮に連れて行って妻に会わせて欲しいと頼む。最後に一言、言ってやりたいことがあるというのだ。
 父親の最後の頼みを叶えるべく、おしのは駕籠で父親を母親のところへ連れていこうとするが、父親は途中で亡くなってしまう。
 おしのは、そのまま母親の元へ父親の遺体を運んだ。
 母親は夫の遺体を見ても何ら悲しむわけもなく、気味が悪いと言って憚らない。
 泣きながら母親を責めるおしのに、母親はある告白をする。
 あなたはそんなに泣く必要はないのだ、と。

 その夜、むさし屋の寮から火が出た。
 折からの強風にあおられて建家は全焼、焼け落ちた寮の中からは逃げ遅れたと思われる遺体が3体。
 病人の主人、看病疲れの母娘。
 一家全員死亡ということで、店の身代は親戚たちによって整理され、奉公人たちもそれぞれに次の奉公先に移った。

 やがて数ヶ月が経ってその不幸な出来事も次第に忘れられ、世間の人の口にもに上らなくなった頃、江戸の町では奇妙な殺人事件が連続して起こる。
 被害者は贔屓客を喰いものにする評判の悪い役者や女癖の悪い大店のドラ息子など、法を犯してはいないがその所業で数々の人を泣かせている輩たち。
 いずれも胸を銀かんざしでひと突きにされているのを、朝になってから茶屋の女中に発見されていた。

 どの事件の場合も、若いくせにやたらと色っぽくて素人娘とは思えないほど世慣れた金遣いをする謎の若い女が絡んでいるらしい。

 そして、この現場には必ず赤い椿の花弁が落ちている。

 この娘の正体は誰か、目的は何か。
 奉行所の若き与力が突き止めようとするが、いつも後手に回ってしまう。
 この追いつ追われつの攻防戦には息を飲む。追いつかれて欲しいような欲しくないような。

 これ以上はやめておこう。
 娘の正体は最初の事件のときは隠されているが、物語が進むにつれてだんだんに露わになる。その小出し感はとても巧みだ。

「こんなことを許しちゃいけない」
「この世にはご定法では裁けない罪があると思います」
 
 娘の気持ちは分かる気がする。
 確かにこの世は不条理と理不尽で満ち満ちでいるだろう。
 が、それはあなたがするべきことではなかった。
 それが許されない罪なら、あなたのしたことも許されない罪ではないのか。
 他の道を選ぶことは出来なかったのか。


 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。

 娘の父へのひたむきな想いが哀れで、誰か止めてやれる者はいなかったのかと思う。
 若さゆえの頑なさ、無垢であるがゆえの強さが、ただ痛ましく悲しく思われる。

 

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