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息をするように本を読む42 〜高木彬光「成吉思汗(ジンギスカン)の秘密」〜


 もう何度も書いているかもしれないが、私は本を読むのが大好きだ。
 子どもの頃は親に買ってもらっていたけれど、学生になり社会人になって自分のお金で買えるようになると、外出するたびに本を買ってきていた。
 
 狭い自室にずっと使っている武骨なスチールの本棚があって、それが本で溢れていた。
 スペースがもったいないので、棚に文庫本を前後に並べ、上に隙間が空くのでそこにも本を詰め込んだ。
 ある日、何だか本が傾いているなと思ったら、スチールの棚板が途中で曲がっていた。本の重みで沈んだらしい。
 呆れた母には、床が抜けないか心配された。

 引越しをすることになり、本を減らさなくてはならなくなった。
 何冊あったかは覚えていないが、4分の1くらいにしたと思う。
 どうしても手元に置きたい本たちを選び、残りは古本屋に引き取ってもらった。

 この本を選ぶというのがとても辛かった。まるで、決して嫌いなわけではないのに一緒にはいられない恋人に断腸の思いで別れを告げるような(あくまで例えです。そんな経験はありません)気持ちだった。
 正直、もうあんな思いは2度としたくない。

 それでも、別れた恋人と同様(繰り返しますがあくまでも例えです)、時が経てばいい思い出だけが残っていくもので、あー、あんな本もこんな本もあったなぁと懐かしく思い出す。

 そんな中で、特別によく覚えている本が2冊ある。
 お別れしてから一度も読んでいないのに、ところどころ台詞まで覚えているのが不思議だ。

 そのうちの1冊が、高木彬光作「成吉思汗(ジンギスカン)の秘密」だ。

 

 日本を代表する名探偵を3人あげろと、言われたら誰がでてくるだろうか。
 
 明智小五郎(江戸川乱歩)と金田一耕助(横溝正史)はまずテッパンだろう。
 あと1人は、御手洗潔(島田荘司)か、火村英生(有栖川有栖)か、島田潔(綾辻行人)か、もしかして、夢水清志郎(はやみねかおる)、まさかの江戸川コナン、だろうか。

 私は、やっぱり高木彬光の神津恭介を推したいと思う。
 神津恭介は東京大学の法医学教室の助教授(のちに教授)で、訳あって警視庁の犯罪捜査の相談役もしている。
 最初に登場したのは、高木彬光のデビュー作「刺青殺人事件」(1948年)。
 東大きっての天才と呼び声の高い明晰な頭脳と木石とか氷人とか言われるほどの冷静沈着さ。しかも、超がつくほどの端麗な容姿。
 紳士的で女性にモテモテだけど、本人には全くその意識はない。
 絵に書いたような典型的天才型探偵である。
 というか、今現在、数多く存在するクール系探偵キャラクターの元になったのがこの神津恭介だと私は思う。
 
 この神津恭介シリーズは長編短編合わせて全部で20巻以上ある。
 大学の後輩の松下研三を助手代わりに、いくつもの難事件を解決しているのだが、この「成吉思汗の秘密」は他の作品たちとはちょっと方向性が違う。

 作品の中で、誰も殺されないし何も盗まれない。犯罪事件も起きない。
 この物語で神津恭介が解く謎は現代の事件ではなく、歴史上のある人物の謎なのだ。
 
 日本最初の武家政権鎌倉幕府の創始者源頼朝の異母弟、源義経と、中央アジアに巨大なモンゴル帝国を一代で築いた英雄、成吉思汗(ジンギスカン)が、同一人物ではないかという伝説を聞かれたことはおありだろうか。

 兄頼朝の追撃を受けて奥州は平泉に逃れ、衣川の合戦で命を落としたと伝えられる義経は、実は生きて蝦夷地に渡って海を越え、大陸でモンゴル族を率いて大帝国の祖となった、という、とんでもなく雄大な、言葉を選ばずに書けば、荒唐無稽な伝説がある。
 
 大学助教授の神津恭介はある日、教室で倒れ、病院に運ばれた。
 診断は慢性虫垂炎による腹膜炎。
 命に別状はなかったものの、医者からは当分のあいだは入院して充分に養生するように言い渡される。

 突然の知らせに慌てふためいて病院に駆けつけ、詳細を聞いてホッと一息ついた助手の松下研三に、神津は相談を持ちかける。
 身体は少々疲れているものの、頭は何ともない。こんなところでじっとしていたら、退屈で退屈で死にそうだ。何か解決するべき面白い事件はないか。

 こんなときくらいのんびりしたらいいのにと呆れ返る研三だったが、言い出したら聞かない神津に急かされ、思いつきでこの義経=成吉思汗の一人二役の伝説話をし、神津は興味を持った。
 2人とも最初はほんの暇つぶしという感じで調査を始めたのだったが。
 
 研三をワトソン代わりに、神津がアームチェアディテクティブとして時空を超えた推理を働かせるのはとても面白い趣向だった。

 物語の舞台は、まだネットはおろか携帯電話もない頃(昭和30年代)。
 固定電話も全ての家にはない。
 資料は全て紙、情報集めは基本的に対面、連絡手段は電報を使っていた。
 研三が神津の指示で日本中をあちこち走り回るのには、読んでいて少々気の毒ながら笑わずにいられなかった。

 研三の体を張った奮闘ももちろんだが、思わぬ協力者が現れたり強力なライバルが襲来したりして、調査は順調(?)に進んでいく。
 さて、日本史上最も壮大な一人二役の謎は、果たして解けるのか。
 それは是非とも読んで確かめていただきたい。

 そしてもし、この物語を読まれることがあったとしたら、そんな都合のいいことがあるか、とか、そんなめちゃくちゃな理屈、とか、そういうことは一切考えないでただ純粋に楽しんで読むことをお薦めする。

 
 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
 

 こうやって書いていたら、また読み返したくなってきた。
 長女に調べてもらうと、なんと復刻版が出ているらしい。


 ……買っちゃおうかな。
 


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