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【赤の少女と白い虎】 10夜.金色の夢

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絵・津山文子

。・。・。・


「あれ? ここは?」

 いつもの場所じゃない。


 まぶしい日差しの中、木洩れ日の光で目が開いた。

「トランカ?」

 いつもそばで眠っているはずの白い虎がいない。


 目の前には海のような草原が広がっていた。


 風にあおられて、うねる緑はまるで波のようで、

 生きものそのものだ。


 1本の大きな木の下で、姫はすくっと立ち上がった。


 頭の上にはいくつもの枝が手を広げ、

 星のような葉がさざめいている。

 木洩れ日がゆれている。

 姫は木に触れて、脈打つ鼓動が指先から響いてくるのを聴いていた。


 ふと、彼方の地平線から誰かが歩いてくるのが見え、

 次の瞬間、目の前に見知らぬ老婆が立っていた。


 姫は顔色ひとつ変えず、少しだけ笑った。


「初めまして。わたしはジョーイといいます」


 老婆は目を見開き、姫を見た。

「おや、お前は夢のしきたりを知っているのだな」

「長老に聞きました。夢の中ではまず、名乗るようにと」

「ふむ、それも相手をみて、だろう?」

「はい」

 姫は少し照れくさそうに笑った。


「自分の名をいうのは、これが初めてです」

「それでよい。お前は正しい」老婆はまっすぐに褒めた。


姫の瞳が放つ好奇心が、周りの風景をはちみつのように溶かしていく。


「話したいことがあるのだね」

老婆は姫を顔を見つめて、静かに言った。


「はい、たくさん、たくさんあるのです」姫は答えた。

「しかし」

老婆は姫の瞳をまっすぐにとらえて言った。

「それを話してはならぬ」


「どうして? あなたには話してもよいと思ったのに」

 ふふふ、と老婆は笑った。


「もう話しているではないか。ほら、その胸の中に入ってごらん」

 姫は静かに自分の呼吸に意識を向けた。

 するとみるみるうちにその頬はバラ色に染まり、

 歓喜の花が肩からこぼれ落ちた。

「・・・本当だ。すごい! なんで? 」


「よいか」

老婆はゆっくりと腰をおって、静かに座った。

姫もその傍らに座り込んだ。


「そなたの言葉にはとてもたくさんの情報が入っている。

 それは大きな輪のもとに授けられた贈り物だ。

 それを織物で成すものもいる。歌で成すものもいる。

 すべて、気高く、美しく、この世界に放たれるもの」

 姫はうなづいた。


「だから、大切に扱わなければならない。

 その力を知らなければならない。

 大丈夫、言の葉にせずとも、胸を通して放たれている。

 ただ、それに気づく者と気づかない者がいるだけだ」

 老婆はふっと姫の横をみながら言った。


「例えば、この子はどうだ?」

 そこには大きな白い虎がねそべっていた。


「トランカ!」

 姫がそういうと、白い虎は目を細め、姫の胸に顔をうずめた。

「うん、トランカとはいつもそんな感じです」

 老婆はうなづき、ふっと目線を上げた。

「あの者たちはどうだ」


 振り向くと、奥の院の長老と宇宙の風の風読み師がそこにいた。

「うん。・・・・いえ、はい!」

 姫は笑った。

「そうです、そうです!」


「・・・それでよい」

 老婆は目を細めながら、草原のはるか地平線を眺めた。


「嵐がくるぞ。お前はどうする?」


 姫はトランカの首から手を離し、顔を上げた。

「わかりません。でも」

 遠くの空にわきたつ黒い渦流を見て、笑った。


「そのときになれば、わかる気がする」


「それでよい」 老婆はゆっくりと立ち上がった。


「そなたのその好奇心だけはどうもできんな」

 老婆は姫の顔をまっすぐに見て言った。


「だが、あれにはそれをつかってはならぬ。

 待ちなさい。

 そのままのお前の光を向けてはならぬ。

 そのときまで、眠っていなさい。

 目を開けたまま、夢をみるのだよ。

 わかったね」


 老婆はそう言いながら、姫の手をしっかりと握った。

 姫はハッとして老婆を見た。


 そこには大きなやまゆりの花が静かにゆれていた。


「待って!」

 姫は空に向かって叫んだ。

 そして何かを追うように走り出した。


「待って! まだ行かないで!」


 姫はそのまま、かたわらで駆けていたトランカの背に飛び乗った。

 トランカは身をかがめて大地を蹴った。

 

 あっという間に光の速さで天を駆け上っていく。


 大きな首にしがみついてた姫の耳に、

 美しい鐘のような調べが響いてきた。


「あら、困った子。こんなところまでついてくるなんて」


「待って! 待って!  待って!」

 息もできないくらいのスピードの中で

 姫は固く目を閉じたまま叫んだ。


 すると何かがふわり、と頬をなでた。


「大丈夫、またすぐに会えるから」


 美しい言霊とやわらかな感触。

 ハッと目を開けると、金色の長い髪が見えた。


「あなたは・・・」

 その名を叫ぼうとした瞬間、耳元で声が聞こえた。


「ジョーイ、そろそろ時間よ」


 やさしく頬にふれる母が、ベッドの傍で笑っていた。


「・・・おはよう。母さま」


 姫はそういって再び目を閉じ、少し笑った。


〜つづく

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