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親を見送ったら

今日は母の月命日
母を見送ったのは、6年前なのに
いつまでも寂しさも悲しさも薄まらない。
つまり
肉親を亡くすとは、そういうことのようだ。

数か月前、職場の女性がお父様を見送られたのだけど、
彼女は、忌引きを1週間フルでとっても出勤できなかった。
心療内科で診察を受けて、3週間後に復帰するまで
悲しみのストレスで体調をくずしていたのだ。

また先月、20年ぶりにあった古い友人も
お母様を半年前に亡くされたとのこと。
半年なら、まだまだ辛かろうと、
「親が亡くなってしまうと、どんなに手厚く介護したり、
看護したり、お世話をしていたとしても、誰もが後悔するんだって。ああすればよかった、あんなことを言わなければよかったって悔やんでしまうって。そして、それは、私も同じだったよ。」
そういうと、
その友人、それまでニコニコしていたのに、私の言葉に
「うん、うん」とうなずきながら、涙ぐんでしまった。
そうだよね、わかるわかる。

親の死は、最初の半年~1年は
時間が経って癒えるどころか、どんどん寂しくて、
悲しくなっちゃうのだ。
来年7回忌なのに、まだまだ寂しい。
年齢は関係なく、
私のようなオバちゃん(ババ世代!)でも。

特に毎年12月の私の誕生日には、いっそう寂しい。
「生んでくれて、全力で守ってくれてありがとう。」
病気になる前に、元気な時に、普段から言っておけばよかったと後悔するのだ。意地っ張りでツンデレな母子関係だったから、余計に・・・。

で、思うのは、この先、私にできることは、
母のように最期まで生き切ること。
辛くても、(母は癌でとっても苦しんだ。)生き切ること。

親を見送った人の多くは、一見 まったくいつも通り、
ぜんぜん普通にしていても、実は
心の中は、とっても悲しみに溢れている。

そして、そうなると、心配なのは一人っ子の我が息子。
十分に感じられるほどの愛情を注ごうと
努力してきた、つもり。
伝わっているかな~?
子どもは、親元を離れ、人生のパートナーが見つかれば、
その人との生活を最優先させるのが当たり前なので
そんな生活基盤ができますようにと祈りつつ、
私がふいに亡くなる事態になって、お別れができなかったとしても、
「かあさん、あんなに大切にしてくれた。いつも最優先してくれた。」そう感じることができれば、
その温かい思い・記憶が、心の奥底に灯り続けて
寂しさや喪失感をちょっとは紛らわしてくれるはずだ。

息子へ遺す言葉は、
あなたが生まれてきて、今も生きていてくれることが、
親孝行なんだよ。ありがとう。大好き。心から愛している。





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