見出し画像

わたしだけの生き方

おひさしぶりのnote更新です。
最近、お仕事が終わってお家に帰る日々で、暇だなと思うことが多くいろんなことに手を出しています。(4~8月が意味分からないレベルで忙しかっただけ疑惑)

話は変わって私のお仕事の話です。
私はアイドルをしています。そして、学校の先生、ダンスの先生もしています。

アイドル1本で活動している子が多い中、なぜ私は兼業をしているのかについて少し書いてみたいと思います。


1. 好奇心旺盛な幼少期

不自由のない家庭で産まれ、ひとりっ子で育ちました。
4月生まれということもあり、幼稚園では勉強・運動・日常生活が他の園児に比べできる方でした。周りの子ができることは全部できると思っていたので、友達が行っている習い事を全て「やりたい!」と親へ言っていました。
何でも言えばやれる、何も続かない、という大人になることを恐れた両親は、絶対必要になるからという理由で水泳だけ習わせてくれました。(ちなみに水泳は幼稚園の頃に小3.4の子がほとんどのクラスにいました。)

バトンも年中の秋頃にやりたいと言った習い事のひとつでした。
そのときは親にダメと言われたものも何故かバトンだけ頼み込み、「年長になってもやりたいならね」と言われて終わりました。年長になると私はすぐに「年長になったからバトンやれるよね?」「なんでやらせてくれないの?」と言っていたらしく親を驚かせていました。

習い事以外の面でも興味津々で親の影響でパズルゲームを始め、10パズルにハマり四則演算にも興味を示していました。幼稚園の頃の家族旅行の車内では、掛け算の九九、平家物語や徒然草をひたすら暗唱していました。
割り算をやりたくて親に「問題を出して!」を言ったら面倒くさがられたことも覚えています。笑

小学生の頃にはバトンを週6で習っていましたが、くもん行きたい、参考書や問題集がほしい、進研ゼミやりたいなどを常に言っていました。
(進研ゼミやらせてもらったけど簡単すぎて届いた日に全部終わってた)

児童会に所属していたため小6になると、学校の代表として中学校へ挨拶へ行くなど中学校と関わる機会が増えてきました。中学校が荒れていて少し引いた私は、児童会のメンバーが中学受験をするという話に興味を持ちました。
中学受験というのは、基本的に小4から塾に入り、夏休みも年末年始もほぼ毎日塾でお勉強する単純にやばいやつです。
しかし、ここでも好奇心旺盛な私は「私も中学受験したい!」と言い、半年弱の受験勉強で合格することができました。


2. バトンに打ち込む学生時代

中学に入りバトンは小学生チームから社会人チームへ飛び級、国際大会を目指すなど、今まで以上にハードな生活になりました。
大変だと思われた学校生活は、ある程度の成績を保っていれば高校にそのまま入れるので、思う存分バトンに打ち込める状況でした。(ちなみに数学で学年1位取った!)
学校が終わると、そのままバトンのレッスンへ向かい、先生が来るまで社会人の方と自主練、その後全体練習を繰り返す毎日でした。

校則が厳しく寄り道禁止、通学電車・校内でのスマホ禁止、バイト禁止、車校禁止、芸能活動禁止……
さらにバトンが週6.7であり、休みがある月はラッキーという状況で、新しいことに挑戦するは愚か、世間一般の高校生が送っている生活すら送れてなかった気がします。(それでも楽しかったからOK)


3. 新しい世界を知りたい大学生

高校生の頃から過度な練習でケガが多く、大学生になりバトンの練習を週6.7から週3.4へ減らすことになりました。
今まで毎日あったバトンがなくなって時間ができ、新しくアルバイトを始めたり、サークルへ加入したり、学校が終わった後や休みの日に友達と遊びに行ったり……
普通の高校生がすることを大学生で行い、幼い頃にあったいろんなことに挑戦したいという気持ちが再び芽生えました。

好奇心旺盛というと飽き性というイメージがあると思いますが、私の場合は好奇心旺盛だけど他のことも継続したいという人でした。
なのでアルバイトも3.4個掛け持ちしたり、バトンもサークルも留学も……
とにかくたくさんのことに挑戦し全部続けていました。

大学3年生になると就活など将来の話が増えてきます。
実際、私もインターンシップへ何社か行き、会社への就職というのも考えていました。
ありがたいことに内々定の話もありましたが、そのとき行っていたダンス講師との兼業が禁止と言われ、「まだまだやりたいことがある」ということに気付きました。

大学院に進学して学生の猶予期間を作ることも考えましたが、研究職に付くと更に進路は決められた道になってしまうため、フリーランスという道を選びました。


4. まだまだ夢の途中な社会人

現在、私は高校教師ダンス講師アイドルを兼業しています。

大学4年生の私は、ふぇ!に加入して間もなくの頃でした。グループとして見たときもLIVE以外の活動もなく、収入面でも安定しないためアイドル1本でという考えには至れませんでした。

私が働く上で重要視していたのは、
経済的安定、社会的地位、個人のやりがいでした。

その全てが揃うのが兼業という方法でした。

アイドルという不安定な仕事を続けていく上で、安定した仕事かつ兼業可能な仕事をすることが私の中の条件でした。
結果論ですが、社会人1年目に自粛生活を強いられたので、アイドル1本という道を選んでいなくて良かったと思っています。(多分、安定しなくてすぐに就職してた)

毎日、違う職場へ通勤し、定期的に何かに追われる生活をしています。
傍から見るとすごく忙しそうな生活を送っているのかもしれませんが、私にとっては常に新しいことに挑戦できるすごく楽しい環境です。

平日の昼間などお仕事でLIVEを休むこともあり、グループへ迷惑をかけてしまうこともあります。
でも生徒がLIVEを観に来てくれるなどプラスに働くことも0ではありません。
もしかしたら今後、アイドル×先生ということで大きな仕事に呼んでもらえることがあるかもしれません。

10年後、どんな生活をしているか自分でもわかりません。
もしかしたら、ふぇありーているず!がめちゃめちゃ売れて海外進出しているかもしれないし、アイドルを辞めて学校の先生をしているかもしれないし、ダンス講師としてスタジオを開いているかもしれないし、結婚して仕事も辞めて幸せな家庭を築いているかもしれないし……

自分自身の力で世界を変えられる反面、変えられないこともたくさんあります。
どんな状況になっても対応できるよう、今は準備をするときなのかなと思っています。

忙しさを楽しめる私は、この働き方が合っていて天職なんだと思います。

この記事が参加している募集