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パパとママは結婚していなかった

「夫婦別姓」という単語を覚えたのは同じ学年の子よりも早かったはず。小学校低学年くらいには使っていた。

「あーちゃんのパパとママはなんで苗字が違うの?」と友達に聞かれ「うちは夫婦別姓なんだ!」と難しい言葉を知っている自分すごい!と思いながら答えていたのをうっすらと覚えている。

そう、小学生の私は夫婦別姓が日本で認められていると思っていた。

一緒に住んでいるパパとママが結婚しているのは当たり前だと思っていて、苗字が違うことに対して疑問なんて持ったことはなかった。「夫婦別姓だから」というのが小さい私の理解だった。

今でも覚えている中学3年生の家庭科の授業。正直、家庭科の授業は実習ではない限り真面目に授業は聞いていなかった。その日もなんとなく黒板にある文字をノートにうつしながら、ふわふわとぼんやり過ごしていた。眠気を誘うおばあちゃん先生の声の中に自分の知っている単語が入ってきた時、胸がドキっとなったのを感じた。

「…というわけで、日本ではまだ夫婦別姓は認められていません。」今でもクリアに耳の奥で響くこの短い文章。あれ?おかしいぞ。日本は夫婦別姓が認めてられているはず?だからパパとママは苗字が違うけど一緒に暮らしているんだよね?あれ?結婚の話したことあったっけ?頭の中でいろんな疑問がわいてくる。

ペンを持ったままの手をスッとあげて、名前を呼ばれる前に興奮気味の少し震える声で先生に言った。「先生!それ間違ってると思います。私の父と母は苗字が違うけど結婚していますよ!」

家庭科の先生は少しびっくりしていたが「それはもしかしたら仕事上で旧姓を名乗っているだけなのかもしれないですね。戸籍上は結婚したら苗字を選ばないといけないんです。」と、そういうカップルもいるかもね!という感じで明るく答えてくれた。ただ、父が母の苗字を名乗っていることも母が父の苗字を名乗っていることも短い人生の中で聞いたことも見たこともなかった。私の名乗っていた苗字は母方の苗字だったが、その苗字で父が呼ばれたことなんて知っている限りない。

頭の中にある疑問をいくつか家庭科のおばあちゃん先生にぶつけてみたが、「私も法律のこと自体詳しいわけではないから、そこは詳しい先生に聞いてみたほうがいいかもね。」という結論に至った。家庭科の先生、あの時は動揺して「先生間違ってるよ!」みたいに言っちゃってごめんなさい。

その日の放課後、友達を連れて公民の先生のところへ行ってみた。家庭科の授業で話した内容を説明すると、キビキビした公民の先生が少し困った顔で言った。「うーん…もし本当にお父さんとお母さんが違う苗字で過ごしているなら、2人は事実婚っていうことなのかもね。」

夫婦別姓という単語は知っていたが、事実婚という単語を聞いたのはこの時が初めてだった。そんなカップルがいるなんて…何のために?と思いながらも先生は優しく事実婚をしているカップルの例を簡単にあげてくれた。

…と言っても、もうこの時の頭の中は真っ白で色んなことを話してくれた記憶はあるけどもう内容は覚えていない。事実婚という単語を頭で繰り返しながら、いつ自分の親が「普通の親」でなくなってしまったんだろうと思った。っていうか普通の親って何だっけ?

一つここで覚えているのは、結婚していないカップルに子供が産まれた場合、子供は母方の苗字になるということ。私の苗字は母方の苗字だったので、本当に結婚していないかも…とここで実感が湧いてくる。

「区役所に行って戸籍謄本をもらったら書いてあるけど、家族のことだし、気になるなら親に直接聞いたほうがいいよ。」と心配そうに先生に言われた。そうだよね。親に聞いてみたほうがいいよね。そりゃそうだわ。

仲の良かった友達はずっと付き添ってくれていて、私のことを心配してくれていた。頭が真っ白になっている私は自分が感じている感情が何なのかもわからなかった。「親と話して、もし何かあったら今晩はうちにおいで。夜遅くなってもいいからメールしてね。」頼れる友達がいるのは本当にありがたいこと。みんな、友達は大事にしようね!仲の良かった担任の先生にも事情は話して、無理矢理笑顔を作りながら「本当に結婚してなかったら家出しちゃおっかなー!」なんてジョークを言っていた。

家に帰るまでの間にどうやって聞こうか、パパとママとどっちに聞いたらいいのか、どんな反応されるのか、色んなことを考えながら電車とバスを乗り継いだ。「家出しちゃおっかな」なんて嘘のつもりで言ったけど、もうその時には今夜は家にいられないかもってうっすら思っていた。

当時、両親は2人とも働いていたが、父の方が帰るのが早く、いつも夕ご飯は2人で食べていた。母が帰ってくるのは9時頃と結構遅く、寝る前に少し喋るくらいだった。母に聞くのはなんとなくこわい気がしたので、ご飯を食べ終わった後にシレッと父に聞いてみようと思っていた。宿題が手につくわけでもないので、ご飯ができるまでの間に聞いちゃおうかな?と思ったりもしたけど、お腹が減ったまま話ができる気がしなかったので、ご飯はちゃんと食べた。腹が減っては戰はできぬって言うしね!

「パパとママはどうして苗字が違うの?」どんな聞き方をしたらいいのかも迷ったりしたけど、結婚という単語を文章の中に入れたくなかった。小さい時から知っていた「夫婦別姓」やその日習った「事実婚」という単語も自分の口にしたくなかった。

60代になるパパはため息をつきながら「ママに聞いたことない?」と質問かえしされた。聞いちゃうの?と思っているところで、ここから30分ほど、知らなかった家族の秘密をマシンガン暴露。(パーソナルな内容なのとちょっと話があちこちしちゃうので省略します。)マシンガンの一つ一つの弾の内容は今では大したものではないけど、中学3年生の私にとってはとても大きな銃弾で、それをたくさん胸に受けた私はもう無の状態になっていた。

結論、結婚はしていないとのこと。結婚していない事実やその他諸々の秘密に対してどう自分が感じているのか正直わからなかった。自分の部屋に戻ってすぐに友達に「パパとママは結婚していなかった。」とメールをし「泊まりに行っていい?」と連絡をした。殻が抜ける状態ってこういう感じかな〜と思いながら、せっせと制服を学校のかばんの中へ。反抗期でもなかったし、親に逆らいたいわけでもなかったけど、その日は家にいたくなかった。

パパに「友達のところ泊まりに行ってくる」と言い、ママにも同じことをメールした。もう寝れるような格好にローファーを履いて家を出る。秋の少し涼しくなってきたちょうどいい季節。8時くらいだったかな?外を歩いていてとても気持ちの良い夜だった。大井町線に乗っていると会社帰りのサラリーマンや塾帰りの小学生もいて、抜け殻になった私には気付かないで普通の生活を送っている人たちを見てなんとなく涙が出てきた。

友達の家に向かっている途中でママから電話があった。動揺していて、怒っている様子で「ちゃんと説明するから帰ってきなさい!」と電話の向こうで叫んでいる。私の方はびっくりするほど冷静で、「今日はちょっと頭の中をゆっくり1人で整理したいから友達の家に泊まらせて。明日には家に帰るから。」と伝えた。これで非行に走るような娘でもなかったから、親もとりあえず理解してくれて電話を切った。

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長々となんとなく書いてしまったけど、「夫婦別姓」という単語を聞くと私は何よりも自分の両親のことを思い出すのと同時にこの1日のことを思い出す。結婚していなかったことは今になってはどうでも良い事実だけど、私に話してくれていなかったことは今でもショックだったなと思う。

籍を入れなかった理由は夫婦別姓が認められていなかったこと以外にもあったみたいだけど、ここでは省略。事実を受け入れた後は、「事実婚ってモダンな両親なんだよー」と説明するのも苦じゃなくなった。私はただ家族なのに言ってくれなかったことがショックだっただけ。秘密にする必要ないんじゃないの?と私は思うけど、親は昔の人だし、人と違うことに恥ずかしさを感じていたのかもしれない。

父と母は数年前に結婚して夫婦になった。父がもうかなり年いっているので何かあったらの時の為に、ということで。

夫婦別姓が選べていたら私はこの日こんなに悩まなかったはず。

ここ数年、夫婦別姓についてのニュースが出るたびにこの日のことを思い出していた。認められたら、中学3年生の時の私へお手紙を書こうと思っていたけど、その日はまだ来ないみたい。あの時大井町線で泣いてた私に「夫婦別姓が日本でも認められたよ!」って言ってあげられる日が早くくるといいな。



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